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 これは悪質な嫌がらせである。
 手渡された剣を見下ろし、幽谷は口角をひきつらせた。

 目の前では、幽谷の反応を面白がる曹操。直々にお出でになった彼は、幽谷の手に無理矢理剣を持たせ、言ったのだ。

――――舞え、と。

 先程関羽を連れていったその仕返しか!
 そう怒鳴りたかったが、関羽の立場を考えると、四凶の自分が場を荒立ててはいけない。
 剣舞なら、舞おうと思えば舞える。
 だが一つだけ、幽谷には決定的な弱点があった。

 それを知る関羽が、慌てた風情で曹操に問いかける。


「そ、曹操! 音楽は? 楽士はいるのよね?」

「ああ、いる。だが、歌い手はいないな。それ故幽谷が――――」

「だ、駄目!! 幽谷に歌わせちゃ絶対に駄目!」


 さっと青ざめた関羽に、曹操は眉根を寄せた。


「……どういうことだ?」

「幽谷は音痴なの! 張飛も寝込むくらいに!」


 直後、趙雲が噴き出した。……後で始末してやる。

 曹操は虚を突かれたような顔だったが、幽谷がゆっくりと顔を逸らすのににやりと口角をつり上げた。


「……ほう? お前にも欠点はあったのだな」

「…………関羽様」

「う……だ、だって……!」


 恨めしく関羽を見やれば、関羽は顔の脇まで両手を上げて幽谷から俄(にわか)に顔を逸らした。

 溜息が漏れた。


「では、楽だけで良い。四凶の剣舞は余興としてはさぞ面白かろうな」

「……分かりました。その任、謹んでお受け致しましょう」


 幽谷は吐息混じりに頷いた。

 部屋の中央に立ち、剣を構えて腰を低くする。彼女に諸侯の視線が集まった。これで関羽から彼らの興味が消えるのならば良いのだが……。

 曹操が手を叩くと、楽士を兼ねた兵士達が一斉に楽器を奏で始めた。

 それに併せて、幽谷は動き出す。剣を危なげ無く回し、突き出し、身体を捻らせてその場で回る。

 皮肉なものだが、この剣舞は暗殺の為に叩き込まれたものであった。それが、戦勝の宴で披露する羽目になるとは、思いもしなかった。

 幽谷は自嘲に薄く笑った。それを、諸侯が目にしたとは気にしていない。

 背中を反らしてその下に剣を通し、刃を掴んで前に回す。柄を握り直してそのまま上に投げ、右足を軸に回転して受け止めた。
 見た目は危なげながらに、幽谷は刃の鋭利な光に臆することなど無い。関羽がこの場で辛い目に遭わぬようにと、それだけを思って身体全てで舞う。

 ふと途中で手を叩く音がし、音楽が徐々に静まっていく。
 それに併せて幽谷の舞も徐々に失速し、収束した際に関羽の前に座り込んで剣を前に差し出すようにした。本当は関羽から視線を逸らす為別の人間にした方が良かったのだが、そうなるとその人物に忠誠を誓っているかのように見えてしまうので、直前で止めた。


「幽谷……」

「申し訳ありません、関羽様」


 曹操の拍手に続いて周囲が手を叩き出す中、幽谷は小さく謝った。


「関羽様から皆の視線を逸らそうと思ったのですが……」

「ううん! わたしは大丈夫だから、そこまでしなくて良いのよ! それに久し振りに幽谷の剣舞を見れたんだし……ありがとう」


 幽谷の手に己のそれを重ね、関羽は笑いかける。その時だけでも、この場で彼女は幽谷に笑顔を浮かべてくれている。そのことに安堵した。

 剣を持って曹操の前に立ち、その手に返す。

 彼も、幽谷があのような剣舞を舞えるとは思わなかったのだろう。面食らったような顔をしていた。

 何となくしてやったような気になって、幽谷は関羽の隣に座った後、彼女と笑い合った。


「今の曹操の顔……ふふ」

「してやったり、ですね」


 先程までとは打って変わって楽しそうな関羽に、幽谷は笑声を漏らした。


「やっぱり幽谷と一緒に来て良かったわ。一人だったら、きっとすぐに逃げ出していたと思うもの」

「恐縮です」


 幽谷は頭を下げた。

 そんな二人に、近付く影がある。
 《彼》は躊躇うように何度か足を止めながら、幽谷に近寄った。

 そして――――。


「四凶」


 彼女を呼んだ。

 彼の気配に気付いていなかった訳でもない幽谷は、ゆっくりと振り返り、顔を上げた。


「夏侯惇殿。何かご用ですか」


 泉に置いてきた夏侯惇である。
 あの場でのことをまだ引きずっているのか、ほんのりと頬を赤らめた彼は幽谷を直視しようとはしない。
 そんな状態で、幽谷に一体何の用だというのか。

 幽谷は怪訝そうに彼を見上げ、言葉を待った。

 夏侯惇は何度か口を開いては閉じ、ようやっと口を開いた。


「夏侯淵のことだ。その……礼を言う」

「ああ……そう言えばそうでしたね。別に、私は関羽様の思いに答えただけです。関羽様がいなければ、私はあなた方を見殺しにしていたでしょう。ですから、あなたに感謝される謂われは全くございません。というより、猫族を嫌うあなた方に言われましても、虫酸が走るだけです」

「……っ、つくづく腹の立つ物言いだな」

「それが私でございますれば」


 頭を垂れれば、舌打ちした夏侯惇は大股にその場を歩き去ってしまった。これで、あのことで挙動不審になることは無いだろう。

 趙雲はその様子を側で眺めていたのだが、夏侯惇の不自然な様子に首を傾けた。


「……どうしたんだ? 幽谷を見ないようにしていたようだが……」

「さ、さあ……どうしてかしらね」

「私の裸を見たからでしょう、関羽様」

「はっ?」

「幽谷っ!! 言っちゃ駄目!!」


 単に誤魔化そうとしただけの関羽の言葉を疑問と受け取り答えた幽谷は、こてんと首を傾げる。

 別に、人間に裸を見られたからと言って気になることでもない。だって、慣れているのだから。
 それを言うと、関羽が叱咤する。


「駄目!! 絶対に駄目! 良い?」

「……承知致しました」


 幽谷はやおら頷いた。

 その隣では、趙雲が片手で覆った顔を赤くしている。



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