――――こんなことで、本当に良いのだろうか。
 幽谷の滞在は、反対はあるものの、いともあっさりと許された。劉備の意思を尊重したからだ。

 色々とツッコみたかったが、『確かに危険かもしれないが、長が決めたことに、俺達が従わない理由がない』と世平にはっきりと言われてしまっては何も言えない。

この村の危機管理は大丈夫なのか。
 歩けるまでに回復した幽谷は、村の片隅の大木にもたれ掛かってそんなことを考えていた。
 寝てばかりは退屈だと、世平から外出許可を得られた最近はこうしてここに立ってぼんやりと時を過ごすことがほほんどだった。村を歩くにしても、猫族の者は四凶に近付きたがらないし、またここでしか一人でいられないというのもあった。

 たまに村を出て行こうかと思ったりするのだが、暗器全てを関羽が預かっている為、なかなか踏み出せないでいた。もう死ぬだけの身だが、その際に長年仕事を共にした暗器達がいないのは、少し寂しい。

 この村は穏やかだ。ゆったりとした時間に肩から力が抜けそうになる。あってはいけないことなのに、死のうと思っていた自分が、どうでも良くなってしまうのだ。
 さすがに、これではいけない。

 四凶の自分が生きたとて、災いにしかなりはしないのだ。
 それにこれ以上生きても幸せなどは求められない。何にも、無いんだ。
 そんな人生を生きるくらいなら死んだ方がましではないか。

――――死のう。
 そうだ、早く死んでしまおう。
 死んで、消えてしまおう。

 迷う前に。

 暗器達はもう諦めよう。独りで良い。

 幽谷は緩く瞬きし、すっと木から身を離した。そして、一人村を出た。

 向かうのは、あの林である。



‡‡‡




 先日落ちた崖の上に立つ。
 ここでは死ねない。低すぎるから。
 別の場所を探さなければ。


「……あちらが、高そうね」


 幽谷は右を見、一つ頷いてのろのろと歩き出した。
 回復とは言っても、やはり早足にはなれないし、長時間歩いたりするのには無理があった。
 挫いていた足首の関節の、じくじくとした痛みが強まり、徐々に歩くのがぎこちなくなっていく。歩けなくなるのも時間の問題かもしれない。

 その前に、死ねれば良い。

 この世に四凶は要(い)らない。
 生まれた意味の分からぬ芥(ごみ)など汚すだけ。

 四凶の意味は、釈迦しか知らぬのか――――。


「幽谷!!」

「!」


 声がして首を巡らせれば、村の方向から関羽が慌てた様子で走ってきていた。
 村にいないことが、早くもバレてしまったようだ。

 幽谷は舌打ちした。
 だが急ごうにもこの足では急げない。大人しく待つ他無かった。


「やっと見つけた……! こんなに離れちゃったら駄目じゃない! まだ完全に怪我は治っていないんだから……」

「……申し訳ございません。少し、頭を冷やそうと思いまして。それに、四凶は村にいない方がよろしいでしょう。猫族の皆様が怯えておられる」

「それは……でもわたしや世平おじさんは怖いとは思ってないわ。劉備だって、遊びたがっているし、わたしもあなたともっと話したいし……」

「私に話すことはありません。あるとすれば、暗殺のことでしょうか」


 直後、彼女の顔は堅く強ばった。


「あ、暗殺……」

「私は暗殺を生業(なりわい)とし、生きてきました。四凶として生まれた私には、そうすることしか術が無かったのです。今までずっと、ずっと……生温かい血で両手のみならず総身を濡らしておりました。肉を断ち、骨を砕く感触や音は、穏やかに草木を揺らす風や鳥のさえずりよりも良く身体に馴染みます。青臭さよりも花の香りよりも、血臭が何より――――」

「止めて!!」


 関羽は耳を塞いで堅く拒絶した。

 ああ、やはり。
 平和な村なのだ。
 尚更、私が猫族の村にいてはならない。


「私と貴女方は相容れませぬ。もう私に構わないで下さい。このまま、私を死なせて下さい」

「死なせ、て……って、そんなの駄目!!」

「貴女に決められる覚えはございません。では――――」


 踏み出そうとした一際足が痛んだ。
 立てずにその場に座り込んでしまう。


「つ……っ」

「た、大変! 今すぐ村に戻って――――」

「……ぐっ!」


 幽谷は手に力を込めた。身体を引きずって崖へと向かった。

 関羽はそれを止めようと肩を掴んだ。
 振り払っても振り払っても、彼女は何度もしがみついてきた。

 どうしてそんなにも必死に止めてくるのだろうか。
 人間は猫族を『十三支』と呼んで蔑む。
 幽谷だって人間の女の胎(はら)から出てきたのだ。よしや人間に人間と認められていないにしても、肉体は紛うこと無く人間の物である。
 このように死ぬのを止められる謂(い)われは無い。むしろ彼女らにとっては喜ばしいことじゃないか。

 だのに彼女は何故自分を止めようとしているのだろう。
 理解に苦しむ。


「離して下さい……っ!」

「駄目!! 死んじゃ駄目よ!!」

「……っ離せ!!」


 関羽の頭を掴んで引き剥がそうと押した。髪の毛が何本も抜けたように思う。
 それなのに彼女は一向に離れない。最早彼女は意地になっていた。

 何とかしてこの状況をどうにかしないと――――。


「あ、姉貴ー!」


 思考を遮るように、はしゃいだ少年の声が鼓膜に響く。舌打ち。


「……って、ええーっ!? 何やってんの姉貴!?」

「張飛……お願い手伝って!! 幽谷また死のうとしてるの!」

「はあ!? まだ諦めてなかったのかよ!」

「く……っ」


 関羽の頭を押す腕を張飛に押さえ込まれ、片方の手も後ろ手に拘束されてしまう。
 本当は、四凶として全力を出せば、二人を引き剥がすことなど容易い。けれど、殺してしまう可能性が非常に高かった。一応の恩人を殺すなんて真似はできなかった。


「……くそっ」

「張飛、そのまま拘束しているのよ。世平おじさんを連れてくるから!」

「おう! 任せとけって!」


 今回は、失敗した。
 けれど張飛に押さえ込まれている間、願望は死ななければと言う間違った使命感となり、彼女の中でむくむくと膨れ上がるのだった。



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