拾弐





 洞窟の夏侯淵を訪ねると、彼は一人空を眺めていた。

 彼の分の食料を手渡すと、手短に礼を言って口に入れる。腹が減っていたようだ。村出てすぐここに来るべきだったかと、少しだけ申し訳なくなった。

 靄(もや)が周りにいないことに安心して栞喃が夏侯淵の隣に腰を下ろすと、彼はうっとなってちょっと距離を取る。
 それを見やって首を傾げると、何でもないと少々乱暴に首を左右に振った。少しだけ頬が赤いのは何故だろうか。風邪かと思って顔を近付ければ、彼は今度は大幅に離れてしまう。


「どうかしたのかい」

「いや……ちょっとさっきまで、」


 言い掛けて、口を噤む。


「さっきまで?」

「――――っ、何でもない!」


 ついには背中を向けてしまう。
 栞喃は首を傾けた。


「変なの」


 まあ、良いか。
 栞喃がそれ以上夏侯淵に接近しなくなると、彼はほっと吐息を漏らす。

 怪訝に見やると、コホンと一つ咳払いをして、


「……っと、ところで、狗族にはまだオレのことはバレていないのか?」

「ああ。親父様も、話していないようだったよ。この洞窟にも、誰も近付いていないみたいだし」


 だが、それも時間の問題である。
 夏侯淵の傷の治りが早いか、それとも狗族の者に見つかるのが早いか――――。

 状況はよろしくないというのに、今の時間のなんとゆったりとしたものか。
 栞喃は他愛ない話をふっかけては夏侯淵との会話を途切れさせないように努めた。
 嫌な予想を振り払いたいという思いもある。
 それに加え、ただでさえここは静かなのだ。のんびりするのも好きではあるけれど、どうしてかこの場では会話が無いといたたまれない。心なしか、ほんの少しだけそわそわしてきた。おかしい。来た時はそんなことは無かったのに。


「……あのさ、夏侯淵。人間の世界って、やっぱり戦ばっかりなの? あんたの周りって、どんな感じ?」


 話題が無くなったところで、そう切り出してみる。
 すると、彼は寸陰固まって躊躇うように視線を流した。瞳が揺れる。

 彼の様に、目覚めてすぐに泣いていた姿を思い出した。
 兄者、とか言っていたけれど……そう言えば詳しくは訊いていなかったな。
 言い辛くなければ話してもらいたいが、夏侯淵は苦虫を噛み潰したかのような、苦渋の滲んだ表情をしている。……これは、聞かない方が良いかもしれない。

 栞喃は苦笑して彼の肩を叩いた。


「話したくないのなら、話さなくて良いよ」


 小さく謝って、岩壁にもたれた。ひんやりとした温度に一瞬だけ離した。
 それ以後は二人、何も話さずにただ時を過ごす。

 どれくらい経った頃だろうか。


「……オレには、兄弟のように育った人がいるんだ」

「ん?」


 唐突に、夏侯淵が口を開いた。

 栞喃は横目に彼を見やる。


「実の兄のように慕っていた人だ。戦でもオレ達は共に戦い――――それがこれからも当然なのだと信じていた。けど、兄者は違ったんだ」


 自分達が仕える人物が十三支の村を見つけ、彼らを兵士として軍に組み込むことを決めた時すでに、そうなることは決まっていたのかもしれない。
 十三支の中で抜きん出た武と、良すぎる器量を持ち合わせた女――――関羽。
 関羽は段々と彼に近付いて、夏侯淵から彼を連れて行ってしまった。太い線に仕切られた向こう側へ。

 気付けば自分は置いて行かれていて。
 自分のこの手が届かない場所にまで行ってしまっていて。

――――当たり前だった世界が壊された直後に訪れた突然の孤独に、耐えられる訳もなかった。
 どうしても自分の世界を元に戻したくて、自分は関羽を殺そうとした。

 そうして……逆に自分が彼に殺されてしまったのだ。
 もう、人間の世界では自分は死んでいる。

 掠れた声で夏侯淵は語った。

 それから黙り込んだのを見て、


「じゃあ、あんたはここを出たらどうするんだい。死んだことになってるってんなら、あんた、兌州には戻れないんじゃないのかい?」

「……ああ。だから、その辺を放浪して、適当な山の中に居着くつもりだ」


 山賊になり下がるつもりはないが、山暮らしならきっと兄者達に見つかることは無いだろうから。
 これが自分の罰だと思えば――――。
 目を伏せて自嘲に笑う彼に、栞喃は目を半分に据わらせた。

 そして、突拍子も無く頭を叩いた。


「いてっ」

「ばっかだねえ、あんた」

「馬鹿だとっ?」

「んな会いたいって書いてある顔で言うんじゃないよ。自嘲するのは良いけど、本心ただ漏れじゃ説得力も無いし、嘘っぽく聞こえるよ」


 ぽん。
 今度は叩くのではなく、置いた。少しばかり硬い髪の毛を梳くように撫でた。

 夏侯淵は途端に頬を赤くして視線を地面に落とす。


「会いに行きゃ良いじゃないか。死んだことになってるとか、あちらがどう思ってようがあんたは生きてるんだから。それを見せに行きなよ。拒否られたら……まあ、そん時考えろ!」

「最後投げやりじゃねぇか」


 ツッコミを入れた彼に、「人生行き当たりばったりなんだよ」と断じる。
 撫でていた手を離してこめかみを小突いてやった。


「けど、今はそれを考えるよりも、怪我を治すことに努めなよ。会いに行くかどうか決めるのは、この谷を出てからのんびり考えりゃ良い。生き物の生は短いが、感じる時間ってのは案外ゆったりしたものなんだからさ。考える暇は幾らでもあるよ。人間の世界のことは知らないから、必ずしもそうだとは言い切れないけどね」


 言いながら、栞喃は狩りに使う得物を取り出す。
 立ち上がって胡乱げに見上げてくる夏侯淵に「狩りに行ってくる」と。


「また戻ってくるから、眠たくなったら寝てて良いからね」

「……残念だが、眠くはない」


 最近することが無い所為で、寝すぎなんだ。
 不満そうに漏らす夏侯淵に栞喃は笑声を漏らした。


「じゃあ、何か玩具(おもちゃ)でもあげようか?」

「……」


 無言で石を投げつけられた。



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