兌州、市街。
 人間で賑わう町中を歩く者達が二人。
 一人は、女性だ。肌を一切晒さぬ身形で、顔すらも隠している。布の材質から相当の身分の者であろうことは、誰の目からも察せられた。

 されどその女性の手を引く子供が、周囲から顰蹙(ひんしゅく)された。頭にぴんと立った猫の耳に、黒の金の目。
 その子供は十三支の上に、四凶だったのである。


「お姉さん、大丈夫? 前よりは平坦な道だけど、歩きにくくない?」

「ええ。ありがとうございます、泉沈」


 頭を撫でようとして伸ばした手は避けられる。


「頭は、撫でちゃ駄目」

「……そうでしたね。ごめんなさい」


 十三支の四凶が、恐らく目の不自由な女性を助けている。
 そして、女性は自身を助けてくれる子供が十三支で、四凶であることに気付いていない。
 周囲の人間は二人の様子を観察し、そのような印象を抱く。

 と、そこに兵士が駆け寄ってきた。


「貴様ら! 止まれ!!」

「……あら、何か遭ったのかしら」

「さあ。取り敢えず、今日の宿を見つけなくっちゃ」


 十三支は女性に関係無いとばかりに強めに手を引いた。女性は彼の言葉を疑うこと無く頷いて従った。

 だが、兵士はその態度に憤り、女性の肩を乱暴に掴む。

 刹那、女性は甲高い悲鳴を上げた。十三支の手も兵士の手も振り払ってその場にうずくまり、自身の身体を強く抱き締める。がたがたと瘧(おこり)のように肩を震わせて、何かに酷く怯えている様子だった。

 兵士は女性の異変に驚いて、茫然と彼女を見下ろした。


「え……な、何だ? 肩に何かあったのか?」

「あーあ……最低」


 どよめく周囲を流し目に見た十三支は兵士に吐き捨てるように言うと、女性の側に腰を下ろしてそっと背中を撫でた。


「お姉さん。ここに黄巾賊はいないよ。ここは兌州だ。お姉さんを虐める人達はいないから、そんなに怯えないで」

「あ……あぁ……!」


 女性の震えは収まらない。十三支の言葉も届いているか怪しい。

 黄巾賊。
 彼の口から出た言葉に、兵士はまさか、と思う。
 彼女の怯えようは、黄巾賊に襲われたことがあるからなのか? 兵士に肩を掴まれたことで嫌な記憶が蘇ってしまったのだと――――。

 女性に声をかけようとすると、十三支が牽制するようにキツく睨め上げた。黒と金の双眸に込められた殺意にたじろいだ。数歩、後退する。

 そんな折、


「何だ、この騒ぎは!」


 背後から鋭い声が飛ぶ。

 兵士は反射的に背筋を伸ばし、背後を振り返った。
 そこには吊り目に剣を滲ませこちらに大股に歩いてくる彼は、夏侯惇。この兌州を黄巾賊の手から救った曹操の臣下である。
 兵士は拱手(きょうしゅ)し、苦々しく女性を見下ろした。


「実はこの娘、黄巾賊に襲われた過去があるようで、その記憶をどうやら私が思い出させてしまったらしく……」

「黄巾賊に? ……この十三支、は?」


 色違いの目に彼は目を瞠る。咄嗟に腰に佩(は)いた剣に手を伸ばした。だが、彼はこの十三支に既視感を覚えていた。何処かで見たような気もするが、はっきりと思い出せない。

 十三支の子供は夏侯惇を冷めたように見上げ鼻で笑うと、女性を見下ろして優しく語りかけた。


「大丈夫だから。ここには黄巾賊はいないんだよ。ね? ほら、立って」


 女性の手を優しく取って促せば、ようやく落ち着いたらしい彼女は小さく頷いて立ち上がった。


「ああ、ほら。うずくまっちゃったから服が汚れちゃった」


 十三支が彼女の服に付いた砂埃を払い落とす。

 それに、女性は前に顔を向けたまま謝罪し、礼を言うのだ。


「彼女は目が見えないのか?」

「は……そのようで。子供が十三支の四凶であるとは気付いてないようです」


 「はい、終わりー」と十三支がぎゅっと手を握って、女性に笑いかけた。


「ありがとうございます。ええと……先程、わたくしの肩を掴まれた方はどちらに……」

「ん? 後ろー」


 十三支が言うと、女性は「え」と漏らして慌てて身体を反転させた。がばりと腰を直角に折り曲げるが、兵士とはまだ若干方向が違う。
 十三支が小さく噴き出した。


「あ、あら、泉沈? わたくしまた間違っているのでしょうか」

「微妙にねー。ま、良いと思うよ。だってこの人の所為で思い出しちゃったんだからさー。謝るのはこっちじゃなくてそっちでしょ」


 ひらひらと片手を振ってぞんざいに言い放つ十三支に、兵士は剣に手を添えた。嫌なことを思い出させてしまった手前女性に対しては心を配るが、十三支の四凶に配る心も礼儀も無い。

 彼を十三支と知らぬ女性は姿勢を正すと彼を振り返った。が、残念ながらそちらに十三支はいない。


「いえ、しかし、彼はわたくしに何が遭ったかなんてご存知ありませんし……」

「あ、その人女の人だから」

「え!?」

「という嘘。ちなみに僕はそっちじゃなくてこっち」


 手を掴んで知らせる。
 女性はまた声を漏らした。


「わ、わたくしったら……ご、ごめんなさい」

「いやー、もう慣れたし良いよー。そんなことより宿決めようよー」

「待て」


 夏侯惇は、十三支の前に立ち、その顔を探るように凝視する。
 十三支はにこにこと笑顔で返して夏侯惇を見上げる。しかし、その目だけは嘲りしか無かった。


「なーにー? 吊り目のお兄さん」

「……十三支の四凶は出て行け。ここは人間の国だ、貴様のいて良い場所ではない」

「やだ」


 そこで、女性が口を挟んだ。


「……あの、十三支の、四凶とは誰のことなのでしょうか?」


 彼女は本当に十三支の正体に気が付いていないようだ。子供自身が悟られないよう留意していたのかもしれないが、目が見えないと、人は材料を揃えられずにここまで判断力は落ちる。

 女性を一瞥し、ふとちらりと垣間見えた口元に火傷跡を見つけた。それは恐らく広範囲に広がっているだろうと窺い知れる。目が見えないのは、火事で損傷したからなのか。


「お前を連れていたのは十三支、そして四凶だ」

「泉沈が? そんなことは有り得ません。だってこの子はわたくしの村の隣村の村長さんの姪の従兄弟が住んでおられる村の隣村の出身だと伺いました」

「……」


 夏侯惇は、呆れた。


「何だ、それは」

「いえ、ですからわたくしの村の隣村の……」

「もう良い」


 この女性は馬鹿なのか、それとも極度のお人好しなのか。
 十三支の四凶の言葉を完全に信じきっている。
 目が見えないだけで、こうも違ってくるとは。


「あの……駄目だと仰るのなら、わたくし達はこの町を出て行きましょう」

「でも火傷、包帯換えて薬塗らないと駄目でしょ」

「それは、また外でやれば良い話ですから」


 女性は夏侯惇達を振り返り――――とは言え、やはり方向はズレてしまっている――――丁寧に、深々と頭を下げた彼女は十三支を呼んで歩き出す。十三支に手を引いてもらい、たまに躓(つまず)きながら歩いていく。

 風が、吹いた。
 女性を通り過ぎて夏侯惇の髪を弄(もてあそ)んだそれは彼の鼻孔にも入る。
 瞬間香った匂いに目を剥いた。

 その香りは以前嗅いだことがある……ような気がする。はっきりとは覚えていなかった。
 脳裏に浮かんだその姿を、夏侯惇は首を振って振り切った。



 女性を呼び止めようと口を開いた時には、すでに二人の姿は何処にも無かった。



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