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どのくらいの時間が経っただろうか。
幽谷は己の状況に辟易していた。
異様に張り切った店主は、あれこれと幽谷に装飾品を押し当ててはああでもないこうでもないと唸って唸って似合う物を見つけようとしている。
そも、自分は趙雲に装飾品を買ってもらう為にここに来たのではない。趙雲の手伝いをしに来たのだ。
この店主、大きな勘違いをしていた。
幽谷は天を仰ぎ、本日何度目かの溜息をついた。
それからややあって、
「ああ、やっぱり玉(ぎょく)の少ない方が良いね。あんまり主張しない物の方が映える」
店主が選んだのは腕輪だ。細やかな細工が美しい、銀の腕輪。
小さな碧玉が所々に埋め込まれただけの比較的地味なそれは、しかし良質な意匠だけが醸(かも)す気品があった。
店主の手によって右手首にはめられた幽谷は、困惑しつつすぐに外す。すでに両手共腕輪をはめてあるので、片方に二つというのは違和感があった。
それを横合いから趙雲が取り上げて店主に頭を下げる。
「これを買おう。店主、感謝する」
「良いんだよ。あんたも、頑張りな。お代は安くしといてやるからさ」
それで良いのかと、心の中でツッコむ。誰かに送るのであれば、幽谷に似合う、と言う基準で選んではいけないと思うのだが。
怪訝そうに趙雲を仰ぐ幽谷に笑いかけ、彼は腕輪を差し出した。
「……これは?」
「お前に。今回は、この為に付き合ってもらったんだ。両手に腕輪をしているのを見て決めたんだが、まさか装飾品に興味が無いとは予想外だった」
苦笑混じりに腕輪を幽谷の手に握らせる。
しかし幽谷はにべもなくそれを押し返した。
「不要です。それに、あなたから装飾品を頂戴する理由がありません」
「俺が贈りたいんだ、他でもない幽谷に」
それでも幽谷は受け取らない。
暫く「受け取ってくれ」「不要です」という問答を繰り返している内、いい加減焦れてしまった店主が一喝した。
「いい加減におしよ! ずっとやられてちゃ営業妨害だよ」
店主は趙雲の手から腕輪を奪い、幽谷の手に握らせた。
それでも返そうとすると頭を叩かれた。
「あんたも恋に興味無さそうな顔してるけど、そんな綺麗な顔してんだ。男を沢山手玉にとって貢がせたって罰は当たんないよ。ほら、人の好意はちゃんと受け取ってやりなさいな。あたしだってねえ、若い頃はそりゃあ何人もの男を取っ替え引っ替えしてたもんだよ」
「はあ……」
つまりは《若い頃は》美人だった、と。
幽谷は曖昧な相槌を打つ。そうして腕輪を見下ろし、眉間に皺を寄せる。
……不本意だけれど、これではさすがに諦めざるを得ない、か。
これで受け取らないとなれば店主が厄介だ。この事態だけは丸く収めておこう。
昔を思い出して乙女のようにうっとりとしている肉付きの良い女店主を見やり、幽谷は目を伏せて趙雲に頭を下げた。
「…………では、頂戴します」
すると、彼は目に見えて安堵した。
「ああ。では、金を払って帰ろう。それまで待っていてくれ」
趙雲は店主に値段を訊く。
何故会計を済ませるまで待たなければと思いさっさと帰ろうとしたけれど、その前に趙雲に腕を捕まれてしまった。反射的に殴ろうとしたのを何とか止めた。
「はい、どうもありがとうね。じゃあ、お幸せに」
「ああ、本当にありがとう。幽谷、行こう」
「……分かりました」
良い笑顔で片手を振って送り出す店主に、もう溜息も出なかった。
趙雲の腕を振り払って彼を追い越せば、彼は隣に並ぶ。
陣屋にまでついてくるつもりではなかろうなと怪訝に思いながら趙雲を横目に見やれば、彼は何処か浮き足立っている。嬉しげ、といった風情だ。何がそんなに嬉しいのか分からないが。
幽谷は彼から前へ視線を戻し、ふと足を止めた。
数歩先で趙雲が振り返る。
「……どうかしたのか?」
「ここで結構です。猫族の方々は今人間には非常に敏感ですので。陣屋までついてこられては彼らの迷惑となります」
趙雲は沈黙した。
「……そう、か……それは、配慮が出来なくて申し訳ない。今日は本当にすまなかった、ありがとう」
「いいえ。では、腕輪のこと、ありがとうございました」
至極真面目に謝られ、幽谷は素っ気なく会釈する。不本意ではあれど、一応の謝辞も付けた。
そうして大股にその場を離れる。
その背を、趙雲は見えなくなるまでずっと見つめていた。
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――――時は過ぎ。場所は兌州。
「……あら、幽谷。懐から何か出ているわ」
二人で茶を飲んでいたところ、幽谷の懐からはみ出した《それ》を見つけ首を傾げて指摘した。
幽谷はそれを見下ろし、あっと声を漏らした。
懐から取り出したそれは、いつだったか、洛陽で趙雲に貰ったあの腕輪だ。はめることも無く、かと言って捨てることも憚(はばか)られて持ち歩いていた。落とさないようにと気を付けていたのだけれど、まさか出てしまっていたとは思わなかった。
懐に戻すと、関羽はくすっと笑った。
「それって、洛陽で趙雲に貰ったって言う腕輪よね? 今もちゃんと、大事に持っているのね」
「大事に……とは少々違う気が……まあ、不本意だけれどがいただいた物だから、捨ててしまうのは礼儀に悖(もと)るかと」
「趙雲が知ったら、きっと喜ぶわね」
口に軽く握った拳を添えて笑声を漏らす主人に、幽谷は首を傾ける。
「喜ぶ……? 何故」
「だって、今でも大事に持っているんだもの。嬉しいに決まっているわ。幽州に帰ったら、わたしから言っておくわね」
何処か面白がるような含みのある笑みに、幽谷は顔をしかめる。
それは、わざわざ言う必要があるのだろうか?
問いたげな幽谷に、関羽は「言って、趙雲をからかうの」と笑みに悪戯っぽさを加味した。
幽谷は、心底不思議そうにまた首を傾けた。
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