剣撃が空を裂き、夏侯惇を襲う。

 受け止めた夏侯惇はよろめいた。


「ぐっ……」

「どうした! 夏侯惇! 曹操配下の勇将で知られる男がこの程度か!」


 猛将華雄。
 彼にとっては、曹操軍屈指の夏侯惇も猫の子か。
 呂布に次ぐ猛将との謂われも、確固たる所以あってのことだったのだ。
 幽谷は関羽を背に庇い、一方的に攻められる夏侯惇を見つめた。

 華雄の一撃は非常に重い。防戦一方では腕に負担がかかって不利だ。体型の比較的小柄な彼とは、華雄は相性が悪かった。
 素早い攻撃に正確に急所を突く剣筋すら、華雄の一撃は狂わせてしまう。

 関羽でも、彼の力には敵わぬだろう。

 夏侯惇が、華雄の横一閃をいなし損ねて後ろによろめいた。


「その首、もらった!」


 華雄が、夏侯惇に迫る。

 が――――横合いから夏侯淵が華雄に襲いかかった!


「させるかぁ!」


 華雄の三叉を弾き飛ばし、夏侯惇の前に立つ。


「兄者! 華雄の首は、このオレが!」

「夏侯淵! すまん、助かった!」


 夏侯惇が体勢を立て直して礼を言えば夏侯淵は頷く。


「任せてくれ! 華雄、その首をよこせ!!」


 夏侯淵の一閃、一撃を受け止めた華雄は、ニヤリと嗤(わら)う。
 夏侯惇より劣ると怒鳴って夏侯淵を押し飛ばすと、彼に向かって三叉を突き下ろす――――。


「危ない! 避けろ、夏侯淵!」


 夏侯惇が鋭く叫ぶも、遅い。

 三叉は、夏侯淵の腹に深々と突き刺さった。
 彼の背から突き出た切っ先からは、夏侯淵の血が伝い、滴り落ちる。

 夏侯淵が呻き、剣を取り落とした。だが、ぎこいない動きで、華雄の三叉を握り締める。


「夏侯淵! 命令だ! 下がれ!」

「そ、曹操様……」

「今しがた追いついた。夏侯淵、今すぐ下がるんだ!」


 曹操が息を切らせて夏侯惇の隣に立つ。

 しかし、夏侯淵は手を離さなかった。


「ふん! 槍を離さんか! 一気に引き抜いてくれるわ!」

「やめろっ! 血が吹き出る!」

「やめて!!」


――――それはまさに玉響(たまゆら)である。
 関羽の悲鳴じみた懇願に応じて、幽谷が動いた。

 華雄と夏侯淵のに肉迫して三叉を掴み、夏侯淵の腹から無理矢理引き抜く。それから血が吹き出す前に彼の傷に札を貼り付けた。血止めと、微弱ながらに治癒効果のある札である。取り敢えずは、これで彼は大丈夫である筈だ。


「なっ、何だ貴様……四凶か!」

「夏侯淵殿! 今のうちに下がって下さい!」

「……っふざけるな! これぐらいで死なん! 兄者! 共に華雄を!」


 夏侯淵は幽谷に怒鳴り返し、夏侯惇を呼んだ。

 されど夏侯惇は反対する。
 札で血が止まっているとは言え動けば札は剥がれてしまうだろうし、そうなると血が吹き出してしまう。大量に血を流して死するか、怪我で鈍ったところを殺されるか――――それしか無い。

 だが夏侯淵は譲らなかった。関羽達に手柄を取られるとも思っているからだろう。

 幽谷は舌打ちし、怒鳴りつけようかとしたその直前――――。


「だまれ! だまれ! これは曹操様の命令だ! 聞けぬなら兄弟の縁も切る!」


 夏侯惇の怒号が飛んだ。

 すると、夏侯淵は声を詰まらせた後、悄然(しょうぜん)と頷くのである。悔しそうに、地面を睨んだ。

 そこへ、華雄の嘲笑が響いた。
 大音声(だいおんじょう)で彼らを侮辱する。
 幽谷は片目を眇め、再び三叉に手を伸ばした。


「曹操よ! どうせなら貴様自身がかかってこい!」

「いいえ、その必要は全くございません」

「何――――ぬぅっ!?」


 幽谷は三叉を掴んだ。

 華雄は目を細め、三叉を引く。
――――驚愕。


「なっ、何!?」


 ……動かない。
 夏侯惇すら圧倒した彼の剛力を以てしても、彼女の手から三叉を取り戻すことが出来ないのだ!

 何故だ!
 何故動かない!
 華雄はこの時初めて狼狽した。
 幽谷はさらりとした顔で、三叉を押し返した。

 華雄の身体がよろめく。


「何を……四凶如きが、我に力で勝るだと!? 貴様、化け物か!!」

「……どうだ? その汚らしい四凶(ばけもの)に負けた気分は」


 幽谷は口角をつり上げた。彼を嘲った。

 華雄は怒りで顔を真っ赤にする。自分達が蔑む存在に嘲笑われる……それが彼にとってどれだけの侮辱となろう。
 彼は雄叫びを上げて幽谷に突進した。

 幽谷はしかし、その場を動くことも、武器を手にすることもしなかった。


「汚らわしい四凶がああぁぁぁぁっ!!」

「……関羽様!!」


 華雄が三叉を振り上げたところでようやく匕首を持って迎え撃つ《フリ》をし、関羽を促す。矜持を抉られた彼は今、幽谷しか見えていない。


「ったあああぁぁぁぁっ!!」


 一閃。
 幽谷はその瞬間腹に異物が入り込むのを感じた。


「何……だと……!」


 華雄は、己の横から首を切りつけた少女を見下ろす。
 鎧の隙間を、寸分の違いも無く正確に狙った一撃を放ったのは、頭に猫耳の生えた、娘。


「が……我が、十三支、に……?」


 幽谷は目を細め、三叉を掴む。そして、ばきりと折った。

 その場に倒れ込む華雄を睨みつけるように見下ろし、ふと関羽は顔を上げた。
 そして高らかに声を張り上げるのだ。


「華雄の首、この関羽が討ち取ったわ!」


 幽谷は立ち上がり、関羽に深々とこうべを垂れた。



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