後は休むだけだからと、裸で泉に潜ってしまった幽谷を一人残し、関羽と世平は天幕に戻る。
 すると丁度、曹操の兵士が訪れた。


「十三支の娘はいるか?」

「どうかしたの?」

「これより本戦の勝利を祝した宴が開かれる。曹操様よりお前も宴に出席するようにとのことだ」


 関羽は瞠目した。すぐに断る。人間ばかりの宴に参加なんてしたくなかった。それに戦勝を祝すような気分にはとてもなれない。

 だが、華雄を倒した功績があるのだからと、兵士は聞いてくれなかった。

 おまけに、それを世平達も聞いていて。


「え――! マジで!」

「ほ、本当か!? お前が華雄を倒したのか?」

「え、そんな……あれは幽谷が気を引いてくれたからで……」

「とにかく、お前は間違いなく宴の主役だ。さあ。参るぞ」


 関羽は逡巡した。
 どうしよう。
 行くべきなのか、どうなのか……。


「……幽谷に、相談したいの。あと、出来れば同行してもらいたいのだけど……」


 相談すれば彼女はすぐについてくると申し出てくるだろう。
 重傷を負ったばかりの彼女に頼るのは気が引けるだけれど、一人で人間達の宴に行くのは、正直心細かった。


「幽谷、とは四凶か。……そうだな。確かに、あれもお前と共に華雄と戦ったと聞いた。ならば、私はここで待っていよう。行ってくるが良い」

「ごめんなさい、ありが――――」

「待て」


 頭を下げて天幕を飛び出そうとした関羽を、外から誰かが呼び止めた。

 兵士が慌てて振り返り、こうべを垂れる。

 入ってきたのは夏侯惇であった。


「か、夏侯惇!」

「四凶なら、俺が呼んでくる。奴は何処にいる」

「幽谷なら近くの泉にいるけれど……でも、どうしてあなたが?」

「夏侯淵のことで、話があるだけだ」


 夏侯惇は素っ気なくそれだけ言うと、颯爽と天幕を出て行ってしまう。夏侯淵のことでというと、やはり怪我のことだろうか。

 首を傾げて彼を見送ると、世平が関羽を呼んだ。


「関羽。止めた方が良いんじゃねぇか?」

「え? ――――ああ!!」


 そうだ、今幽谷は裸……!


「まっ、待って夏侯惇! 泉に行っちゃ駄目!!」

「お、おい十三支の娘……!?」


 関羽は夏侯惇を追って天幕を飛び出した。



‡‡‡




 幽谷は泉の真ん中に立っていた。
 濡れた肌は月光に青白く照らされている。身体の線は細く、しなやかだ。
 彼女が左腕を動かすと、脇の下に目の痣が認められた。四凶・饕餮の証である。

 つと、背筋を水が伝い落ちる。

 幽谷は不意に水中に潜った。微かな月光すらさほど届かぬ底を細い手足を動かして悠々と泳ぐ。
 そして、ぐんと底に手を突いて泉の際(きわ)に立った。

 髪が顔に張り付くのを剥がし、髪を握り締めて絞る。ぼたぼたと水が落ちた。それらは身体の緩やかな凹凸に湾曲しながら伝って水面に混じる。

 泉から上がった彼女は、物音に気が付いて色違いの目をすっと細めた。
 さっきからずっと気にしてはいたけれど――――覗きか。
 呆れる。ご苦労なことだ。四凶の身体なぞ見てもどうもならぬであろうに。

 されど、違う方向からも騒がしい声が聞こえてくるのだ。


「だから駄目なのよ! わたしが行くから夏侯惇は先に宴に行っていて!」

「何なのださっきから! 理由も言わずに帰れなど……何か企みでもしているのか!」

「そうじゃないの! だけど本当に――――」


 これは、関羽と夏侯惇の声ではないか。
 何故二人が……?
 怪訝に思って彼らが現れるのを佇んで待つ。

 やがて――――先に木の陰から姿を現したのは夏侯惇であった。
 彼は引き留めようと袖を掴む関羽を引き剥がすと、そこでようやく幽谷に気付いた。

 固まる。


「な――――」

「あああ!! 幽谷!! 服を着て! 早く!」

「……申し訳ありませんが、」


 その服が、夏侯惇にしっかりと踏まれてしまっていた。
 指差すと関羽が夏侯惇を押し飛ばして服を拾い上げた。

 夏侯惇は、その場に倒れた。


「幽谷、早く! ああっ、こっち向いて着替えちゃ駄目!」

「はあ……」


 付いた砂を払って関羽が服を押しつける。

 幽谷は少しばかり困惑しながら、彼女の言うままに関羽に背を向け、袖に腕を通した。


「女! 何故このことを言わなかった!」

「いっ、言える筈がないでしょう! あなたは男なんだから――――って、こっち見ないで!」

「あの、関羽様」

「幽谷は早く着て!」

「……御意」


 ここにもう一人人間がいると言ったら、彼女はどうするのだろうか。
 未だに気配が残る大きな岩を見やり、幽谷は片眉を上げる。

 そして、


「……関羽様。一応、言っておきます」

「え、何?」

「そこに、ずっと人がいるのですが」

「――――」


 関羽はざっと青ざめた。幽谷の指差した方を見、声を張り上げた。


「だっ、誰!? 隠れてないで出てきなさい!」


 すると岩の影から出てきたのは――――馬超である。
 彼はにやにやとしながら、片手を上げてみせた。悪びれる様子は、全く無い。

 幽谷は呆れて吐息を漏らした。


「あ、あなた……!」

「やはり、あなたでしたか」

「悪ぃな。こっちにゃ単に涼みに来たんだが、魅力的な身体だったんでつい見とれちまった」


 関羽が彼をどんなに責めても無駄だろう。
 幽谷は手早く服を着て、一応馬超に頭を下げて歩き出した。


「ところで関羽様、何かご用があったのではありませんか?」

「……あ、そ、そうなの! 実は宴に出ろって……幽谷に一緒に行ってもらいたくて」

「分かりました。では参りましょう。……ですが、夏侯惇殿は何故?」

「夏侯惇は、夏侯淵のことで幽谷に話があると言っていたのだけど……」


 当の本人は木に寄りかかり何事か呟いている。馬超に面白がられているのにも全く気付いていないようだ。

 幽谷は仕方なく、彼に歩み寄り、肩に手を置いた。

 直後である。


「……っ!!」


 もの凄い形相で振り払われた。
 夏侯惇の顔は、真っ赤である。

 たかだか四凶の裸ぐらいで何をそんなに意識する必要があるのかと疑問を感じながら、幽谷は「先に行っております」と言って関羽の方へと戻って行った。


「幽谷、夏侯惇は大丈夫?」

「さあ、どうでしょう。取り敢えず今は放っておいた方がよろしいかと」

「姉ちゃん」


 不意に、呼ばれる。
 幽谷をそんな風に呼ぶのは馬超だけだ。
 眉根を寄せて振り返ると、彼は機嫌が良さそうに、


「良いもん見せてくれてありがとよ」

「なっ!?」

「……はあ」


 良いもの、か?
 幽谷は、こてんと首を傾けた。



●○●

 どうでも良い補足。
 この時点では彼女はまだ人間に裸を見られたという認識なので異性に見られたとは思ってませんし、恥ずかしさも感じてません。

 恥ずかしさを感じない理由はそのうちに。



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