参拾壱





 蘭煕は、栞喃が事情を説明すると殊の外すんなりと受け入れた。
 確かに鷹揚な性格をしていそうだけれど、夏侯淵は人間であるのだから、もう少し警戒心などを持つ方が普通なのではないか。それに夏侯淵が以前この谷に迷い込んできた人間と言うことも、絹楠が蘇ったという話も、全くツッコまない。完全に流してしまっていた。

 人間が来たということよりも、彼女は栞喃の様子が気になったようで、夏侯淵が栞喃とこれからのことを話している最中もしきりに栞喃の横顔を流し目に見ていた。


「まあ、取り敢えず。あんたはまずその格好をどうにかしようか。防寒具持ってきてやるから。さすがに、もうここに人間が来るなんてことは男共も思わないだろう。ひょっとしたら、村の様子によっちゃ今日は谷から出られないかもしれないから、それは頭に入れといて。蘭煕もこのことは絶対に言わないどくれよ」

「うん。了解です」


 神妙に頷いた蘭煕の頭を撫でて、栞喃は足早に洞窟を出ていく。その直前に蘭煕が気遣って自分が村に戻ると申し出ていたのだけれど、栞喃が即座に『絶対に襤褸(ぼろ)出るから』と斬り捨てた。

 栞喃の姿が見えなくなると、蘭煕が含みのある笑みを浮かべた。夏侯淵を見やり、ふっふっふと笑声を漏らして歩み寄ってくる。

 夏侯淵は一歩後退した。


「な、何だ」

「夏侯淵さんが前に来てた人間だって訊いたけど、どうしてまたこの谷に来たの?」


 やはり、彼女は夏侯淵が前に来たことを気にしていない。
 鷹揚に過ぎる彼女に少しばかり呆れを抱きつつ、そう言えば、来た理由は話していなかったなと栞喃の説明の内容を思い出した。短縮する為に、所々省いていたのだ。

 狡のことも話していたようだし、彼女が知っても問題は無いだろう。
 そう思って包み隠さずに話してやると、蘭煕の笑みがより深くなったような気がする。


「ふーん……栞喃が処刑されるって思ったから、無事を確かめに……」

「それが、何だ」

「夏侯淵さんって、栞喃のことどう思ってるの?」

「は?」


 間の抜けた声を返してしまった。
 はっと口を隠すが、蘭煕はその手をが剥がしキツく睨んで答えを促した。

 ……いや、何故お前に言わなければならない。


「オレは、別に何とも思っていない」

「嘘。何とも思っていないならわざわざ来る筈がないでしょう?」


 夏侯淵は口を噤んだ。

 蘭煕は彼をじとりと見上げ、じわじわと追い詰める。
 夏侯淵が一歩下がれば一歩詰め寄り、二歩下がれば二歩詰め寄ってくる。

 蘭煕の目がまるで獲物を狙う猛禽類のようで、自分が今どのような状況下にいるのかよく分からなくなった。
 どうして栞喃をどう思っているか、そんな質問だけでこんな補食される側のような気持ちにならなければならないのだろう……。

 やがて――――夏侯淵は諦めた。頭を抱えて唸り、半ば自棄(やけ)になって声を張り上げた。


「……あいつのことは好きだ! これで良いか!?」


 直後、蘭煕の瞳がきらりと輝いた。両手の指を絡ませて顔の横に持って行って、頬を上気させた。


「やっぱりね!! 栞喃の様子を見ててもしかしてと思ったの! 凄い、これって種族を越えた愛だわ……!」

「……おい、ちょっと」

「私、応援するわ! 那鐘よりも絶対に頼りになりそうだもの!」

「……声が大きいと思うんだが」


 興奮した蘭煕の声は先程の夏侯淵の音量よりも大きい。
 さすがに声を大きくしていれば誰かが聞きつけてくるのではないのだろうかと危惧して彼女を止めるが、乙女の暴走は止まらない。


「私栞喃に言ってくるわ!」

「それだけは止めろ!!」


 それだけは、それだけはやってはならない。
 くるりときびすを返して洞窟を出て行こうとする蘭煕の肩を掴んで何とか引き留める。

 蘭煕は不満そうに唇を尖らせた。
 けれども、出て行こうとはしない。
 彼女の様子に安堵し、夏侯淵は吐息を漏らした。


「どうして言っちゃ駄目なの? その方が良い方向に転がると思うけれど」


 後半の言葉に少しだけ気を引かれた。けれど、そんなことは今は脇に置いておく。
 夏侯淵の思いを栞喃に知られてはならない。知れば必ず迷惑となろう。種族も世界も違う。仮に、万が一にでも、《そう》なった時、どちらかが己の過ごした世界を斬り捨てなければならない。それはあまりにも酷だ。


「そのことは、あいつには教えなくて良い。あいつが知るべきことじゃない」

「夏侯淵さん……」


 蘭煕は夏侯淵の表情に何かを感じたのか、しゅんと眦を下げた。


「……ごめんなさい。そうよね。種族が違うだけでも、簡単な話ではないものね。私ったら年上なのにはしゃいじゃって……不謹慎だったわ」

「……年上?」


 夏侯淵は目を瞠った。

 それに、蘭煕は目を半分に据わらせる。そうして、腰に両手を当てて上目遣いに夏侯淵を睨め上げた。
 そうして彼女の口にした年齢に、頓狂な声を上げた。

 まじまじと見つめる。


「……本当に、か?」

「本当よ」


 ……オレよりも年上じゃないか!
 夏侯淵は、ややあって蘭煕に頭を下げて謝罪した。



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