洛陽の美しい景色に火をつけ、民を無理やり引き連れ、遷都を行った董卓。

 悪逆非道の限りを尽くす董卓と、その所業に誰よりも憤り、天誅を下さんと進軍した曹操。
 天が味方をしたのは――――董卓だった。
 逃げる董卓の後を追った曹操は、罠に嵌り重傷を負う。
 董卓はそのまま長安へと逃げ切った。

 この戦いの結末は、猫族たちに自由をもたらした。
 曹操の支配から逃れた猫族たちは、故郷への帰路につく。
 董卓の動向を不安に思いながらも、彼らの心は解放され喜びに満ちていた。

 猫族たちは歩調早く、村へと急ぐ。


 ……争いから逃れることが出来たのだと、そんな幻想を抱きながら……。




‡‡‡




 その景色は、あまりに凄惨なものだった。


「……んだよ、これ」

「どうしこんなことに……」


 猫族の村は、燃え尽きていた。
 洛陽のように、黒こげで、久しい故郷の面影はほとんど残ってはいなかった。

 泉沈を除く猫族の者は、皆色を失った。


「お前たち。落ち着け。まずはみんなの無事を確認しよう。村の中を探すぞ!」

「う、うん。分かった! 幽谷!」

「御意。泉沈。あなたは、劉備様と共にここにいて」

「はーい」


 泉沈は笑顔で頷く。彼の状況に相応しくない態度には、もう何も言わないでおく。彼の感覚は自分達とはかけ離れているのだ。
 得体の知れない泉沈を劉備と二人きりにさせておくのは不安だけれど、今は状況が状況だ。猫族の一人が彼らのもとに残ってくれるそうだし、多分大丈夫、である筈だ。

 走り出した関羽に従って、幽谷は地を蹴った。



‡‡‡




「誰かいないの? お願い、返事をして!」


 焦げた臭いが鼻腔を突く。
 人の気配は全くといって良い程無かった。かといって、猫族の亡骸も、死臭も無い。
 幽谷の中には、何処かに避難しているのかもしれないと、密かに希望があった。ただ、ここを襲撃してきた者が連れ去ったのではないかとの可能性もあるのだけれど。


「おーい!! 隠れてないで出てきてくれー!!」


 幽谷が近くの小道を覗き込んだ直後だ。
 視界の隅に動く者が在り、それもこちらに気付くなり声を上げた。


「だ、誰だ!?」

「幽谷にございます」


 小道に立って頭を下げると、後ろにも関羽と張飛が立つ。

 相手は、――――村に残していた猫族の男は、彼女らに気付くと安堵したように相好を崩した。


「よかった! 無事だったのね!」

「ああ、俺たちは全員無事だ! お前たちは大丈夫だったか!? 劉備様はご無事なのか!?」

「うん。劉備も他のみんなも全員無事よ」


 関羽が大きく頷けば、彼は大仰に安堵して吐息を漏らした。

 それから村の惨状の原因を尋ねると、彼は笑顔を消し、苦々しく、悔しそうに顔を歪めた。拳を堅く握り締める。
 曰く。突如として人間の襲撃に遭ったそうだ。人間達は武装しており、村に残っていた猫族は即座に逃げた。そして戻ってみると、もうこんな有様だったという。
 人間達が、火を放ったのだ。


「……くそっ! 俺たちが何をしたって言うんだ!」

「そいつらはどこの軍のヤツらだった!? オレがぶっ飛ばしに行ってやる!!」


 しかし、逃げること、逃がすことに必死だった為、詳しいことは分からないと言う。
 張飛は息巻いてすぐ側の家屋の壁を殴りつけ、歯噛みした。


「くそ! どこのどいつだよ! こんなことしやがって、ぜってー許さねー!」

「落ち着いて、張飛。それより今はみんなと合流しましょう」

「関羽様。私は近くを調べて参ります。まだ、手がかりが残っているかもしれませぬし、兵士が彷徨いているやもしれませぬ故」


 そっと関羽に耳打ちすれば、彼女は頷いた。


「ええ。でも、気を付けてね」

「関羽様も。では、失礼致します」


 幽谷は関羽達に頭を下げ、足早にその場を立ち去った。

 歩きながら近くの鳥達を呼び出して情報を集める。彼らに話を聞く限りでは、この辺に人間の兵士はいないようだ。村を燃やして早々に立ち去ったのか。
 偵察を頼み、幽谷も村を出た。駆け出して周囲を隈無く調べてみても、人間の気配は無い。


「いない、と判断しても良いのかしら、ね……」


 鳥達からの報告も聞き、幽谷は独白する。
 一体誰が、猫族の村を襲撃したのだろう。
 頭に思い浮かんだのは董卓である。されど、彼は今長安へ遷都し、とてもこちらに軍を差し向けられるような状態にはない。
 では、曹操?
――――いいや、それこそ有り得ない。あれは今や満身創痍だ。

 情報の少ない今の状況では判断することは難しかった。
 もう暫く、周囲を調べていよう。ほんの少しの手がかりでも良いから、集めよう。
 幽谷はもう一度周囲を見渡すと、地を蹴り上げた。



‡‡‡




「みんな、だいじょうぶかなぁ」


 劉備は不安そうに呟いた。
 泉沈はその隣に座り込んで、欠伸を繰り返している。

 その間に、


「ねぇねぇ。ここに皆住んでたの?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、僕と一緒で住むところ無くなっちゃったね。どうするの?」

「さぁなぁ……まずは村に残してきた奴らを見つけてからだな。泉沈には悪いが、もうちょっと待っててくれ」

「僕は別に良いよー。ずっと山の中だったし、足には自信あるよ」


 泉沈が言うと、劉備は首を傾げた。


「山のなかに、すんでたの?」

「うん。とーっても高い山。皆が知らない山だよ」

「へぇ、そんな山があるのか」

「うん。人間もだーれも来ないの。知ってるのは手が届かないくらいに偉い人達だけなんだって、僕を拾って面倒を見てくれた人が言ってた」


 へらへらと笑いながら、懐かしそうに言う。
 そんな泉沈の言葉に、劉備は不思議そうに目を瞬かせる。


「えらい、人たち?」

「そう。詳しくは教えてくれなかったから、僕にも皆目分かんないんだけどねー」


 泉沈は一瞬だけ遠い目をする。すっと細めた。


「泉沈?」

「んーん。何でもなーい」


 幽谷のお姉さん、まだかなぁ。
 ぼやきながら、彼は燃え尽きた村を眺めていた。

 それを、劉備と男は不思議そうに見つめ続ける。



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