肆拾





 時の流れは止まらない。
 全てを連れて無情に過ぎていく。

 恥も下らぬ与太話。

 夢も下らぬ妄想話。

 痛みも風塵。

 記憶も砂塵。



 季節は巡り、雪解けの後に芽吹いた種は、新たな種を生むだろう。
 そうして、育んだ命は巡る。

 さも輪廻の如く、耐えることは無い――――。



‡‡‡




 桃の花が香る園に、若い少年が立っている。
 甘い香りを一杯に吸い込んで、心地良さそうに顔を弛めた。

 少年の青味がかった黒の頭にはぴんと立った猫の耳があった。花弁が掠る度にぴくぴくと動く。
 とろけるような微笑みを浮かべた少年は、不意に後ろを振り返って大声を張り上げた。


「おおーい!! 夏侯衝ー! 早くこっち来いよー!!」


――――直後である。
 声をかけた方角から薬を入れた小箱が飛来してきた。


「なうっ!?」


 それは寸分違わず少年の額中央に当たり、真上に弾かれた。
 少年は額を押さえながらそれを受け止めて相手をキツく睨みつけた。


「いってぇな! 何すんだよ夏侯衝!」

「うるっさい!! 夏侯充、あんた本当に五月蠅いわよ! 人間にバレたらどうすんの」


 ずかずかと大股に現れたのは少女だ。つり上がった目は少年――――夏侯充と同様に黒曜の如く黒く、怒りの色を濃く映し出している。

 夏侯衝と呼ばれた彼女の黒髪は腰にまで届き、尾骨からすらりと生えた尻尾と混ざって艶やかに煌めく。
 彼女の頭にも動物の耳があるのだが、夏侯充とは微妙に違う。どちらかと言えば、狼のように思えた。


「私達、ついさっき村の人達に追われたんじゃない。しかもここは村の桃園! どうしてそう鷹揚なのよ。あんたといると頭が痛くなるばっかりだわ」

「とか言いつつ俺と旅して一ヶ月くらいかかるよな」

「花弁の絨毯の上で死ぬ?」


 そっと腰に差した剣に手をやれば、夏侯充は咄嗟に両手を挙げて降参を示す。

 夏侯衝という娘は、容赦が無い。面倒見は良いが、短気のきらいがある。
 彼女と出会ったのもそうだ。出会い頭に山賊と勘違いされて渾身の力で殴り倒された。夏侯充がただの旅人で、猫族だと知るとすぐに謝罪をしてきたが、あの時は本当に、一瞬意識が飛んだ。

 以来同じ姓なのと、猫族、狗族の血を引く者として結構気が合って旅を共にしている。

 見聞を建前にして半ば出奔のように家を出てきた夏侯充と違い、夏侯衝は父親の代わりに兌州の許昌へ人を捜しに各地を放浪している。
 己も兌州出身だからと名前を訊いて見たのだが、夏侯衝は母親から父親に似ている人を捜せば良いとしか言われていないようだ。多分、双子乃至(ないし)、兄弟なのだろう。

 どうせだし、兌州に戻って彼女の手伝いをするつもりでいる。……両親からどやされるのが非常に恐ろしいが。見つからなければ良いのだ。見つからなければ。


「ったく、人が折角桃の木の下で酒に洒落込もうとしてんのに、ノリ悪いぞ」

「むしろあんたの馬鹿さ加減に嫌気が差してきたわ……」


 眉間に皺を寄せて、投げ出すように両手を挙げた。
 彼女の右手は、異形であった。
 有り得ぬ筈の指が親指の下から生えているばかりか、中指と人差し指が融合してしまっているのだ。

 彼女の身体が普通と異なる点は、それだけではない。
 左足は指が四本しか無いし、全身の所々に骨が突き出ている箇所がある。
 それでも平然と生きている彼女は、自身の身体に負い目を感じることは全く無かった。いつも凛然として、夏侯充と同じく表情豊かに生きている。


「馬鹿って言うな。頭が頗(すこぶ)る悪いだけだ」

「それを馬鹿って言うんでしょ。そして胸を張って言うな」

「だから馬鹿じゃねえって。っつうか、村人来る前にさっさと済ませちまおうぜ」

「は? 何を」


 夏侯充はその場にどっかと座って懐から酒の入った徳利を取り出した。……恐らくは、村からくすねてきたのだろう。
 嘆息する夏侯衝に、夏侯充はにっかと無邪気に笑って言うのだ。


「義兄弟の千切り!」

「千切ってどうする。そう言うなら契りでしょう」

「そうとも言う」

「そうとしか言わねーよ」


 「……しょうがないなあ」と、結局は彼女も夏侯充に付き合う。彼の前に座って、差し出された盃(さかずき)を手にした。
 それに酒を注がれ、桃の木々を見渡す。


「でも、何でまた義兄弟の契りなんか?」

「ん。だって同じ姓で混血だろ? 俺は人間の血の方が濃いけど。出会ったのも何かの縁だ。村人から逃げてる時、こりゃ義兄弟の契りを結ばなきゃ損な気がしてさ」

「随分と余裕だなおい」


 それに相変わらずの破天荒な思考だ。
 まあ、だからこそ一緒にいて、刺激的で楽しいのだけれど。
 どうやら本気であるらしい夏侯充に苦笑を浮かべ夏侯衝は盃を持ち上げた。


「確かに、それも悪くないわね。良いよ。今日から私達義兄妹ってことで」

「おう!」


 こつん、と縁を合わせて笑い合う。


「んじゃ、今日から俺達は兄妹だ。よろしくな」

「うん。よろしく」


 二人は同時に酒を呷(あお)った。






 季節は巡り、芽吹いた種は新たな種を生む。
 育まれた全ての命は等しく巡る。

 さも輪廻の如く、耐えることは無い。



―雪解けの後に、・完―


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