拾捌
夏侯淵達が落ち着いたのは、川辺だった。
ウサギを一羽しとめてそれを夕餉とし、栞喃に捌いてもらった後枝に刺し焚き火に翳して焼く。
焼き加減を見ながら、栞喃はちらちらと夏侯淵の様子を窺ってくる。何かを言いたそうだが、幾ら待っても何も言わない。
少々焦れて何事かと問いかければ、彼女は瞳を揺らして、言いにくそうに夏侯淵から視線を逸らした。
「……栞喃?」
「あ、あのさ……怒らないで聞いて欲しいんだけどさぁ」
あたしも兌州に行きたいなー……。
夏侯淵の表情を窺うように怖ず怖ずと言ってくる栞喃に、夏侯淵は一瞬だけ固まった。
それからすぐに我に返って、
「はあ!?」
「うわっ」
「お、お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか!?」
「分かってるから怒らないでって言ったんじゃん!」
頭を抱えて縮こまる栞喃に、夏侯淵は怒鳴った。
「こっちはもう人間ばかりなんだぞ! 狗族なんか一人としていない! さっきのような反応をする奴らばかりなんだ、ただ怯えられるだけじゃ済まないかもしれないのに――――」
栞喃は頭を下げその前でぱんっと両手を合わせた。
「お願いだから! 出たからにはじっくりと人間の世界を見てみたいんだよ。今帰ったら、もう出てくることは無いだろうしさ。それに、もうちょっと話が聞きたいから夏侯淵と一緒にいたいかなーなんて」
「な――――」
途端、夏侯淵の顔が爆発する。
彼は牡丹のように真っ赤に染まった顔を片手で覆い隠し、栞喃に背を向けた。頭を抱えて長々と吐息を漏らした。
こいつは、どうしてこうも人の気も知らずに……!
栞喃の言葉は、このまま彼女と別れて良い思い出にしようとしている自分の決意を鈍らせる。どのように思われているとも知らずに夏侯淵の想いを考え無しに揺さぶってくる。
肩越しに振り返れば、やっぱり駄目かとしゅんと肩を落とす栞喃。その耳はくったりと倒れてしまっている。
その様に胸に迫るモノがある時点でもう手遅れなのだが、夏侯淵は知る由(よし)も無い。
「……勝手にしろ」
疲れたように許可を出せば、彼女の耳がぴんと立つ。
……大丈夫だろうか。色々と。
彼女の見た目は最低限隠さなければならないだろう。耳は……猫の耳とは違うし、尻尾は絶対に見られてはいけない。
されども、全身を隠すようになってしまっては却(かえ)って怪しい。
ここを発つまでに、何とか考えなければ……。
栞喃に背を向けたまま、夏侯淵はこめかみを押さえた。
‡‡‡
――――翌朝。
「夏侯淵。尻尾は一応服の中に仕舞ったけど、何か気持ち悪いよ」
「仕方がないだろう。我慢しろ」
身体をくの時に曲げて外套の下で尻をさする栞喃に、夏侯淵は吐息を漏らしながら咎めた。
結局、尻尾は栞喃の衣服に隠させることにした。本人は非常に不満そうだったが、夏侯淵ではそれ以外に隠し方が見つからなかったのだ。
頭に頭巾を被せながら、夏侯淵は耳が目立たない程度に潰れていることを確認する。
「潰れていると、音が良く聞こえない……」
「オレが何とか周囲に気を配っておく」
むうと唇を尖らせる栞喃に苦笑を漏らし、「お前が来ると言ったんだぞ」と頭を撫でてやった。
すると栞喃は押し黙る。夏侯淵が撫でた頭に手を置き、薄く頬を赤らめてそっぽを向く。
「拗ねるな。谷に返すぞ」
「わ、分かってるよ、もう……」
夏侯淵から逃げるように距離を取って、何事かをぼそぼそと呟く。早口だったから、夏侯淵には聞き取れなかった。
「行こう、夏侯淵」
「ああ」
肩越しに夏侯淵をじとりと睨んできた彼女は、素っ気なく言って大股に歩き出した。
何か、気に障ることでもしたか?
夏侯淵は栞喃の様子に首を傾げつつ、その後を追いかけた。
山道を下りる間にも、栞喃はしきりに尻尾と耳を気にしていた。外套の下でも尻を撫でる様子が分かったから咎めたけれど、慣れていないのだからそれも仕方がない。せめて人のいる場所ではしないように気を付けておけと、続けて言い聞かせた。
山を下りると、旅の商人とすれ違った。彼に近く町は無いか訪ねると、ここから半日歩いた先に大きな町があると答えてくれた。
昨日あのまま歩いていても、きっと到着出来ずに日が暮れてしまっていた。あそこで野宿をしておいて良かったと思う。
「まずはその町に行ってみよう。そこで詳しい位置が分かれば、兌州にどう行くかも考えられる。金が無いから暫くは野宿になってしまう、良いか?」
「うん。構わないよ。水浴びとかで何とかやっていけば良いだろうし。その辺は仕方ないよ」
この時に至ると、栞喃の機嫌も良くなっていた。
そのことに安堵しながら、夏侯淵は栞喃に手を差し出した。
するときょとんと首を傾げる。
「何、これ?」
「念の為だ。ふらりと何処かに行かれて迷子になられたら困る」
「さすがにしないよそれは!」
「自信を持って、そう言えるのか?」
沈黙。
「……あんまり」
悔しそうに呟く栞喃に、夏侯淵はそれ見たことかと鼻を鳴らした。
キツく睨まれて、肩をすくめてみせる。
「良いから、行くぞ」
「……へーい」
そっと躊躇うように栞喃の手が重なる。
その小さな手を、彼はぎゅっと握り締めた。
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