23
焦げ臭い。
美しかった町並みは、かつての面影を失っていた。
虎牢関にて勝利を収めた連合軍は、勢いそのままについに洛陽に至る。
しかし、そこは無惨な有様だった。
董卓が火を放ったのだ。
凄惨たる光景に一同は茫然自失と立ち尽くした。
「うそ……これが洛陽……?」
「もえてる、町がもえてるよ……」
「劉備様、まだ火が残っています。あまり側を離れませぬよう」
泣きそうな顔をして倒壊した建物に近付こうとする劉備を、幽谷が小さな手を掴んで引き寄せる。
その近くで張飛が憤懣(ふんまん)やるかたなしといった体で唾棄(だき)するように舌鋒(ぜっぽう)鋭く呟いた。
「董卓のヤロー……なんてひでーことすんだ……!」
他の諸侯も、董卓の所業に怒りを覚えているようだ。
口々に嘆き、恨み言を口にしている。
「曹操様! 董卓は数十万の民を強制的に連れ長安に向かって移動中とのことです!」
兵士から報告を聞いた夏侯惇が曹操に駆け寄る。
曹操は頷き、洛陽の町並みを見渡した。目がすっと細まる。
「愚かな。自ら都に火を放ち遷都を図ったか。これが董卓だ。いらなくなったものはすべて捨ててしまう。人も町も文化も歴史も」
董卓を野放しにしておけば、いずれこの国は滅ぶ。
彼は即座に追撃を決めた。
しかし、諸侯は彼について行く気は無さそうだ。
曹操の軍が集められるのを待って、公孫賛が曹操に歩み寄った。
「すぐに発たれるのか、曹操殿」
「当然だ。董卓は何十万という民を連れて逃げている。そう遠くまで行っていないだろう。今こそ董卓を討つ千載一遇の好機。みすみす逃す手はない」
公孫賛は瞑目し、思案する。
それから目を開いて、
「曹操殿、こちらが追う立場とはいえ相手はあの董卓。十分に気をつけられよ」
「ああ、肝に銘じよう。公孫賛殿、洛陽を頼む。残された民を救ってくれ」
「ああ、わかった」
幽谷は二人の会話を聞きながら、近くを飛んでいた烏(からす)を呼びつける。
その側では趙雲と関羽、そして劉備が会話をしていた。猫族は曹操と共に董卓を追撃する。劉備を彼に任せるつもりなのだ。
烏は幽谷の腕に停まると、一声鳴いた。
その頭を撫でて、彼女はそっと頼みごとをする。
「ええ。そう。私ではなく、今この場にいる武装した人間達によ。そう。生存者を捜して、教えてあげて。他の子達にも伝えておいてくれないかしら。……ええ、ありがとう」
飛び立ったのを見送り、幽谷は関羽に近付く。趙雲を呼んだ。
「趙雲殿。今、烏達に生存者を捜すように頼んで参りました。見つけた場合案内するように頼んでもあります。少しは楽になるかと」
「烏? ……動物と話せるのか?」
「ええ。ですので、よろしくお願いいたします」
幽谷は頭を下げて、その場を離れようとする。
すると趙雲は慌てて彼女を呼び止めた。前に回り込んでじっと彼女の顔を見下ろす。
「何ですか」
「……」
ぐに。
両の頬を引っ張られた。……真面目な顔で。
何を言ってくるのかと思っていたから、避けられなかった。
こめかみがひきつった。
「……」
「腕のことは気にするな。きっと、大したことではない」
「……」
それと頬に何の関係がある。
額に青筋まで浮かせ、幽谷は趙雲をキツく睨みつけた。話すと変な声になるから声を発しないが、早く放せと視線で訴える。
趙雲はゆっくりと手を離し、彼女の肩に肩に置いた。
「あまり気を張らない方が良い。顔が強ばっているぞ」
「……お気遣い傷み入ります。では関羽様私は先に世平様達のもとに参ります」
「あ、え、ええ……」
刺々しく言って、幽谷は今度こそ歩き出す。
大股に趙雲の脇を通り過ぎて行く幽谷の背中を見、劉備は関羽を見上げた。
「ねえ、関羽。幽谷、どうかしたの?」
「え……あ、ううん。何でもないの。ただ、やっぱり疲れが溜まっているみたい。幽谷の為にもすぐに終わらせなくちゃね」
そう言って微笑みかけた関羽に、劉備は眦を下げた。
されど、彼が何かを言う前に、
「今より董卓を追撃する。我が兵、董卓軍並びに劉備軍はこの曹操に続くのだ!!」
即座に、応えは返った。
‡‡‡
洛陽の建物の影に、その姿はあった。
ぴんと立った猫の耳、黒と金の眼差し。中性的なかんばせの子供が、進み出す曹操軍と猫族の後ろ姿を無表情に見つめている。
猫族の中には子供と同じく色違いの双眸を持つ女がいた。
子供は、彼女を見つけるとすっと目を細めた。
「んー……犀煉は手を出すなって言ってたけどー……」
あんな中途半端じゃ苦しいだけでしょ。
欠伸混じりに言いつつ、子供は周囲を見渡す。犀煉の気配が近くに無いことを確認し、建物から離れる。
直後、それは轟音を立てて倒壊した。
「帰ろうと思ったけど、ついて行った方が良いかな。僕ってやさしー」
中途半端な覚醒は苦しいんだよねぇ、すっごく。
やけに実感の籠もった声音である。
子供は軽快な足取りで、遠回りをしながら曹操軍の後を追う。
その奇異なる姿に、気付く者は誰も無かった。
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