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「それでは、ここでしばし待たれよ」

「わかったわ」


 結局あのまま夏侯惇を置いて陣屋に戻った二人は、待機していた兵士に連れられ、宴へと赴いた。
 その入り口で、兵士が声をかけ、先に中に入っていく。

 関羽は曹操に会いたくないと言っていたが兵士はこのことを曹操に報告するのではないだろうか。それで、彼が直々に来かねない。
 暗鬱とした表情で佇む関羽を隣で一瞥した幽谷はさてどうしたものかと思案した。

――――と、人の気配を捉え、関羽を呼ぶ。

 関羽が幽谷を見上げたその時である。


「よく来たな」


 関羽は仰天した。


「曹操! ど、どうして!」

「私がお前を呼んだのだぞ。もっとも、お前は私に会いたくないそうだがな」

「! ひどい、さっきの人騙したのね!」

「関羽様。落ち着いて下さい」


 憤慨する関羽を、幽谷は宥めた。


「兵士とて、報告する義務がございます故」


 もっとも、来るにしてもこんなに早いとは思わなかったけれど。


「で、でも……!」

「私の部下を責めないでやってくれ。自分の責務を全うしただけだからな」


 彼女はきっと曹操を睨みつける。約束が違うと、きびすを返した。

 それを、曹操は笑みを浮かべて引き留めるのだ。


「せっかく来たのだから、お前の姿を皆に見せてやったらどうだ」

「嫌よ。どうせ十三支だって好奇の目で見られるんだろうし……」

「確かにお前は好奇の目で見られるだろう。しかし、それは十三支だからではない。華雄を倒した者としてだ。皆、お前がどういった者なのか知りたいのだ。逃げればなお追われるぞ。一度このような場で十分に姿を見せた方が皆の気も済むというもの。それに、幽谷もいるのだ。十三支として蔑む者あらば、黙っておらぬだろう」


 当たり前だ。
 その時は当然、曹操にも何かしらの意趣返しをするつもりであった。


「よくわからないけど……とにかくわたしは帰るわ」

「いいからこちらに来い」


 曹操は関羽の手を掴むと、そのまま歩き出してしまう。

 咄嗟に幽谷は外套の裏に手をやろうとしたが、世平達に暗器を全て没収されてしまったのだと思い出して唇を歪めた。
 外套から手を離して二人を追いかけると、曹操は自らの隣に関羽を座らせる。勿論関羽は嫌がっているが、気にしはしない。断固として許すつもりはないようだ。

 幽谷はその後ろに立ち、曹操の言に耳を傾けた。


「どうして!」

「言ったであろう。名だたる諸侯が皆お前に興味を持っているのだ。華雄を倒す程の力を持つお前に。お前は私の物だということをしかと知らしめねばならない」


 刹那。


「関羽様。こちらに」


 幽谷が反論しようとする関羽の手を引いて、その場を離れようとした。

 曹操がすっと柳眉を潜める。


「何のつもりだ、幽谷」

「我が主を物扱いするような輩の隣に座らせてはおけませぬ故。関羽様、私の側から離れませぬよう」

「言っておくが、お前もだぞ。お前達のその並外れた戦闘能力は、我が軍の大事な戦力だからな。お前達は、私の物だ。ここにいろ」


 関羽がいれば、幽谷は必ずついてくる。
 それ故に、か。
 関羽の武力だけに固執しているだけではなく、幽谷の四凶としての能力にも目を付けている。
 目の前で、傷を癒したことも起因しているだろう。
 腹立たしく思う幽谷は曹操を睨みつけ、関羽を連れてその場を離れた。



‡‡‡




「最低だわ……曹操」


 末席に座ると、関羽はそう呟いた。
 その側に立って、幽谷は周囲に目を光らせる。無用な人間が近付くのを牽制する。四凶が睨むだけでも、効果は十分だった。


「幽谷、あなたも座ったら? 怪我をしていたでしょう?」

「傷はもう治っておりますので私のことは心配には及びませぬ。ご安心下さい。関羽様に、人間を近付けさせませぬ故」

「……ありがとう。でも、無理はしないで」

「ありがとうございます」


 不安げに見上げてくる関羽に、幽谷は微笑んで見せた。

 だが、その時である。


「関羽、幽谷!」

「あ……趙雲!」


 ……幽谷は顔を歪めた。

 こちらに駆け寄って来るのは趙雲だ。難しい顔をして二人の前に膝をついた。


「大丈夫だったのか? お前が、華雄を討ったと……」

「え、ええ。大丈夫。華雄を討ったって言っても、幽谷が気を引いてくれたからなのよ」

「いいえ。関羽様の的確な眼力が無ければ、あの一瞬で倒すことは出来なかったでしょう」

「……そうだ、幽谷。お前も怪我をしていた筈だ。大丈夫なのか?」


 戦場を曹操軍の夏侯淵に運ばれていただろう。
 言われ、幽谷は片目を眇める。彼にも見られていたのか。これは面倒だ。


「私は怪我などしておりませぬが。どなたかと勘違いしておられるのでは?」

「なら、その血は何だ?」


 指摘されて、えっとなる。
 指差された場所を見下ろすと、腰帯を締める紐に広範囲に血が染み込んでいる。
――――失念していた。傷は勿論、血痕も術で消していたから目立たなくなっていたと思い込んでいた。

 幽谷は咄嗟にそこを隠す。訝る趙雲の視線から逃れるように、顔を逸らした。


「これは……何でもありません」

「何でもないということは無いだろう! やはり怪我をしたんだな? だったらこの場にいては――――」

「関羽様をお一人で残してしまえば、曹操が何をしてくるか分かりません。真実怪我など負ってはおりませぬ故、お気になさらないで下さい」


 頭を下げて、丁寧に拒絶する。

 趙雲は顔を歪めた。

 関羽も、心配そうに幽谷を見上げる。しかし幽谷は気付かぬフリをした。本当に何でもないのだと、無表情に佇んで示す。
 されど不意に関羽が幽谷の腕を引いた。無理矢理、隣の空席に座らせる。

 幽谷は困惑して関羽を見やった。


「これで良いわ。疲れているんだから、立っているよりはだいぶ楽でしょう? 趙雲も、これで許してくれないかしら。この場にわたしだけっていうのも、やっぱり心細くて……」


 関羽が言うのに、趙雲は承伏しかねるようだがやおら頷いた。

 安堵したように関羽は趙雲を幽谷の向こう側に座るように促した。そこもまた、空席だったのである。
 幽谷が露骨に嫌な顔をしたが、無視をした。趙雲は優しいのだし、四凶と蔑んだりしない人間なのだから仲良くなってもらいたかった。


「幽谷。きつかったら我慢するな。いざとなれば俺が関羽と共に送ろう」

「不要です」

「……」


 ……前途、多難……かしら?
 趙雲とまともに会話をしようとしない幽谷に、関羽は苦笑を漏らした。



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