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関羽は一人、夜の森を歩いていた。
勿論、陣屋の明かりが届くまでだ。
幽谷は猫族の陣屋の見張りをすると言って関羽の側を離れている。きっと関羽が陣屋を離れたことに気付いたら、必死に探してくるだろう。見つかったらお説教は確実だ。
それでも、戦の前日に不安な気持ちを、少しでも落ち着けておきたかった。
明日の戦い、勝てるのか。
自分達は生き残れるのか。
幽谷がいてくれる、皆がいてくれる。
彼らは決して弱くはない。
だけど。
でも。
脳裏に浮かぶのは呂布と張遼、そして犀煉の姿である。
彼らがいるということが不安を増幅する。
考えてばかりだから、いけないのだと思う。
けれども、どうしても――――。
「……! 誰!?」
背後に気配を捉えた彼女は咄嗟に声を張り上げた。
しかし、今彼女は偃月刀を所持していない。襲われても戦う術など無かった。
関羽はじりじりとその場を離れる。
――――されど。
「警戒するな。ここで危害を加えるつもりは無い」
「!! あ、あなたは……」
鉄紺の衣を身に纏う男――――犀煉。
影で見えないが、赤い目だけは、鋭利に煌めいている。
関羽は一層警戒心を強めた。
しかし、犀煉は本当に害意が無いのか、「そのまま聞いていろ」とにべも無く抑揚の無い声で言った。
「幽谷をこの戦に出すな」
「……何ですって?」
関羽は眉を顰めた。
「幽谷をシ水関にも虎牢関にも出すな。シ水関に呂布はいないが、人の子を殺してあれを刺激するべきではない」
「どういうことなの? あなたの言っていることが良く分からないわ。幽谷を刺激するなってどういうこと? どうして、あなたがそんなことを言うの?」
「さもなくば、お前の知る幽谷が消失してしまうぞ」
それは、嘘なのか、まことなのか。
関羽は探るように犀煉を見据える。
彼が何を考えているのか分からない。
闇の化身とも思える程に気配の無い彼は、ただじっと関羽の視線を受け止めるだけだ。
だが、ともすれば犀煉はそのまま闇に溶け込んでしまいそうだ。
これは幻覚なのではないかと思えてしまう。
どうして、こんなにも気配が無いのか。
関羽が彼の忠告に結論を出せないでいると、犀煉はやおら吐息を漏らした。
「……理解出来ないのならそれで良い。だが、俺の忠告を聞かなければ、いつかお前はそのことを後悔するだろう。本当に幽谷が大切ならばな」
鉄紺の衣を翻して彼は闇に身を投じる。
見えなくなる前に、関羽は彼を呼び止めた。
「待って! まだ、あなたの話は信じられないわ。もっと詳しく聞かせてちょうだい。それに、あなたは幽谷のことをどう思っているの? これじゃあ、まるで幽谷のことを心配しているみたいだわ」
「お前がこれ以上を知る必要を感じない。あれは人から外れた存在、それだけで良いだろう」
犀煉の返答は、答えにはなっていなかった。
そのまま闇に消えてしまう。
関羽は手を伸ばすが、犀煉はもう何処にも姿が見えなかった。
手を下ろし、関羽は犀煉がいた場所を見つめる。
そこに赤は無い。
何もかも呑み込んでしまうような深い闇だけ。
関羽は唇を引き結び、拳を握った。
「……犀煉。あなたは、一体何なの?」
幽谷のこと、刺したのに。
残酷な扱いをしていたのに。
どうして、あのような――――。
彼女の疑問に答える者は、いない。
‡‡‡
翌日。
遠くに見える砦を睨み、連合軍は布陣した。
「皆さん、おはようございます。昨日はよく眠れましたでしょうか?」
丁寧な口調で語りかけるのは、この連合軍で盟主となった袁紹。由緒ある袁氏の本家の出だ。
そう、兵士が話していたのを聞いた。
「今日からいよいよ董卓討伐の戦いが始まります。私たちの敵、董卓は洛陽にいます。そして、本日攻めるのは洛陽の要害、難攻不落と言われるシ水関です」
その守りにつくは、華雄。
董卓軍の中では呂布に次ぐ将であるらしい。
俄(にわか)に騒ぎ出す兵士達を後ろから眺め、幽谷はふとシ水関を見やる。
彼らを、袁紹が咎めた。
「皆さん、お静かに。我々連合軍の強みは、名だたる諸侯が各々最高の軍を持ち寄っていることです。いかにシ水関が難攻不落と言われようが、華雄が猛将であろうが、我々連合軍には精強誇る妙々たる名将が揃っています! その将らを持って、必ずやシ水関を落としてみせましょう!」
袁紹の声は心強かった。一片の震えの無いその声は辺りに響き、兵士達の同様をことごとく鎮めていく。
自然と、ざわめきは無くなった。
袁紹はそれに頷いて微笑むと、即座に表情を引き締めて諸侯を見渡した。
「諸侯の皆さん、昨日のお話通り最前線に配置する将を各軍で用意していただけましたでしょうか」
曹操を含む諸侯は、皆一様に頷いた。
それから、各々紹介が始まる。
袁紹軍からは、顔良と文醜。
彼らは二虎将軍として非常に有名である。
顔良は中性的な美丈夫、文醜は屈強な壮年の男だった。
公孫賛軍からは、趙雲である。
無駄なことは何も言うまい。
幽谷は取り敢えず、彼にだけは見つかるまいと関羽の側に立つ張飛の影に隠れた。
そして曹操軍からだが――――当然ながら夏侯一族二名であろう。
……そこまでは良かった。そこまでは。
「更に……、我が軍の配下より十三支の兵を二人。……関羽と幽谷を同じく最前線に配置する」
「え!?」
「んだと!」
十三支と、四凶。
周囲が驚愕したのは、言うまでもない。
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