15
「董卓軍が動きました」
先頭に立っていた幽谷は関羽達を振り返って言った。
張飛が身構え、関羽が偃月刀を構える。猫族の指揮は彼女に一任されていた。
幽谷は匕首を右手に、銅製の筆架叉を左手に持って関羽の隣に立った。
関羽は策を成功させる為に打って出る気を窺う。
が――――。
「うおおおおお! 突っ込め−!!」
「関羽、出撃はまだか!」
――――遅すぎた。
敵の機動力は存外高く、関羽はその機を逸してしまったのだ。
幽谷は関羽を呼び、一足先に駆けだした。
「何だこの十三支たちは! 四凶もいるではないか!」
「ぶっ潰してくれるわ!」
「関羽様!」
切り捨てながら促すように叫べば、張飛達も関羽を急かす。その間にも兵士が吶喊(とっかん)する。
応戦を余儀なくされた。
出遅れた形で、猫族は出撃した。
‡‡‡
「呂布様、戦が始まったようです。いつ頃出撃されますか?」
虎牢関の中にて。
張遼は鷹揚に主に問いかけた。
外では激戦が開始されたというのに、呂布はつまらなそうだ。物足りないとでも言わんばかりに肩をすくめる。
「もっと後でいいですわ。雑魚の相手なんてしてられませんもの。よっぽど刺激的なことでもあれば話は別ですけれど」
笑声を漏らし、彼女は犀煉を呼んだ。
張遼の隣を歩いていた犀煉は呂布に頭を下げる。
「この戦い、子猫ちゃんと饕餮ちゃんは、いつここまで来れるのかしら?」
「恐らく、この戦いで幽谷は本気を出すでしょう。あれは猫族に絶対の忠誠を誓っている。この激しい戦いのさなか、猫族を守る為に手段を選ばない。従って、さほど待たずにあれは虎牢関に迫るのではないかと。……私を退けられれば、の話ですが」
「あら、先に饕餮ちゃんをいただくつもりなのかしら?」
「一応、我らは虎牢関の防衛が任ですので。ですが、弱らせて呂布様に献上することもできましょう。さすれば、存分に可愛がれますし、傷が癒えれば戦えもする。あれは水にさえ浸ければ傷はすぐにでも癒えるのですから。自分は猫族には興味が無い。この度はあの娘とも存分に戦ってみては?」
犀煉が提案すると、呂布は渋面を作った。
「それも大変魅力的ですけれど……、やっぱり饕餮ちゃんとも戦いたいですわ」
「であれば、呂布様のもとへ誘(おび)き出しましょう」
「そうして下さる?」
犀煉は呂布に頭を下げる。
呂布は嫣然と笑った。
「これでこの戦の楽しみも出来ましたわね。張遼ちゃん、戦況の確認は貴方に任せますわ」
「畏まりました」
張遼は恭しく一礼した。
しかし犀煉は赤い片目を眇めて思案に耽っている。
‡‡‡
敵が多い。
幽谷は舌を打った。
連合軍との兵数は五分。
それを三百人余りで迎え撃ち、抑えるのは無理があったか。
関羽とも離れてしまった。彼女に向かおうとしても近くの猫族が苦戦している為、離れる訳にはいかなかった。
「行けー! 数では圧倒的にこちらが有利! 押し込むんだー!!」
劣勢である。
退がれば劉備が危険に晒される。
だが押し返せない。防戦一方だ。
やはり本気を出すべきか――――。
「やああああ!!!」
ふと関羽が雄叫びを上げた。
視線をやれば彼女は偃月刀を振り上げて兵士を斬り捨てる。
攻勢に転じたのだ。
「幽谷!!」
「関羽様、あまり単独で突出なさっては――――」
「うあぁっ!」
側で猫族の男が倒れた。
幽谷は周囲の兵士を斬り捨てて猫族に駆け寄った。
傷口は腹だ。深くはないが切り傷は肩から腰当たりまで伸びている。
幽谷は人目も憚らずに力を使った。斬りかかる兵士は片手で始末し、彼の治療を続ける。癒えると彼は礼を言って一旦劉備達のいる後方へ退がった。
「怯むなぁ! 女二人と小僧が厄介だ! あいつらを討つんだ!」
「うおおおお!」
幽谷はすぐに関羽のもとに急行した。
狙いを付けられた関羽は囲まれている。
それをあっさりと崩して関羽の背後に立てば、小さく謝罪された。
「あまり突出なさらないで下さい。連携が崩れています」
「ご、ごめんなさい……」
「張飛様は何処に?」
「えっと……あ、あっち!」
張飛もまた囲まれている。一方的に攻撃を受けていた。
「くそっ! テメーら邪魔だ!! どきやがれぇええ!!」
「張飛様!」
加勢をしたいところだが、また囲まれてしまう。ここを離れたら今度は関羽が危険に晒される。
――――もう良い。
本気を、出そう。
歯噛みし、幽谷は匕首を握り直した。
直後である。
「ぐああああああ!!!」
獣のような咆哮が聞こえた。
えっとなって周囲を見渡せば、咆哮は立て続けに聞こえた。それに重なるように悲鳴も上がる。
「な、なんだ! どうした!」
董卓軍にも、猫族にも動揺が広がる。
確か、あちらには張飛がいるんじゃなかったか。
血が飛んでいる。
兵士が倒れていく。
その中心にいるのは――――、
「張飛!!!」
「ぐおおおおおお!!!」
愕然とした。
額を覆っていた布が落ち、髪が落ちた張飛。
その金色の双眸は獣のように鋭く、凶暴な光を宿している。自我を失ったかのように、彼は手当たり次第に董卓軍の兵を引っ掻き殺していった。
「ちょ、張飛……!! 一体、どうしてしまったの!?」
「近付いてはいけません。今行けば巻き込まれます」
「けど!」
張飛の暴走に董卓軍が竦み上がっている。
この騒ぎが連合軍に広まったら……。
冷や汗を流す幽谷の腕を、関羽が縋るように掴んだ。
「うがああああああ!!」
「兵士たちが……次々と倒されていく……!!」
暴走は止まらない。
姉貴と慕う関羽がいくら呼んでも、無駄。
困惑する関羽のもとに蘇双と関定が駆け寄る。
蘇双が張飛を見て舌を打った。
「馬鹿張飛……! これ以上人間たちの目の前で暴走する姿を見せたらまずいよ。危険と見なされて退治されたっておかしくない……! 今すぐ、止めないと!!」
「でも、あんなんどうやって止めろっていうんだよ! 声なんて、届いちゃいねぇよ!!」
「……私が参ります」
彼が関羽達に止められないのなら、自分が止めるまで。
本気を出そうとしていたのだ、もうあれこれ迷う必要は無い。
幽谷は強く踏み込んだ。
――――玉響である。
「え……?」
幽谷が張飛の水月(鳩尾)に拳を叩き込んだのだ。
張飛が……いいや、誰しもが幽谷の姿を捉えられる暇すら無く、だ。
これは一体何事か。幽谷はいつの間に張飛に肉迫した?
気配を消していたのか、彼女が速すぎたのか。
一瞬で張飛の暴走を止められるなんて。
周りには更なる驚愕が広がった。その中には恐怖もあった。
「が……ぁ……っ」
「申し訳ございません、張飛様」
沈黙したその場に幽谷の謝罪が響く。遠くの喧噪も、耳には入らなかった。
眦を僅かに下げて地面に伏す張飛を見下ろし、幽谷は目を伏せた。
「……殺せ、幽谷」
ゆっくりと、自分に言い聞かせる。何度も何度も繰り返した。
幽谷は一つ深呼吸すると、目を開いて一言。
「殺せ」
幽谷の姿が消えた。
その直後に広がる地獄絵図を、誰が予想し得ただろう。
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