誰よりもずっと一緒にいた、彼。

 何故彼が十三支を認めたのか分からない。
 全く理解が出来なかった。

――――何が変わってしまったのだろうか。
 以前の彼はそうではなかった。
 自分と同じものを見、同じ感性で生きていた筈なのだ。
 だのに、何故……自分達の道は分かたれてしまったのか。

 まるで、まるで彼が自分から逸れ、離れて行ってしまったかのようだ。
 十三支に絆(ほだ)されたのだ。
 あの卑しき娘に誑(たぶら)かされてしまったのだ。

 彼が自分と違う場所を歩くなんて、誰が予想し得ただろうか。

 止めたかった。
 行かないで欲しかった。
 《ここ》にいて欲しかった。

 一人にしないでくれ、置いて行かないでくれ――――そう、叫ぶ代わりに。
 自分は爆発した。
 自分は暴走した。

 その結果が、死だ。

 自分が間違っていたのか。
 彼が間違ったのか。

 自分が悪いのか。
 あの十三支の娘が悪いのか。

 世界を壊すべきだったのか。
 世界を守るべきだったのか。



 自問しても、答えは出ない。



 ああ、誰かが笑っている。
 笑えば良い。
 こんな惨めな自分のことなど、嘲笑えば良い。

 どうせ《オレ》は。
 もう死んでいるのだから。




‡‡‡




 夏侯淵が目覚めて感じたのは温もりである。
 瞼を押し上げてそれに触れると、さらりと指の間を通り抜ける、毛のような物。

 身を起こせば、胸に激痛が走った。呻く。
 自身の胸には、真っ白な包帯が巻かれてあった。
 その下に――――人の頭、が。

 ぎょっとして身動げばまた痛みに身体が強ばった。

 寝息を立てるそれは、娘だ。
 黒髪からは犬の耳、尻からは髪の色と同じ尻尾が生えていた。
 この特徴は、文献で見たものと一致する。

 まさか、こいつは狗族……?

 狗族は初めて見る。十三支と違って見たという話は一切無く、存在すら定かでなかった一族だ。
 その娘と思われる人物が、何故か自分の身体を枕に寝ているのだ。こちらに顔が向いていないので面立ちは分からないが、身体の線を見るに夏侯淵よりも少しばかり年下のようだ。
 驚き以上に戸惑った。

 すると不意に、娘が身動ぎした。


「!」

「ん……」


 掠れた声の後、ゆっくりと頭が持ち上がる。
 俯き加減で目をごしごしと擦り、緩慢な動作で夏侯淵を見上げてくる。

 その透き通るような銀の瞳に、一瞬気圧された。

 ……ああ、そうだった。文献によれば、狗族は銀の瞳をしているのだったか。
 ずいっと夏侯淵に向かって身を乗り出してきた娘に、夏侯淵は思わず身を引いた。


「……っ」

「あ、起きたんだ」


 更に身を乗り出して間近で顔色を覗き込む娘に、夏侯淵は困惑して咽を詰まらせてしまう。
 彼女から放たれているのだろうか、甘い香りが鼻孔を擽(くすぐ)る。急激に顔に熱が集中していった。


「んー……。やっぱり、まだ血色が悪いか。暫くは安静にしといた方が良いよ」

「き、貴様は……」

「あたし? あたしは栞喃。この谷に住んでるもんさ。あんたは誰だい?」


 ぴくぴくと耳が動く。
 思わず耳を見やれば、栞喃は首を傾げた。


「狗族がそんなに珍しいのかい?」

「狗族……」


 やはり、そうなのか。
 吐息を漏らし、何処か新鮮な気持ちで彼女の耳と尻尾を見比べた。尻尾はままに動いた。


「あの……狡の子孫の……」

「そうそう。その狗族。で、あんたの名前は?」

「うっ」


 鼻先が触れ合う程に迫る栞喃に夏侯淵は言葉を失った。唇を真一文字に引き結んで身体を引いた。
 けども、身体に激痛が走って動きが止まる。

 すると、栞喃はあっと声を発して身体を引いてくれた。


「ごめんごめん。重傷だったのすっかり忘れてた。寝ときなよ。そうした方が幾らか楽だろうし」


 屈託の無い笑顔を浮かべ、栞喃は夏侯淵の肩を少しだけ押した。

 夏侯淵はそれに大人しく従って横になり、包帯に巻かれた己の胸を撫でた。
 何故、自分はこんな傷を負っているのか――――記憶を手繰れば、すぐに答えは出た。

 オレ……兄者に敗(ま)けたんだ。

 十三支の娘を殺そうとして、そこに兄にも等しい――――夏侯惇が現れそれを阻んだ。
 自分はただ、彼を取り返したかっただけなのだ。
 だのに、だのに!

 違(たが)ってしまったのは、どちらなのだろうか。
 先に壊れたものは、何だったのか。

 自分はただ、今までのように彼とずっと一緒にいたかっただけなのに――――。



 ぽろり。



 夏侯淵のつり目がちな双眸の端から、涙からこぼれた。

 栞喃は瞠目した。


「あんた……」

「あに、じゃ……」

「は?」


 どうして。
 どうして、自分よりも十三支の女を取った?
 悔しさと寂しさが彼女の胸を熱くする。ぎりりと歯軋りして嗚咽を漏らした。

 思い出せば、怒濤のように激情が押し寄せる。
 苦しい。
 辛い。
 熱い。

 どうして、彼女は夏侯淵の大事な人をあんなにも簡単に――――。
 半身、だったのに。
 自分達は二人で一つなのだとずっと信じてきたのに。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 栞喃がいることも忘れて夏侯淵は子供のように泣き続けた。

 栞喃は、それを困惑した面持ちながらもじっと声をかけずに彼が落ち着くまで待ち続けた。

 嗚咽が収まると、夏侯淵は顔を手で覆い、黙り込む。
 それでも、呼吸は震えている。しゃくりあげて、身体をはねさせる。

 そこで、栞喃は動いた。
 夏侯淵の顔を隠す手に顔を近付けて、甲をぺろりと舐めた。


 途端、夏侯淵がぎょっと手を離して栞喃を見上げた。みるみる顔が真っ赤に染まっていく。


「な……なん……っ!?」

「?」


 口を魚のように開閉させる彼に、栞喃は首を傾げた。彼女にとっては、当たり前のことをしただけであって、夏侯淵が何故そのような反応をするのか、理解出来なかったのである。

――――そして、思い出したように言うのだ。


「で、あんたの名前は?」



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