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 幽谷は犀煉と対峙した。

 緑の目と赤い目。
 赤い目と青の目。
 成長した四凶がこの場で相対する。


 駆け出したのはほぼ同時であった。


「っはあぁ!」


 幽谷が大刀を振り下ろす。

 犀煉はそれを弾いた。

 互いの癖は知っている。
 されど、犀煉が四凶であり方術も使えるとなれば、その知識は何の役にも立たぬ。

 唐突に犀煉に投げつけられた札が幽谷の肩に貼り付き、爆発する。これで双肩を負傷したこととなる。
 しかし幽谷は怯まずに大刀を突き出した。
 刃が犀煉の肩を掠める。

 瞬間、飛ヒョウを投擲(とうてき)した。幽谷の作った強力な毒を塗りつけたものだ。

 犀煉は飛ヒョウのくすんだ光に気付き、匕首で弾いた。


「自分以外に解毒剤の作れぬ毒を飛び道具に用いてしとめる――――お前が好んだ手法だったな」

「あなたも似たようなことをしていたじゃない。毒について指導したのは煉、あなただったわ」

「されど、お前は様々な毒の配合を知っていた。それは元々憶えていたもの。暗殺の術も戦い方も、全てはお前の身体が識(し)っていたことだ。お前の中にお前のものは何一つ無い」


 犀煉の言葉を反芻(はんすう)する。

 不意に胸がざわめいた。

 何故だ? 何故……こんなに身体が震える?
 何故だ、何故だ。

 くらり。
 眩暈がした。

 誰かに頭を鷲掴みにされるかのような感覚に襲われる。
 脳を握られ、後ろに引かれているかのような――――気持ち悪い。
 幽谷はその場に膝をついた。どくんどくんと胸が早鐘を打ち、息も荒くなってくる。

 意識すら、脳を掴む誰かの手に持って行かれそうになる。
 何だ、この感覚……。
 本当に気持ち悪い。
 気持ち悪いのに――――それが当然の感覚のように思えるのだ。

 手放しそうになった意識はしかし、頭に触れた堅い感触に引き戻されるのだ。
 急激に脳を掴む手のようなそれが消えて無くなっていく。
 心臓も、段々と落ち着いていった。

 荒い息を繰り返していると、犀煉がそっと耳に口を寄せてきた。


「その感覚を受け入れるな。呑まれればお前はお前でなくなるぞ」

「う、あ……なん……?」

「今の感覚、決して忘れるな」


 そう囁いて弾かれたように幽谷から離れた。

 視界に偃月刀の刃先が映り込む。
 関羽が振りかぶった偃月刀を避けたのか。


「幽谷、大丈夫!?」

「……申し訳ありません、関羽様」

「顔が真っ青……何をされたの?」


 関羽に抱き込まれるように支えられ、幽谷は「何でもありません」と立ち上がった。
 すると曹操が小走りに駆け寄り、幽谷の様子に目を細める。

 犀煉は無表情にこちらを見つめていた。が、不意に呂布に呼ばれて頭を下げた。


「犀煉ちゃん。秘密のお話なんて感心しないわね。あまり、わたくしの饕餮ちゃんに触らないようにね?」

「申し訳ありません」


 静かに、神妙に謝罪する彼に鼻を鳴らし、呂布はつまらなそうに唇を尖らせた。


「子猫ちゃんたらわたくしを置いて犀煉ちゃんのところに行ってしまうし、犀煉ちゃんはわたくしの饕餮ちゃんと秘密のお話をしているし……酷いですわ」

「呂布……あなたは煉が、犀煉が四凶であると知っていたのですか?」


 問いかければ彼女はきょとんとしながら頷いた。


「ええ、知っていましたわよ。犀煉ちゃんが自分でわたくしに明かしたんですもの。わざわざ自分の片目を抉り出してまで、忠誠を証明して下さいました」

「片目を……?」


 幽谷は眉根を寄せた。

 片目を抉り出したのなら、何故その目は残っている?
 見た目から察するに、前髪に隠されて行いた翡翠の目だろう。けれども義眼でもないし、はっきりと幽谷達を捉えている。抉り出したなんて思えない。


「馬鹿な。一度抉り出した眼球が元に戻るだと? 有り得ぬ」

「あら、それはあなたがひ弱な人間だからでしょう? 犀煉ちゃんは四凶ですわ。火で焼けば元に戻りましたわよ。饕餮ちゃんも、《あの時》破損した内蔵の一部、水に浸かって治したのではないのかしら」


 あの時、とは董卓の暗殺に失敗した夜のことだ。
 確かにあの時自分は呂布から内蔵を抉り出された。何だったかは分からなかったけれど、逃げる時に誤って落ちた池で再生した。
 だが、それでも眼球が戻るなんて、信じられない。

 幽谷は犀煉に確認を取ろうと問いを投げた。


「本当なの?」

「ああ。真実だ。お前も試してみるか?」


 咄嗟に関羽が幽谷の前に立つ。

 それを彼は鼻で笑った。


「呂布様。如何します? 共に捕らえることも出来ますが」

「……そうですわね。このまま連れて帰っちゃいましょうか」

「なっ!?」

「お断りします」


 取り落としていた大刀を持ち上げて切っ先を呂布に向ける。

 呂布はふふと笑った。


「まあ、可愛らしいこと」


 関羽を守らなければならない。
 関羽だけでも……。
 幽谷は目を細めて大刀を握り直した。


「幽谷……」

「身体は良いのか? 幽谷」

「ええ。今は何とも」


 少々、負傷した両の肩が痛むくらいだ。我慢できないくらいではない。
 いや、よしや満身創痍だったとしても関羽を連れて行かせる訳にはいかない。何としてでも彼女を守り抜く。


「幽谷、わたしも戦うわ。曹操だっているんだし……」

「……ですが、相手は関羽様を連れて行くつもりです」

「だったら幽谷だって危ないわ! 一緒に戦いましょう!」


 幽谷の隣に偃月刀を構えて仁王立ちする関羽に、幽谷は困ったような顔をする。

 すると曹操が鼻で笑ってその関羽の隣に立つのだ。


「ここでの役割は夏侯惇達が虎牢関を攻め落とすまでの時間稼ぎと聞いた。捕まらぬよう耐えれば良いだけの話。……手伝おう」

「曹操……ありがとう」


 関羽は幽谷を見上げ、大きく頷いて見せた。

 幽谷は寸陰沈黙し、やがて吐息を漏らした。


「……分かりました。お気を付け下さい、関羽様」

「ええ!」


 最初に地を蹴ったのは幽谷だ。

 その後に、二人も続く――――。



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