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 四凶?

 まさか。

 まさか、有り得ない。

 有り得ない。
 そんな筈がない!


「あ……ぁ……」

「信じられないか?」


 犀煉は幽谷に冷笑を浴びせる。

 赤い目と、緑の目。
 彼も四凶で……。


「っ!」


 はっとして背後に跳躍。
 それまで彼女が立っていた場所が穿(うが)たれる。
 たった、拳一つ。
 犀煉は拳を地面に叩き込んだだけだ。
 それだけというのに、地面が円形に穿たれてしまったのだ。

 夏侯惇も上手く逃げおおせたようだ。
 彼も自分も逃げていなかったらと思うと、ぞっとする。

 幽谷は匕首を構え直して
 犀煉に肉迫した。逆手に持った匕首を振り上げて犀煉を斬りつける。避けられた。

 今度は彼が幽谷に斬りかかる。

 横一閃を屈んで回避。即座に彼の足を掬(すく)った。
 避けられたものの注意が下に向いたことで僅かな隙が彼に生まれた。

 それを夏侯惇が見逃さない。
 あの穿たれた大地を見ても彼は臆さない。果敢に斬りかかった。

 直前犀煉の意識がそちらに向きかけたのをすかさず幽谷が足に飛ヒョウを突き刺した。


「……っ」


 夏侯惇の剣も彼の肩口に深々と刺さる。

 犀煉は片目を眇め――――しかし、嗤(わら)う。

 夏侯惇は目を細めて彼から距離を取った。

 幽谷も離れると、犀煉はくつくつと咽の奥で笑うのだ。心底おかしくて仕方がない、そう言わんばかりに。

 怪訝に眉根を寄せると、丁度その時、関羽が追いついてくる。幽谷が夏侯惇と共にいるのに驚いたが、その奥に犀煉の姿を認めると更に驚愕した。


「幽谷! あ、あの人って……どうして色違いの目を……」

「関羽様……」


 危険です、お下がり下さい。
 そう言おうとした幽谷の鼻先を黒い物が掠めた。
 つんとした痛みを感じて、口を噤む。きっと犀煉を睨んだ。

 犀煉は斬られた肩を撫で、鼻を鳴らした。


「ここで証左を見せてやろうか」

「……証左?」


 彼が四凶だという証左か?
 もう目を見たのだから十分分かっている。
 だのに、彼は一枚の札を懐から取り出して肩口に押し当てるのだ。


 刹那――――それは紅蓮に包まれる。


「なっ!」

「燃えた!?」


 方術の一種だと関羽も幽谷もすぐに分かった。
 火を放ち、それは犀煉の肩を包む。傷に集まっているように見えるが、もしや。

 関羽が眉根を寄せて、ぎょっと瞠目した。慌てたように幽谷を見上げる。


「幽谷、あれって、まさか――――」

「……ええ」


 幽谷が傷を水を浸けるのと同じだ。
 その炎が消えれば、その傷は無くなる。

 やがて、炎が散るように消えていく。布が燃えて剥き出しになった肩には、もう傷も血も残ってはいなかった。


「お前は水。俺は火だ」


 幽谷と違い、戦場の中でも方術を使って傷を治せると言うことか。
 少し、厄介だ。


「呂布様と張遼、そして四凶。それらを相手に連合軍が勝てると思うか?」

「連合軍の勝利は関係ないわ。私は、猫族の方々が全員無事ならば、それで良い。人間なんて、知らない。まして猫族を自分達のの争いに巻き込むような人間なんて、助ける必要も無い」


 幽谷ははっきりと言い放つ。

 夏侯惇は一瞬だけ幽谷を睨んだが、すぐに犀煉に視線を戻した。


「大した忠誠心だ。だが、このまま呂布様と戦えば、自我を失うぞ」

「……シ水関の戦いの前夜にも似たような言っていたわね。それはどういうことなの?」

「お前が知る必要は無い」


 関羽が訊ねても素っ気ない答えを返す。
 深く語るつもりは無い、話は終わりだというように駆け出した。

 それを幽谷が迎え撃つ。

 関羽もそれに加勢しようと地を蹴る。

 夏侯惇は出遅れる形となった。


「……はぁ!」

「ったあぁっ!!」


 同時に斬りかかった二人を冷たく見、彼は軽々といなす。


「遅い」

「っきゃ……!」

「関羽様!!」


 幽谷は上手くかわせたが、関羽は遅れてしまい弾き飛ばされてしまった。
 咄嗟に関羽に駆け寄ろうとするも、犀煉が阻む。

 幽谷は舌打ちして懐から札を一枚取り出し犀煉に投げつける。

 それは犀煉の腕に触れるなり爆発した。煙が犀煉を包み込む。
 が、炎で傷の癒える彼にはあまり効果は無かった。
 煙の中から犀煉の腕が伸び幽谷の首を掴む。

 すかさずその手に匕首を突き刺す。
 赤い血をこぼし手が離れた直後に飛び退った。

 煙の中から飛び出した犀煉はま真っ直ぐに幽谷に肉迫する。彼は狙いを幽谷に絞っているようだ。

 ここに呂布が来てしまうと、彼女は関羽と戦うかもしれない。
 幽谷は唇を舐め、舌を打った。



‡‡‡




 犀煉の激しい攻撃をいなしながら、幽谷は隙を見出しては反撃する。
 どちらが劣勢なのか、どちらが優勢なのか、関羽にも夏侯惇にも分からなかった。加勢しようにも、どんどん苛烈を極めていく応酬に入り込む隙など無い。


「関羽!」

「兄者!」


 ただじっと彼らの戦いを眺めているしか無かった二人に、趙雲と夏侯淵が駆け寄る。二人共、幽谷と犀煉の戦いを見るなり唖然とした。


「な、何だあれは……」

「夏侯淵。董卓の屋敷で俺達と戦ったあの男……あれも四凶だったのだ」

「何だって!?」

「あの男も四凶だというのか、関羽」

「え、ええ」


 幽谷以外に成長した四凶が、よもや董卓軍の中にいるなんて誰が予想しただろうか。
 愕然とする二人。


「幽谷に加勢しなくて良いのか?」

「それが、付け入る隙が見当たらないの。加勢したいのは山々なんだけど……」


 偃月刀をぎゅっと握り締め、関羽は速すぎて姿の見えな幽谷谷を不安そうに探す。
 趙雲は関羽と二人の戦いを見比べ、すっと目を細めた。そして己の得物を持つと駆け出すのである。


「ち、趙雲!!」


 果敢に二人の間に入り込んだ彼は犀煉の姿を捉え振るう。

 犀煉はその力に片目を眇め後退した。幽谷との戦いに集中していた。今の一撃で片手が痺れてしまったようだ。舌打ち。

 幽谷は後転しながらその場を離れ驚いたように趙雲を見た。


「な……!?」

「大丈夫か、幽谷」

「いや……は? どうしてあなたがここに……」


 趙雲が来ていたことには気付いていなかった。それだけ戦いに集中していたということか。
 戸惑うように、前に立つ趙雲を見上げた。いつの間にここに来たのか……。


「お前の様子がおかしいと猫族から聞いてな。追いかけてきたんだ。だが董卓軍の兵士がいないが、どうした?」


 兵士は、すでに一目散に逃げている。
 ここに幽谷がいる限り戻ることは無いだろう。それだけの恐怖を与えたのだ。

 そう、戻ってくる筈が……。


「うおおぉぉぉっ!」


 不意に聞こえた雄叫び。
 弾かれたように顔を上げたのは犀煉だった。そのかんばせに微かな焦りが窺えた。


「……っもう出てきたのか」

「ええ、だって饕餮ちゃんが面白いことをなさっているんですもの。それに子猫ちゃんもこんなところにまでいらっしゃって、誘われているとしか思えませんわ」


 笑いを含んだ艶やかな声音に、その場の空気が凍り付いた。



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