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大広間に駆け込むように入ってきた男は、公孫賛とは似ているものの、狡猾そうな顔が鼻についた。
彼は大股に公孫賛に歩み寄ると、関羽に汚らしいものでも見るかのような冷めた一瞥をくれた。
「公孫越。丁度良いところにきた」
「趙雲が十三支を連れ戻ったと聞いたが、それは本当だったか」
公孫越。では彼は公孫賛の血縁者か。
幽谷はあまり良い印象を受けぬ彼を見上げて片目を眇めた。
「この者達を含めた猫族数百名。蒼野に住まわせることにしたぞ」
公孫越は眉間を押さえた。ふらりとよろめいたのは恐らくはわざとだ。
「兄上、正気ですか? 汚らわしい十三支を受け入れなどしたら近隣諸国より何と言われるか……」
第一、こやつらが民を襲いでもしたらどうするおつもりか!?
関羽を指差す。
それを背に庇って、幽谷は「お言葉ですが」と反論する。
「猫族は非常に穏やかな方々です。彼らが襲うのだとすれば、それはその民に原因があるのでは?」
「何……?」
「たかだか己と違う見てくれだけで忌まわしいと決めつける、それは十分浅慮であるかと。人は思考する生き物でございますれば、狭い思考で考えますのは愚かな所行かと存じます」
公孫越は幽谷が人間だと思っているようだ。舌打ちし、「ここにもまた血迷った者が……」と呟いた。
「公孫越、失礼なことを言うな。猫族はそのように野蛮ではない。争いを好まぬ心穏やかな種族だ」
「そこまで十三支に肩入れするとは、どうやら兄上はいまだにあの女のことを引きずっておられるようだ」
兄上をたぶらかした、あの卑しい女を……。
即座に公孫賛の鋭い叱責が飛んだ。今までの穏やかな顔は一転し、眦はつり上がって怒りを露わにする。
卑しい女とは、猫族だったのだろう。だから彼は、このように猫族に対して偏見を持っていないのか。
公孫越の言葉から察するに、昔の話のようだが……後で、世平に相談してみた方が良いのかもしれない。
公孫越はさすがに言い過ぎたかと、苦虫を噛み潰したように唇を歪め、心の無い口だけの謝罪をした。
「どうしよう……これ以上兄妹で仲違いしてしまったら……」
「関羽様」
厄介事に関羽が巻き込まれることだけは避けておきたい。
何か良い方法は無いか。
幽谷は関羽を背に庇いながら公孫賛達を見上げた。
「先の董卓討伐において、奴ら十三支が活躍したという話を聞きました」
「……何が言いたい?」
「もし彼らが我が幽州の兵となるのであれば私も喜んで迎えましょう」
「お断りします」
即座に幽谷は口を挟む。それだけは、許さない。猫族は今まで望まぬ戦を強いられたのだ、また戦に駆り出されるなど以ての外。
公孫越にキツく睨みつけられても、涼しい顔で見つめ返す。
公孫賛も幽谷の言葉に頷き、拒絶の意思を見せた。
それに、関羽も揺らいで幽谷を呼ぶ。
「わたしも公孫賛様のお力になりたい。でもまた戦うことになったらみんなも……」
「ですから私が暗殺を」
「それは駄目よ。何か無いかしら、皆を巻き込まずにやれることって……」
そこで、妙案を思い付いたようだ。何となく嫌な予感がする。
関羽は顔を上げて公孫越を呼んだ。
「公孫越様。戦は何も武器を振るうだけが戦いではございません」
「関羽?」
「わたしたち猫族は、戦闘能力もさることながら、その素早さ、身のこなしでも名を博す一族です。例えば、気になる諸国の動向を探ってくることなもがっ」
「駄目です。私が許可しません」
間者になろうとしているのだ、彼女は。
それは許すまじと、幽谷は即座に彼女の口を塞いだ。
間者など、捕まれば即拷問、最悪斬首だ。そんな危険極まる行為など、どうして許せようか。いいや、許せる筈もない。
趙雲も慌てた風情で関羽の肩を掴んだ。
「お前……何を言ってるんだ!?」
が、公孫越はものの見事に食いついて。
「なんと、それは真か! であれば、是非とも我が国の諜者として使うべきではないか!」
「何度言えばわかるのだ。私は猫族には平和に……」
「ぷはっ――――公孫賛様! 公孫越様! お望みであればこの関羽、どんな国にでも行って参ります!」
ぴき。
幽谷は自分のこめかみに何かが浮かんだような気がした。
‡‡‡
結局、関羽は半年の間曹操のいる兌州に行くこととなった。
兌州とは、曹操が新たに手に入れた国だ。そこにいたらしい黄巾族も軍門に迎えたと聞く。
関羽は一人で行くつもりであった。勝手に無謀なことを決めて言い出したのもそうだが、幽谷を蒼野に置いて単身危険に飛び込むことも腹立たしい。公孫賛の為に何かしたいという気持ちは分かる。だが、また一人で危ない橋を渡るなんて……まして、曹操の国に行くなどと!
彼が強く求めていたのを覚えていないのか。
関羽は幽谷の不機嫌さを察しているのか、趙雲を間に挟んで城の廊下を歩く。時折、幽谷の様子を探るように趙雲の身体から覗き見るが、ふと震えた声で、
「あ、あの、幽谷」
「あなたがこんなに馬鹿だとは思いませんでした」
「うう……」
猫族がようやっと人間の勝手から逃れられたと思ったのに、なんて展開だろうか。
幽谷は舌を打った。
「私も行きますよ」
「え、でも」
「勝手に決めて下さいましたあなた様に拒否する権限があるとお思いで?」
笑顔で言ってやれば関羽は震え上がった。
「ご、ごめんなさい!」
「……珍しく、怒ってるな」
「私は猫族全ての方々が平和に暮らせることを願っていたのです。それなのに、自ら諜者を申し出るなどと……諜者など関羽様にまっとう出来る筈がありません。それに曹操の国となれば許せる筈もないでしょう。……公孫越を今すぐ殺してしまいたいくらいです」
関羽が見つかれば、曹操は軍に取り込もうとするだろう。あの時の形相、きっと手段は選ばない。
彼の執着はあまりに強すぎる。本調子ではないだろうが、安易に関羽を彼に近付けたくはなかった。
公孫越を殺してこの話を白紙に出来るのであれば、今すぐにでもその首を取りに行きたい。
笑顔のままそう言うと関羽はざっと青ざめた。
「そ、それは絶対駄目!」
「ですから、私も同行するのです。私の方が諜者として関羽様以上の働きは出来ます。よろしいですね? 関羽様」
「……は、はい」
暫くは、幽谷には絶対に逆らわないようにしよう。
関羽は、そう誓うのだった。
○●○
彼女だってこんな怒り方をするんです。こういう時は長く続きます。
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