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 シ水関の華雄戦死の報はまたたく間に洛陽にもたらされた。

 難攻不落のシ水関を頼っていた董卓は震え上がり、最後の砦となる虎牢関に華雄を超える武将、呂布ならびに十五万の兵を送り込んだ。

 風は虎牢関へと流れ込む。




‡‡‡




「皆さん、昨日はよく寝られましたか? 今日はいよいよ洛陽最後の要、虎牢関を攻めます」


 ここを落とせば洛陽まではすぐ。ようやく董卓に手が届きますよ。
 袁紹は薄く笑みを湛えて諸侯を見渡した。

 シ水関にて関羽が華雄を討ち取ったことで、兵士も諸侯も士気は高まっている。
 十三支に一番の手柄を持って行かれたことに不満を持つ者もいるようだが、それもまた競争心として意気を高めた。
 シ水関の戦い以前より、この場は緊張し、高まっていた。


「だからこそ、董卓は死ぬ気で虎牢関を守るじゃろうな」


 諸侯の一人、徐州の陶謙が難しい顔して、豊かな髭を撫でる。


「虎牢関は洛陽の防衛の要。東からの大軍勢も隘路(あいろ)に阻まれて進路を妨げられる。そこに砦があれば、なおさらだ。持久戦に持ち込まれれば反董卓連合は自然崩壊するだろう」


 つと、公孫賛はそこで瞑目して思案する曹操を見やる。


「さて、参謀殿。ここをどう攻めるつもりか」


 曹操は目を開けた。


「公孫賛殿の言う通り、持久戦に持ち込まれれば、連合軍は瓦解する。短期で勝負を決めねばならない。難攻不落と言われたシ水関を落とした今、董卓軍には大きな同様が広がっている。ここで我々は一気に攻め込むのだ。全軍の全武将、全兵力を以って虎牢関に挑む! 短期決戦だ!」


 高々と言い放ち、彼はばんっと卓上に広げられた地図を強く叩いた。そこは、虎牢関を示す場所だった。


「昨日とは打って変わって総力戦というわけか……」

「さすがは曹操殿。思い切った決断ですね」


 反対する者は誰もいない。
 曹操の高らかな号令に、武将達は勇んで喊声(かんせい)を上げた。

 ……彼らは全く気付いていない。

 その天幕の隅に、一人の男が佇んでいることに。
 彼の赤い目は真っ直ぐ曹操を見つめていた。
 かと思えば、鼻を鳴らしてきびすを返したのだ。


「……あれも、出されるか」


 猫族の娘への忠告は聞き入れられなかったらしい。
 引き結ばれた唇が薄く開き、吐息が漏れた。



‡‡‡




「総力戦だと!?」


 天幕を訪れた曹操は、猫族に虎牢関に臨むその策を語った。

 世平が声を荒げるのに、曹操は鷹揚に頷く。


「そうだ。今回の戦い全兵力を以って臨む。無論、お前たち十三支もだ」

「それは全員戦に出ろってことか?」

「そうだ。一人残らず出陣してもらう」


 一人残らず――――それはつまり、劉備も?
 天幕の隅で幽谷は目を細める。


「ちょっと待って。劉備はどうなるの?」

「足手まといになるようであれば置いていって構わない。しかし、劉備以外は全員参加だ」

「そんな! 誰かが劉備を見ていないと」

「劉備以外は全員戦に出てもらう。劉備は一人で陣営に待たせておけばよいだろう。洛陽でも劉備は、私の屋敷に一人でいたではないか」


 比べるべくもない。
 戦場は生死のどちらかしか無いのだ。ぬるい曹操の屋敷とは全く違う。
 陣営にいても、そこに兵士が攻め込めば戦えない劉備はどうなる?
 関羽がそう訴えても、曹操は鬱陶しそうに眉根を寄せるだけだ。


「話にならんな。過保護が過ぎるのではないか?」

「馬鹿言うな! 劉備様は一族の長だ。過保護で当たり前だろ」


 世平が噛みつく。

 ややあって、幽谷が世平を呼んだ。


「世平様。劉備様の護衛は私が」

「駄目だ。一級戦力のお前と関羽に足手まといをつけるわけにはいかない」


 幽谷は曹操を見据える。脅そうか、そんな考えが浮かぶ。

 けれど、世平が嘆息し、


「わかった。劉備様は俺が連れて行く。それなら文句はないな

「……いいだろう。お前が劉備を連れる分には問題はない」


 そこで、劉備についての話は強制的に終わる。
 それから今回の戦いの配置について話し始めた。
 猫族は中央に配置されるらしい。しかし、それだけだ。深く語ろうとはしなかった。


「何度も言うが、董卓を倒さねばお前たちにも未来はない。それはわかっているな」

「そんなの嫌と言うほどわかってるわ。だからこうして、大人しくあなたの言うことを聞いているんじゃない」

「ならば、今回の戦いはいかに重要かわかっているな。虎牢関は必ず落とさねばならないのだ。お前たちのしぶとさに期待している。…………頼んだぞ」


 幽谷は目を細めた。
 この曹操の言い回し……まさか。
 天幕を足早に出て行く曹操を追い、幽谷も困惑する猫族に気付かれぬようこっそりと外に出た。

 暫く彼をつけて、猫族に耳に入らぬであろう距離で曹操を呼び止める。


「曹操殿」

「……このままつけてくるのかと思っていたぞ」

「つけるのならば相手に気付かれるようなことは致しません。この度の戦、猫族は中央に配置されると仰いましたね」

「ああ。それがどうした」

「猫族は捨て駒、なのではありませんか?」


『お前たちのしぶとさに期待している。…………頼んだぞ』

 あの言葉……もしや捨て駒としての最高の働きを期待していると、そう言っていたのではないか。彼女はそう勘ぐった。だが、考え過ぎとも思えない。相手は曹操なのだから。
 幽谷は色違いの双眸を鋭くして曹操を睨むように強く見据えた。

 曹操は幽谷を見つめ、


「……そう取ってもらって構わぬ」

「……」

「だが、お前たちだからこその配置でもある。十三支と四凶以外に任せられぬ役割だ。私の思惑通りに動いてくれることを期待している」


 それは、どういう意味なのか。
 幽谷は曹操を見据えたまま、思案する。口の中で彼の言葉を吟味するように反芻(はんすう)した。


「……猫族を切り捨てるようならば、その時はご自分の命も切り捨てるご覚悟を」


 曹操は口角をつり上げた。


「そうならぬよう、気を付けておく」


 それだけ言って、彼は歩いて行った。

 幽谷は彼の背から視線を逸らすと、外套の裏に手を伸ばした。暗器を撫で、目を細める。
 本気を出すべきだろうか。

 虎牢関は董卓最後の砦。何が何でも守ろうとしてくる筈だ。
 この戦いでは、必ず呂布や犀煉が現れる。
 その時、自分は――――。



 猫族の方々に化け物と言われてしまうのだろうか?



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