曹操によって書かれた反董卓の檄文は、董卓に不満を持つ地方諸侯のくすぶる思いに火をつけた。

 各地より、名だたる書証が参集する。
 筆頭は四世三公の名門・汝南袁氏より袁紹と袁術。
 騎射に優れた騎馬軍団・白馬義従を育て上げた北方の勇である公孫賛。
 そして、曹操と夏侯惇たちが合流し、反董卓軍の総勢は二十万を超えるほどだった。




‡‡‡




「見て〜、お馬さんがいっぱいだよ〜」


 曹操の檄文によって集結した軍を眺めながら、劉備がはしゃいだ声を出した。


「本当だ、すごい数の人が集まってきたものね」

「曹操様が書かれた檄文に全国の名だたる諸侯が賛同してきたのだ」

「それだけ皆、董卓のやり方に不満を持っていたということだ」

「それでみんなで一致団結して董卓を倒そうってことなの?」


 曹操は首肯する。
 二十万の兵を連れ、洛陽を目指す。
 だが、戦地は洛陽ではない。
 シ水関、虎牢関という砦が道中に聳(そび)え、それらを突破しなければならないのだ。
 そして恐らくは、そのどちらかに呂布や犀煉が置かれる筈。

 幽谷は関羽らの後ろで拳をぐっと握り締めた。


「董卓を倒さぬ限り、私にもお前たち十三支にも未来はない。もはや私たちは一蓮托生だ。お前たち十三支、四凶の力を余すことなく発揮しろ。わかったな」


 犀煉は、暗殺が主だったとは言え、幽谷と同じでその気になれば呂布のような戦斧だって扱える。
 彼と相対した時、最初から本気を出し、一気に片を付けるべきか――――。


「幽谷」

「……っ、あ……」


 曹操に呼ばれ、幽谷ははっとしたように顔を上げた。

 訝しげな曹操は、存外近くに立っていた。いつの間にこんなに近くに来ていたのか……。


「何でしょうか」

「怪我はもう良いのか」

「……ああ、ええ。もう大丈夫です。お気遣い傷み入ります」


 というか、もう無いのだけれど。


「水に浸ければ大方の傷は治る……あの鉄紺の男はそう言っていたな。四凶故か」

「……恐らくはそうでしょう。私にも分かりかねますが」


 刺された腹を撫で、幽谷は視線を落とす。
 あのような形で曹操達に知られてしまうとは思わなかったが、過ぎたことをあれこれ思っても仕方のないことだ。

 ふと、夏侯惇が幽谷の手を掴む。
 驚いて彼を見上げると、「やはりな」と呟く。


「俺の剣を掴んだ時の傷も、それで治したのか」

「……ええ」


 それを確認していたのか。
 まさか夏侯惇が手を持ってくるとは思わなかった。


「随分と便利な身体だな」


 曹操が言うのに、関羽が幽谷の腕を引いた。


「曹操!」

「……冗談だ」


 彼女が咎めると、曹操は鼻で笑ってそう言う。
 絶対に、冗談ではない。
 幽谷を何度でも使い回せる駒だとして認識したのだろう。
 ……これで単身敵軍に突っ込めとか言われても困る。


「曹操様、そろそろお時間です」

「うむ、わかった」


 夏侯惇に目配せし、彼は関羽達に声をかけた。


「これより各諸侯との作戦会議が行われる。そこで此度の作戦を決めるのだ。いつでも出陣できるようにしておけ」


 関羽達の返答は待たずして、彼らは早足に陣屋へと歩いていく。
 関羽はその背中を睨むように眺めていた。

 かと思うと、ふと幽谷を見上げて、


「ねえ。幽谷。一つ訊いても良い」

「……ええ、何なりと」

「あの煉って人……あなたとは長い付き合いだって言っていたのだけど……」


 問いかけると幽谷は視線を彼女から逸らす。答えるべきか、迷っていた。
 だがやがて、


「煉というのは私の呼び方です。本名は犀煉。私が所属していた暗殺一家犀家の嫡男であり、私の教育係だった男です」

「え……そうなの!?」

「はい。私が未だ犀家にいた頃、行方知れずになっておりましたが、よもや呂布に仕えているなどとは……正直、彼と戦うとなれば最初から本気を出さねばなりません。故に、その際は皆様のお側から離れねばならぬかと存じますが……」


 関羽は眦を下げた。

 その隣で、劉備がこてんと首を傾げる。関羽と同じで、とても悲しそうだ。


「その人、お友達なの? 幽谷、お友達と戦うの?」


 友、と言われて幽谷はそうだろうかと思案した。
 犀煉はたまに、本当にたまに幽谷に優しかった。
 だが――――犀煉を友だとは到底思えない。


「いえ……友、とは違います。もっと違う感情だと思うのですが……」

「もっと違う感情って――――まさか!」


 がしっと。
 関羽に肩を掴まれた。

 鬼気迫るその顔に幽谷は困惑した。


「あ、あの……」

「幽谷……っ! やっぱりあなたこの戦に出るべきじゃないのかも!! ううん、絶対に出ちゃ駄目!」

「は、あの……何か、勘違い、しておられませんか?」

「大丈夫よ! わたしが何とかしてみせるから!!」


 ……多分、いや確実に勘違いしている。
 変な方向に彼女が暴走する前に、先に解いておいた方が良いだろう。それが曹操達の耳に入ったら色々と面倒だ。


「関羽様。私は別に犀煉に女としての感情などは抱いてはおりません。というか、皮を剥いだりしてきた人に抱く筈がないでしょう」

「え……そうなの?」


 すると、彼女は肩を落とす。……いや、仮に実際そうだったとしたら、非常に厄介なことになると思うのだけれど。


「だから、あなたの思うようなことをしなくて良いんですよ」

「ご、ごめんなさい。わたしったら……」


 顔を赤らめて恥ずかしそうに肩を縮める彼女に、幽谷は笑った。

 されど、劉備がその手を握ってくる。
 見下ろせば、彼の表情は未だ曇ったままだった。


「幽谷……」

「どうしましたか。劉備様」

「つらくない?」

「……、……そうですね」


 犀煉は、たまに優しかった。
 頻度は非常に低かったとは言え、他人と違って完全には幽谷を忌んではいなかった。
 それを思うと、戦いづらいものもある。
 けれど、呂布に従っているのならば戦わなければならない。
――――猫族に忠誠を誓った者として。

 犀煉は敵。
 そう、割り切らなければならないのだ。


「劉備様。私なら、大丈夫です。彼と戦う覚悟はすでに出来ています。ですから、お気になさらないで下さいませ」


 幽谷は身を屈めて劉備と目線を合わせて笑ってみせた。


「……つらくないの?」

「はい。犀煉は、敵ですから」


 はっきりと言うと、劉備はぐにゃりと顔をしかめてしまう。
 幽谷に抱きついた。


「……つらいなら、つらいって言わないと駄目だよ」

「ありがとうございます。その言葉だけで、幽谷は充分です」


 劉備の頭を撫でるが、彼はの腕は少しばかり強くなる。

 幽谷は、苦笑を漏らすのだった。

 劉備が離れたのは、それから暫くしてのことである。



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