18
日が暮れた頃、張飛を連れて幽谷と関羽は曹操の屋敷に戻る。
曹操軍で集められた兵士は三十人。軍の中でも精鋭を集めている。その中には勿論夏侯惇と夏侯淵の姿もあった。
緊迫した空気の中、幽谷は居心地悪そうにしている関羽と機嫌の悪い張飛の後ろに控え、曹操が言を発するその時を待つ。
彼は関羽の様子を見、一笑した。
「同行することを決めたというのに、随分と覇気のない顔をしているな」
「曹操……」
「そう怒るな。お前も董卓をこのまま野放しにしていいとは思わないだろう?」
「んだよ、足元見やがって。董卓のヤローがエラくなったらオレら猫族がやべーって話だろ。そんなん聞いたっつーの。でも勘違いすんなよ、オレたちがここに来たのは劉備のためだ」
猫族にとって劉備は宝。
絶対に見捨てることなど無い。
そう、全ては劉備の為。
彼を守る為に、猫族は望まぬ人間の争いに身を投じることを決めた。
そしてこの自分は、劉備や関羽達猫族の為になるならば、この世の人間達を殺してやっても良いと思っている。彼らが平穏な暮らしを取り戻せるのなら……今ここで曹操を、夏侯惇らを消すことだって厭わない。董卓の首だって、呂布と差し違えてでも取ってやる。彼女がそれをしないのは、偏(ひとえ)に関羽達に止められているからに他ならない。
幽谷は鼻で笑う曹操の前に立ち、きっと睥睨する。
すると不意に、関羽が幽谷の手を掴んで、
「すぐに終わらせるわ」
と。
曹操はいよいよ笑みを濃くした。
「ほう……言うな。ならばお前も先頭に来い。共に董卓を討つぞ」
「ならば私も前に出ます」
「そう言わずとも、お前は元から先頭に配置するつもりだった」
「……関羽様がおられないのならば、お断りしたでしょうね」
関羽がああ言うのを予想していたのではないか、そんな推測が浮かぶが、即座に否とした。さすがにそれ程の人間などそうはいない。
「姉貴、いいのかよ?」
「こんな戦いすぐに終わらせてみんなのところに帰りましょう。もちろん、三人で劉備のところに寄ってね」
関羽が幽谷と張飛の手を強く握る。
だがその手は、じとりと汗ばんでいた。
「ああ、そうだな」
張飛は笑い、その手を握り返す。
幽谷も同じように。
しかしふと、曹操を呼んだ。
「一つ、武器をお貸しいただきたいのですが」
「何故だ? お前の武ならば暗器で十分だろう」
「念には念を。かの董卓には呂布なる猛将がいると、昔に伝え聞いたことがございます故」
さらりと嘘を言い、幽谷は答えた。
呂布は剛力であり、暗器程度ではまともにやり合えない。
槍でも何でも良いから、彼女の戦斧に対抗できる武器が欲しかった。
曹操は暫し思案した後、頷いた。
「分かった。大刀をやろう。好きに使え」
「ありがたく存じます」
大刀……ならばかなりの重量の筈だ。呂布の攻撃にも耐えられるだろう。
近くの兵士に指示を飛ばす彼に、幽谷は頭を下げた。
関羽と張飛だけは何としても守らなければ。
‡‡‡
「曹操様、各員準備完了しました!!」
整列した兵士を見、曹操は頷いた。
「これより、悪逆なる董卓の屋敷を攻める。董卓を討ち、洛陽に平和を取り戻すのだ! 各々が己の役目をやり遂げろ!!」
兵士達が応えを返す。
勇む曹操軍とは裏腹に、関羽と張飛の面持ちは暗い。されど、覚悟した色も見えた。
幽谷は大刀を握り締め、一度深呼吸した。
殺す。
呂布と董卓を。
この幽谷が。
「出撃せよ!」
曹操の高らかな号令と共に、幽谷は腹に力を込めた。
眼帯はしていない。この場には不要だから。
幽谷は確かめるように大刀を回し、一つ頷いた。大刀と言えども幽谷にしてみればとても軽い。これなら、楽に振るえるだろう。
長柄武器は随分と久し振りだが、きっと大丈夫。
「幽谷、行きましょう」
「……はい」
関羽に頭を下げて、幽谷は歩き出した。
と、張飛が幽谷の手にした大刀を眺め、
「そう言やよ、幽谷が暗器以外で戦うのって、初めてじゃね?」
「そうですね。猫族の村では、暗器以外と言えば木刀ぐらいでしたし……実際数年振りに使います」
張飛の眉根が寄る。
「……使えんの?」
「ええ。軽いですし。……ただ、この洛陽の建物は大変美しく、壊してしまうのが残念です」
「壊す前提なのかよ!?」
「ご安心下さい。お味方に当てはしません」
……いっそ事故を装って曹操を殺しても良いくらいなのだが。
などと、心中で付け加える。
「陣屋にて世平様が仰った通り、関羽様達は何卒(なにとぞ)ご無理はなさらないで下さいまし。いざとなれば、私がお守り致します故に」
「ええ、ありがとう。でも幽谷も気を付けてね」
関羽は幽谷が呂布と会ったことがあると知っている。世平から聞いていたのだろう、董卓の暗殺に失敗していることも。
それを踏まえて、彼女はそれを言ったのだ。
幽谷は彼女に微かに笑いかけ、頭を下げた。
そして、三人で固まって歩き出す。
離れた場所で、夏侯惇が幽谷の手を見つめていることに気付きながら――――。
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