また、周囲が騒がしくなる。
 当然だ、関羽は猫族、幽谷は四凶。人間から蔑まれる存在なのだから。

 狼狽える関羽は幽谷の腕を掴んで、曹操を問いたげに見つめた。
 幽谷は、動じた様子も無く、張飛の影に隠れることも諦めて曹操の言を待っている。

 薄く笑う曹操に、袁紹は躊躇いがちに問いかけた。


「この十三支達は曹操殿の配下なのですか?」

「ああ、そうだ。曹操軍ではないがな。この者達がいる軍を配下に置いている」


 涼しげに言う彼に張飛が噛みつくが、幽谷がすぐに宥めた。

 その様に袁紹は笑声を漏らす。その一瞬彼の双眸に侮蔑と嘲笑が浮かんだのを幽谷は見逃さなかった。
 穏やかそうなのは外見だけ。この男は腹に一物も二物も持っている。そう感じた。


「さしずめ十三支軍といったところでしょうか」

「十三支軍? ……いや、この者達の軍の名は……劉備軍だ」


 関羽は瞠目した。
 よもや、彼がそんなことを言うとは思わなかったのだ。

 幽谷は外套に手を伸ばす。
 彼のこの言動は、侮辱しているとしか思えない。

 そんな彼女らに、曹操は言う。


「お前達は以前、劉備のために戦っていると言っていたな。ならばその名を冠につけるのは当然だろう」

「……馬鹿にしているの? こんな……こんなことに劉備の名を使うなんて……!」

「此度の戦い、各地の名だたる諸侯が華雄を討つべく、己の軍で最も強い将を出しているのだ。言ってみれば華雄を討った者がその頂点。この大陸屈指の勇将となるのだ」


 関羽の怒りなど構う筈もなく彼は彼女の耳元に口を寄せる。

 幽谷はその首筋に匕首を当てようとしたが、それよりも早く囁いた。


「関羽よ、お前が華雄を討つのだ」

「え……」

「……」


 幽谷はすっと目を細めた。
 彼の首に匕首を押し当てると、近くで夏侯惇が剣を抜いたのが見えた。


「狂(たぶ)りましたか」

「いいや、私は正気だ。至極真面目に、この話をしている」

「私が、」

「お前では意味が無い。十三支でなければな」


 今回の戦いで十三支の力を世の諸侯にまざまざと見せつけろ。
 彼は低く言った。拒絶は許さぬ、そう彼の漆黒の双眸が物語っている。

 関羽は困惑していた。数歩、下がる。

 そこへ、曹操は彼女を追い詰めるように言葉を重ねるのだ。幽谷の無言の脅しすらも効いていない。
 最後に、期待に応えなければ猫族を始末するという脅しもつけ加えて、笑う。


「わかったな」


 彼は不敵な笑みを残し、歩き去ってしまう。

 関羽は茫然と彼の後ろ姿を見つめた。
 目を見開いて、僅かに震えている。

 幽谷は関羽の肩を叩いた。びくん、と震えた。


「関羽様」

「……わ、たしが、やらないと」


 やらないと、皆が。
 殺されてしまう。
 震える声で彼女は呟く。

 一瞬、曹操に殺意が湧く。
 されど関羽に縋るように腕を掴まれて、それもすぐに失せてしまった。


「関羽様。無理ならば私が」

「ううん……わたしがやらないといけないから」


 震えが収まる。
 彼女は一つ深呼吸をすると、大きく頷いた。彼女の瞳は、もう揺るがない。
 ああ、また背負うつもりだ。
 まだ人を殺すことに抵抗があるのに。恐怖しているのに。

 張飛を見れば、彼は殺気立って夏侯惇と言葉を交わす曹操を睨んでいた。彼にも、曹操の言は聞こえていただろう。


「……関羽。私があなたの側にいるから。あなたの苦は私も背負うから」


 だからため込まないで。
 口調を戻し、背中を撫でながらそっと語りかける。
 関羽は微かに頷き、小さく礼を言った。

 そんな彼女らを無視して、人間達は話を進めていく。

 関羽は居住まいを正して袁紹達に目を向けた。
 張飛も幽谷が宥めた。


「次は袁術軍ですが、袁術? 袁術はどこに行ったのでしょうか?」

「先ほどから姿が見えないようじゃが」

「昨日あんだけ吠えといてこの場にご本人様がいねぇとはな。大方、華雄の名を聞いて臆病風にでもふかれたんじゃねぇか?」


 馬超の言に周囲を見渡していた袁紹は溜息をつき、眉尻を下げた。


「困りましたね……」

「いないものは致し方あるまい。いる者のみで華雄を討つべく動くしかないであろう」


 公孫賛の言葉に、袁紹は暫し思案する。それから諸侯に頭を下げた。


「申し訳ありません。それでは袁術軍を欠いた状態ですが、今より行軍を開始しましょう」


 袁紹は一旦言葉を止めて、声を張り上げた。
 彼の号令におうと返し、兵士達は喊声(かんせい)を上げる。

 幽谷と関羽は、互いに顔を見合わせた。


「関羽。あなたの援護は私が。けれど、無理であるなら止まって。嫌ならば私が華雄を討つわ。良いわね?」


 関羽は寸陰黙り込んで、緩くかぶりを振った。


「……大丈夫。もう覚悟は決めたわ。幽谷こそ、無理は絶対にしないで」

「ええ」

「じゃあ――――行きましょう!」


 誰よりも早く。
 猫族の皆を守る為に!
 関羽の言葉に、幽谷は力強く頷いた。少しばかり、表情が苦く歪んでいた。

 そして、二人は同時に大地を蹴る――――。



 それを曹操がほくそ笑みながら見つめているとも知らずに。



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