14
董卓最後の砦、虎牢関。
山間に築かれたその佇まいは堅固。連合軍を拒絶している。
総勢を三百を超える猫族は、中央で戦うこととなる。
猫族の中でその危険性に漠然と気付いているのは、少ない。
「おいー、劉備連れてきちゃって本当に大丈夫かよー」
張飛が不安そうに劉備を見やる。
それに蘇双が眉根を寄せて溜息をついた。
「仕方ないだろ。劉備様を護衛もなしに陣営に置いておけるはずもない」
「なんせ全員強制参加だもんなー」
しかも関羽と幽谷は猫族の先頭で戦わなければならない。これも、後々曹操が指示してきたことだった。
誰もがこの状況に不平不満を抱きながらも、どうすることも出来ないことに焦燥を感じていた。
「まぁ、劉備様のことは俺に任せろ。俺と劉備様は後方にいるから、お前たち若いモンは頑張ってこい!」
張飛の背中をばしんと叩く世平に、関羽は頷き、幽谷は拱手した。
関羽が、世平の隣に立って不安そうに瞳を揺らす劉備の前に屈み込んだ。人が多数死ぬ戦場に彼を連れて来たくはなかったのに――――猫族の全てが、そう思う。
「劉備、いい? ちゃんと世平おじさんの言うことを聞くのよ。勝手なことをしたら絶対にダメだからね」
「……ここどこ? 人がいっぱいいるよ……こわい」
劉備が関羽にぎゅっと抱きつく。その華奢な身体は小刻みに震えていた。
関羽は彼を抱き締めて、世平を見上げた。
「どうしよう、世平おじさん。劉備が怯えてしまっているわ。やっぱりわたし劉備の傍にいたい」
しかし、世平は首を横に振った。
彼もまた、曹操の言動を気にしているのだった。
厳しいものになると予想した上で彼は関羽に戦うことを諭した。
すると、関羽も大人しく頷く。
そして劉備を離そうとすると、劉備が慌てて待ったをかけて腕を掴んだ。
「関羽……ちゃんと帰ってきてね。ぜったい、ぜったい帰ってきてね」
「ええ、分かったわ」
「……あとね、けがしないでね、関羽。けがしたら、ぼく、いやだもん……」
「劉備……」
「それとね、幽谷も」
話を振られて幽谷は瞠目した。
関羽の隣に膝をついて「何でしょうか」と笑いかける。
「幽谷も、無理はしないでね……ぜったいに」
「やくそくだよ……」関羽と幽谷を交互に見比べて、縋るような響きを含んで呟くように言った。
「ええ! ね、幽谷」
「劉備様のお望みとあらば」
力強く頷く関羽と、静かに頭を下げる幽谷に、劉備は安堵したように表情を柔らかくした。
されど、下を向いて見えぬ幽谷の顔は、苦々しく歪んでいる。
‡‡‡
「凄い数の兵士……」
集結し列を為す兵士の数に関羽は圧倒され茫然と呟いた。
最後の砦とあって、今回は総力戦だ。諸侯もシ水関以上に気合いを入れているらしい。
幽谷は関羽の隣に立って、遠くに見える虎牢関を見据えた。
呂布がいるかもしれない。
犀煉がいるかもしれない。
――――いいや、必ずいる。
私が、この手で殺す。
拳を握った直後、気配を感じて幽谷は思考を中断した。
「おはよう。今日は総力戦だな。お前以外の猫族も皆、戦いに出るんだな」
趙雲だ。緊張した面持ちで、兵士を見回しながら二人の前に立つ。
関羽は頷いた。
すると、
「関羽と、幽谷か」
「あ……公孫賛様」
大股で歩いてくる幽州の太守に、関羽は慌てて頭を下げた。
幽谷も一歩退がって関羽と同じく一礼した。
彼は二人に微笑みかけると、
「今日の活躍にも期待しているよ」
「は、はい」
ぴんと背筋を伸ばす関羽と目を伏せて沈黙している幽谷に公孫賛は頷きかけ、趙雲を見やった。
「では私は先に行くとしよう。趙雲お前も、準備出来次第合流しなさい」
「ハッ!」
応えを返して去りゆく主を見送る。
総力戦だから、公孫賛も出陣するのだろう。
彼が戻っていくその先には幽州の誇る白馬義従が隊列乱さず悠然と立っている。
それから趙雲は関羽達に向き直った。
彼ら公孫賛軍は、左翼に配置されているらしかった。誇らしげに白馬義従の戦法などを話す。
そこへ、嘲笑を交えた声が割り込むのだ。
「ふん! 北国の騎馬軍団が白馬なんぞに乗ってワル目立ちしやがって。弓が得意なのはお前たちだけじゃないんだ」
「夏侯淵!? 身体は良いの?」
夏侯淵は鼻を鳴らした。
「貴様ごときがオレの心配をするな」
しかし、彼が手にしているのは剣ではなく、弓だ。傷は癒えたのだし、身体はもう大丈夫だとは思うのだが……。
幽谷はそれを見、初めて口を開いた。
「此度は弓、ですか」
「弓?」
「オレは元々弓も得意なんだ。曹操様に剣での出陣を止められたから、弓にしたまでのこと」
決して身体が不調だからではないと言外に主張し、彼は不意に後ろを振り返った。
「兄者、オレは今日は弓でいく。兄者が前に進めるよう一人でも多くぶっ倒してやる!」
そこには、夏侯惇がいた。
もう幽谷を見てもどうも思わないらしく、夏侯淵の勇んだ科白に大きく頷いた。
「頼むぞ、夏侯淵。さあ、俺たちもそろそろ右翼隊と合流するぞ。曹操様がお待ちだ」
「曹操軍は右翼隊か。俺たち公孫賛軍は左翼隊だ。お前たち猫族はどこなんだ?」
「よくわからないけれど、曹操からは“中央”って言われたわ」
直後、三人は驚愕する。
それを見てああ、やっぱりそうかと幽谷は目を細める。
『だが、お前たちだからこその配置でもある。十三支と四凶以外に任せられぬ役割だ。私の思惑通りに動いてくれることを期待している』
やはり曹操の策の中で、猫族は捨て駒だったのだ。
だが、それも幽谷が敵を一掃させれば良いだけのこと。猫族の為に手が汚れることは構わない。
……それでも、本気の力を出すことに躊躇ってしまうのは、猫族のもとにいすぎたからだろう。今の関係を壊したくないと、思い始めた自分がいた。
そんな幽谷に気付かず、関羽は彼らの反応に疑問符を浮かべる。
それに返されたのは夏侯淵の嘲笑だった。
「さすが曹操様! 貴様ら十三支を捨て駒になさるとはな!」
「んだと!」
いつから話を聞いていたのか。張飛が関羽の後ろから夏侯淵に噛みついた。
「オレたちが捨て駒?」
「一体、どういうこと!?」
関羽が問い詰めたのは趙雲。
趙雲は躊躇した。関羽から目を逸らし、つかの間沈黙した後重そうに口を開く。
「この陣形は、左右の両翼が敵を包囲するまで中央が敵をひきつけ、守りきらなければならないんだ。兵の数が敵よりこちらの方が勝る時に用いるのが通例だが、今回の戦における兵数はおそらく五分。敵をまとめて一気に引き受ける中央は相当厳しい戦いになる……!」
「そんな……」
「そんな無茶なところに俺たちを配置するなんて!」
「十三支がいくら死のうが、オレたちには関係ないからな。せいぜい頑張って敵を引きつけておけよ」
「ざっけんな!」
いつもならば、ここで幽谷は反論をする。
されど、彼女は夏侯淵から再び虎牢関を見やり、色違いの目を細めていた。
毎度言葉を遮られていた夏侯惇は、彼女の様子に勿論気付いている。その上で、気にかけぬようにしていた。問いかけたことで答えるとも思えなかったのだ。
彼は幽谷を一瞥して、口を開いた。
「……みすみすやられる貴様らじゃないだろう」
ぎょっとして猫族が彼を見る。
「曹操様もそれを見越して貴様らを中央に配置されたんだ。しっかり抑えてみせろ」
「夏侯惇」
「兄者!」
咎めるように夏侯淵が呼ぶ。されど、彼は猫族を強く見据える。
「ふーん。ボクらの力を買ってるってこと?」
皮肉な笑みを浮かべて問いかける蘇双に、しかし夏侯惇は無言。
しかし関羽は何を思ったか、ぎゅうと拳を握った。
「……そうね。わたしたち猫族はしぶといのよ」
絶対に持ち堪えるわよ、みんな!
関羽は力強く猫族を振り返る。
彼女に勇気づけられたか。
猫族の男達は一様に頷き、おうと応(こた)えた。
そこでようやっと虎牢関から目を離した幽谷は、関羽に深々とこうべを垂れた。
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