20
幽谷は大刀を振るう。間隙無く飛ヒョウを投げ付け、犀煉の隙を誘う。
間合いでは幽谷の方が有利だ。だが、それでも犀煉は飛道具を使って幽谷を翻弄する。
神速の無数の刺突で攻め立てても、彼は顔色一つ変えなかった。
むしろ、幽谷が双肩の激痛に集中力が途切れそうになってしまう。
呂布と応戦している関羽のことも心配だ。
早く、虎牢関が落ちなければ――――関羽が危ない。よしや曹操が共闘していようと、あの化け物が本気になれば塵を払うようにあしらわれてしまうに違いない。
張遼に足止めを食らっていなければ良いのだが……。
苛立ちは、募る。
犀煉の飛叉(ひさ)を投げつけ幽谷に肉迫する。
幽谷は咄嗟に大刀を投げ捨て匕首で弾き飛ばす。横に跳躍して大刀を拾い上げた。少し離れた犀煉を睨みつけて構え直した。
「動きは悪くはない。だが、以前よりも痛みに意識が向くようになったな。それが要らぬ隙を生んでいることに気付かないか?」
確かに、昔の彼女なら、この程度の怪我でも構わずに相手を殺そうとするだろう。
それを思うと、自分は変わったのだろう。それが良いことなのかは分からないけれど。
だが犀煉はそれを嘲笑う。
――――犀家の者としては失格だな、と。
それはどうでも良いことだ。
自分には暗殺しか無い。されど、もうあの暮らしに戻りたくはなかった。
猫族の暮らしを心地良いと感じてしまっているから。……もう、あの温かい場所に戻れるかは分からないけれど。
本気を見せた以上、彼らは幽谷を恐れるだろう。関羽も、彼女を追いかけてきてくれたものの、分からない。
関羽を見ようとし、犀煉が動いたことにはっと視線を戻す。何を余所見しようとしていたのか、今はそれどころではないのに。
幽谷の所持するものより大きな圏が、彼女に襲いかかった。
それも大刀で弾いて彼に突進する。
「良いか、幽谷」
犀煉は幽谷の斬撃をかわし彼女に語りかける。
「お前も俺も人たり得ない。化け物だ。化け物に情は必要か? いいや、不要。お前の持った感情は全て不要な芥(ごみ)でしかないのだ。捨て去れ。そして猫族と共に世の隅で貧相に暮らせ。お前にはそれが似合いだ」
「……私だって、猫族の方々の為にはそうしたい。けれど、人間共が猫族を拘束するのよ。人間の勝手な抗争に巻き込んで、簡単には戻してくれない」
「ならばここで俺が全ての人間を殺してやろうか?」
幽谷はえ、と動きを止めた。
彼は後ろに跳躍して片手を掲げた。
「四凶の誼(よしみ)だ。お前が望むのならここにいる人間全てを殺してやろう。勿論、呂布様に新しい住処を与えてもらえるように掛け合ってもやる。幸い、呂布様も猫族の娘のことをいたく気に入っておられる様子だ、喜んで了承して下さる。……猫族の娘がどうなるかは、分からぬがな」
……違和感。
幽谷は片目を眇めた。
「……煉、あなたは何を焦っているの?」
分かりやすい程、彼の焦燥が表に出ている。さっきよりも、ずっと。
今までそんなことは無かったのに。
何故こんなに焦り始めている?
犀煉は答えなかった。
哄笑しながら関羽達を攻める呂布を一瞥し、幽谷を探るように見据える。かと思えば舌打ちした。
いよいよ分からない。
更に問いを重ねようとした幽谷は、しかし、俄に虎牢関の方が騒がしくなり、口を閉じた。
呂布達もそれに気が付いて手を止める。互いに間合いを取って虎牢関を見やった。
すると、虎牢関の方からこちらに駆けてくる影があった。
「一体何ですの、騒々しい」
「呂布様ぁ!! 大変ですぅ。虎牢関落とされちゃいました〜!」
「呂布様、申し訳ございません。私がおりながら、みすみす落とされてしまいました」
幽谷はそこでほうと吐息を漏らした。
……間に合ったか。
「何を言っているの貂蝉ちゃん、張遼ちゃん。落とされたら駄目じゃありませんか」
「だって! だって! 呂布様がいない内に汚い男どもがいっぱいやって来たんですもん!」
唇を尖らせる貂蝉は、それから関羽を見、眦をつり上げた。
「呂布様ったら、アタシを放っておいてこんな泥棒猫と遊んでるなんてヒドイ!」
「申し訳ございません。夏侯惇と夏侯淵の相手に手間取りました」
「まったく、仕方のない子たちですこと」
呂布は戦斧を下ろして溜息をついた。
「呂布様、虎牢関を落とされてしまっては一旦洛陽に戻らねばなりません。董卓様をお守りしなければ」
「まぁ、なんてことかしら。本当にもう、仕方がありませんわね」
呂布はやおら頷くと、名残惜しそうに関羽を見、艶めかしく笑った。
「子猫ちゃん、今日はとても楽しかったですわ。また今度ゆっくり遊びましょうね」
関羽は後退し、それを庇うように曹操が彼女の前に立った。
呂布はつまらなそうに鼻を鳴らした後、幽谷にも流眄(りゅうべん)にて秋波を送り、犀煉を呼んだ。
犀煉はこうべを垂れて彼女に続いた。
幽谷はそれを無言で見送る。
結局、彼の焦りの理由が分からなかった。
彼は何故、あんなことを言ったのか。
私が望むなら、なんて……。
幽谷は吐息を漏らし、関羽を見やった。
彼女は曹操と話していた。
呂布達はもうここにいない。
ならば、自分がここにいる理由は無い。
幽谷は彼女らに気付かれぬように目礼し、その場を立ち去った。
その直後関羽が倒れたことに、幽谷は気付かなかった。
今はただ、肩の痛みと、胸を締め付けるような感覚ばかりが気になった。
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