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『公孫賛様からは何か困ったことがあれば頼って欲しいと言伝を預かっている。今がその困った状況だろう?』
果たして、猫族は一旦村を離れ、右北平へ行くこととなった。
勿論全ての猫族が彼の提案を受け入れた訳ではない。村に残った者達は不安を隠せないでいたし、戦力として出ていた者達も人間に頼ることに納得はしなかった。
偏(ひとえ)に、猫族の長が決めた故のことである。猫族の宝が、猫族の皆が一緒で、公孫賛の世話になると決めたのであれば、猫族にも異論は出ない。
趙雲に案内を頼み、猫族は右北平を目指す。
だが、そこで一つの問題が持ち上がった。
――――泉沈だ。
「この子は、如何致しましょう」
「……? この子は?」
今気が付いたらしい趙雲が泉沈を見下ろし、首を傾けた。
泉沈は未だ幽谷の腰に腕を回しているのに、どうして気付かない。
「泉沈という名前の……」
「幽谷のお姉さんと同じ四霊だよ。お姉さんとは黄河で会ったの。お兄さんはだーれ?」
幽谷が腰から離し、趙雲の前に立たせる。
「俺は趙雲だ。しかし、四霊とは……四凶ではないのか?」
「四凶はお兄さん達人間が勝手に呼んでるんだよ。僕も幽谷のお姉さんも、四霊だよ」
にこにこ。
にこにこ。
彼の笑顔は、今はただの笑顔だ。
嘲るような色は全く無い。
趙雲は感心したように頷いて、
「では、これからは四霊と呼ぼう。すまなかったな」
「うん。お兄さん人間の割に理解が早いから許してあげるよ」
「せ、泉沈!」
関羽が慌てて咎めるが、泉沈には悪気がまるで皆無だ。叱っても首を傾げるばかり。
趙雲も彼が子供であることを分かっているのか、寛大に関羽を止めた。
すっかり趙雲から興味を無くした泉沈は、また幽谷の腰に抱きついてくる。張飛や関定も呆れるくらいに、彼は幽谷に懐いていた。
得体の知れない子供ではあるが、こうも懐かれては邪険にも扱えない。幽谷は彼の接し方に戸惑っていた。
「この子も連れて行くのか?」
「さあ……私には決められませぬ故」
「えー。僕幽谷のお姉さんと一緒にいたーい」
「……関羽様」
どうしようと決めかねて関羽に助けを求めると、彼女は泉沈を見下ろし、頬に手を添えた。
「ううん。……人間の都に行くのだし、泉沈は嫌じゃない? 嫌がらせ受けたりするかもしれないけれど……」
「その時は簡単だよ。殺せば良いんだよ」
「いえ、そういうことはしないで穏便に……」
「だって人間は僕らを殺そうとするじゃん。なのに僕らが殺しちゃ駄目ってことは無いでしょ?」
感覚がまるで違う。
幽谷は頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
泉沈はふと劉備に目を向けて、
「人間はね、恩知らずの種族なんだよ」
含みのある風に言った。
しかし関羽や趙雲が問いかけようとすると、その前に泉沈は幽谷を離れて趙雲の馬に駆け寄った。その馬は、趙雲が何を言わずとも追いかけて来る程、彼に非常に懐いていた。
「お前も大変だねぇ。人間に飼われちゃってさ」
首を撫でる彼に、馬は首を寄せて目を伏せる。
四凶……いや、四霊には、動物が懐くのだろうか。
幽谷は彼を見つめながら、溜息をついた。
「同じ猫族の血を継ぐ泉沈をこのまま置いていく訳にはいかねぇしな……あいつを人間に接触させないように、俺たちでも気を配ってみよう。幽谷、骨が折れるとは思うが、あいつの感覚を正してやっちゃもらえねぇか。泉沈はお前に一番懐いているし、俺たちが諭すよりも、同じしきょ――――いや、四霊の方が聞き入れてもらえるだろう」
「……可能かは分かりませんが、全力を尽くします。申し訳ありません、私が安易に連れてきたばかりに」
「いや、良いんだ。ここで会ったのも何かの縁。むしろこちらが申し訳ないが、頼むぞ」
四凶として人間達に受けた仕打ちであのような性格になってしまったのだとしたら厄介だが、だからといってこのまま放置しておいて良いものでもない。時間はかかるだろうが、根気良くやれば人間を殺すことくらいは止めさせることは出来る……だろうか。
不安を感じながらも、幽谷は世平の言葉にやおら頷いた。
泉沈は未だ、馬と話している。
‡‡‡
「ねえ、泉沈」
猫族の村を離れて暫く。
関羽は幽谷と手を繋いで歩く泉沈に躊躇いがちに声をかけた。
「どうしたのー?」
「あのね、答えにくかったら良いんだけど……ね? 泉沈って、女の子? それとも男の子?」
それは幽谷も気になっていることではあった。ただ、訊ねる暇が無かったし、それ程重要なことでもなかったのでそのまま訊かずにいたのだが、分かるのならば聞いておきたい。
泉沈はきょとんと首を傾げた。緩く瞬き、ふと悪戯っぽく笑った。
「関羽のお姉さんは、どっちだと思う?」
「え? え……ええと、男の子……かな?」
「ふうん? じゃあ、それで良いや」
さらりと彼は言って退けた。
関羽は素っ頓狂な声を上げた。
「ええっ? そ、それで良いの?」
「うん」
あっけらかんとした泉沈の態度に関羽は困ったように眉を下げた。
それを面白がって、泉沈はけらけらと笑った。彼女の反応を面白がっているのだ。
これはさすがに咎めるべき、だろうか。
「じゃあさ、幽谷のお姉さんはどっちだって思う?」
「え……私は、……どうでしょう。あなたの姿はどちらとも取れますし、一人称でも性別は推し量れないでしょうし……どちらなの?」
「さあ、どっちでしょー?」
掴み所の無い態度である。
性別を知られたくないのか、それとも単に自分達をからかっているのか。
どちらとも分からない幽谷は眉根を寄せた。
すると、不意に。
「幽谷」
「あら、趙雲」
後ろに回っていた趙雲がこちらに混ざった。
幽谷を呼んだ彼は彼女の手を掴み泉沈に謝って手を外させる。
「少し話があるんだ。良いか?」
「……はあ」
ちら、と関羽を見る。
関羽は趙雲を不思議そうに見上げたが、幽谷と目が合うと頷いて見せた。
幽谷はそれを少々残念に思いながら、趙雲に手を引かれるままに従った。
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