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 ……よもや、こんな町中で会うことになるとは思わなかった。
 可能性はあれども、この広い洛陽の町中でそんなことは無いのだと、信じたかったのかも知れない。
 だが現に、こうして痛い程の視線を感じる。

 先程視界の端に捉えた女性。
 幽谷の記憶に残って消えない姿――――董卓に従う、あの女丈夫だ。
 風邪で倒れたばかりだというのに、こうも連続で彼らに会ってしまうだなんて。
 しかも厄介なことに、彼女の興味は、今幽谷の側で買い物をしている関羽にも向けられていた。

 できれば、関羽が気付かぬようにと願うばかりだが、関羽も武人。人の熱視線に気付かぬ筈もなく。

 そちらを見てしまった。
 溜息が漏れた。


「幽谷……あの人、何だかさっきからこっちを――――」

「まぁ、こんなところで子猫ちゃんと饕餮ちゃんに会えるなんて」

「こ、子猫ちゃん!? それに饕餮ちゃんって……!」


 ぎょっと関羽が幽谷を見上げる。

 だが、女性は夢見心地のようにうっとりとして、


「子猫ちゃんを見るなんていつ以来かしら。それもこんなに可愛らしい子なんて……ゾクゾクしちゃう」


 幽谷は関羽を背に庇い外套の裏に手を伸ばす。きつく睨めば、彼女はきょとんとして、すぐに納得したように頷いた。嬉しそうな笑顔に嫌な予感を覚える。


「あら、ごめんなさい饕餮ちゃん。わたくしったらつい子猫ちゃんに入れ込みすぎてしまいましたわね。勿論、貴女と久し振りに会えて本当に嬉しいんですのよ? だからどうか、そんなに怒らないで下さいな? 饕餮ちゃんの、そんな刃のようなお顔も素晴らしいですけれど……わたくしとしては、饕餮ちゃんの愛らしい笑顔も見てみたいですわ。きっと、たぎってしまうくらいに可愛いと思いますの。ああ、どうせなら、その眼帯を取ってからが良いですわね」


 ああ、その眼差しがウザったい。
 あの時もそうだった。何故か気に入られて、彼女に飼われかけた。


「怒ってはおりませぬ。私が董卓将軍のお命を狙った過去がありますればと、あなたを警戒しているまでのこと」

「つれないのね……、あの時は色違いの目でわたくしを熱っぽく見つめて下さいましたのに……」

「気の所為です」


 けんもほろろに断じる。

 女性は「でも素っ気ない饕餮ちゃんも素敵」なんて、頬を赤らめる。彼女の思考回路が分からない。

 何とかしてこの場から離れられまいか――――頭を回転させるが、関羽が幽谷の隣に並んで女性に誰何(すいか)した。

 直後、女性の眼差しか煌めく。
 そして、少女が関羽に噛みついた。


「ちょっとアンタ! アタシの呂布様にしつれーでしょ!! そんなに大きい耳つけてるくせに呂布様のこと聞いたことないわけ!? ありえないんだけどー!」

「!! そんなこと言われても……」


 少女の気迫に気圧される関羽。
 すかさず幽谷は少女に匕首を突きつけた。

 少女は瞠目し。顎を僅かに上げた。


「な……っ!?」

「我が主に無礼な物言いは、見逃せません」

「貂蝉ちゃん、そのような物言いは感心しませんわね。ごめんなさい、饕餮ちゃん」

「……」


 匕首を持つ手に触れようとした女性を拒み、幽谷は匕首を引く。しかし、外套の裏に戻しはしなかった。

 女性は残念そうに笑った。


「饕餮ちゃんは、本当にお堅いのですわね。……自己紹介が遅れてごめんなさい。わたくしの名は呂布。仲良くしてちょうだいね、子猫ちゃん、饕餮ちゃん」


 関羽は曖昧に頷く。


「それで、わたしたちに何か用ですか」

「あら、用がなければ話しかけてはいけないの? 寂しいことを言うのね……」

「あ……すみません」

「うふふ、素直で可愛い子猫ちゃんね。ますます気に入りましたわ」


 そこで呂布が関羽に接近するのを、幽谷が阻む。
 間近に彼女の顔が迫り、幽谷は嫌悪に思わず眉根を寄せた。


「……本当に勿体ないですわ。饕餮ちゃん。貴女の目、わたくしどの宝石にも勝ると思っておりますのに」


 少し前に別の男性から聞きました。
 そろりと頬を撫でられ、その手を払いのける。

 貂蝉が騒ぎ出したが、呂布は気にした風も無く、更に身体を密着させ、関羽にも秋波を送った。


「ねえ、今夜わたくしのお部屋にいらっしゃらない? 貴女たちがどれだけ可愛い子なのか、一晩かけてたっぷり教えてあげますわ」

「えぇっ!?」

「結構です!」


 狼狽える関羽を呂布から離す。自らも一緒に。
 顔を真っ赤にする関羽を今度こそ背中に隠して匕首を構えた。


「あらあら、そんな反応をするなんて。うぶな子猫ちゃん! ひょっとしてわたくしを誘っているの?」

「誘っていません。とっととお帰り下さい。主が汚れます」

「ちょっと!! 呂布様に何てこと言うのよ!」


 関羽をこれ以上呂布に会わせてはいけない。
 これ以上彼女に気に入られては、いけない。
 噛みついてくる貂蝉を黙殺してじりじりと後退する。

 するとそんな折、


「呂布様、こちらにいらっしゃいましたか」

「!」


 金髪の男!


「ああ、この前のお嬢さん。こんにちは。……おや、饕餮さんもいらっしゃいましたか。これは奇遇ですね」

「あら、こちらの子猫ちゃんとお知り合いでしたの?」

「はい、以前町中でお会いしました」


 関羽は男に困惑したように小首を傾げた。


「あの……?」

「あら、自己紹介もしていませんの?」


 問われて男は思い出したような顔をした。
 すると嘆息をして、呂布が自分達に笑顔を向けた。


「この子は張遼ちゃんですわ。私の部下ですの」

「張遼と申します。先日は大変失礼いたしました」


 張遼は丁寧に頭を下げた。

 関羽も慌てて同じように一礼。

 張遼は再び関羽に笑いかけると、呂布に向き直った。


「呂布様、お話し中のところ申し訳ございません。そろそろお時間ですのでお迎えにあがりました」


 興が殺がれてしまった呂布は、ほうと吐息を漏らす。髪を払って腕を組んだ。女性は胸の下で腕を組むので、豊満な胸が強調される。それに、関羽がうっと後退したのが分かった。


「張遼ちゃん、折角の甘いひとときが台無しになってしまったでしょう? 貴方は相変わらず察することが出来ませんのね」

「申し訳ございません、呂布様」

「呂布様、時間なら仕方ないですよ! 遅れたらあの狸ジジイがうるさいしー」


 貂蝉が関羽を名残惜しそうに見つめる呂布を諭す。彼女はこれ以上幽谷達に構って欲しくないのだろう。分かりやすい嫉妬だ。

 呂布はまた大仰に吐息を漏らすと、


「仕方がないですわね……。わたくし、普段は董卓将軍の屋敷にいますの。いつでも遊びに来て下さいね。わたくしの可愛い子猫ちゃん。饕餮ちゃんも、良かったら一人でも……どうせなら夜に来て下さいな。歓迎致しますわ!」

「行かせません。董卓のような下賤な男の屋敷になど、我が主が行って良い場所ではございませぬ」

「あら、遠慮なんてしないでちょうだい。董卓将軍にはわたくしから言っておきますから。また会いましょうね、子猫ちゃん、饕餮ちゃん」


 幽谷の言葉など聞いていないのか、呂布は婉然たる笑みを浮かべ、くるりときびすを返した。紫色の髪が揺らめき、装飾品がしゃらりと音を立てる。

 歩き出した彼女の後を、貂蝉は幽谷達に舌を突き出してから追いかけた。
 最後にまた丁寧な挨拶をし、張遼も続く。

 幽谷は彼らが見えなくなるまで匕首を手にしたままだった。


「幽谷、今の人幽谷を饕餮って……」

「関羽。今後一切、あの女達と接触をしないで」

「え? どうして?」

「彼女らは、異質なの。人間じゃない、本物の化け物だわ。実際に刃を交えた私だから言えることよ。あの女は、あなたの武にも惹かれるでしょう。そうなっては……きっとあなた達は不幸になる」


 あれは残酷そのものだ。
 己の欲を満たす為ならば、どんなに惨い手段であろうとも平気でやってのける。
 気まぐれで人を殺してしまう。むしろ悲鳴を聞いて快感を覚える悪趣味の持ち主だ。
 そんな者に関羽を――――猫族を近付かせる訳にはいかない。

 幽谷の真摯な表情に、関羽は困惑した
 董卓を狙っていたとか、熱っぽく見つめていたとか、その子細を訊ねることさえ許されないまま、頷くしかなかった。



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