とある昼下がり。
 いきなりだった。
 曹操への報告を終えて陣屋に帰るその途中、不意に関羽が懐を探り出し、慌てだしたのだ。
 何事かと問えば、大切にしていた母からのお守りを落としてしまったらしいとのこと。

 ただちに二人で元来た道を戻った。

 道を隈無く探しながら歩いていると、


「うわっ! すみません!!」


 関羽が誰かにぶつかったようだ。
 彼女から少し離れていた幽谷はすぐに彼女に駆け寄った。


「関羽様、大丈夫で――――」

「町中でくらい、落ち着いて歩いたらどうだ」

「そ、曹操……!」


 関羽がぶつかったのは、曹操だったのだ。

 彼がこんなところを歩いているとは珍しい。
 幽谷は咄嗟に関羽を背に隠した。


「そう固くなるな。それで、お前達は挙動不審に地面を見て何を探しているのだ?」

「そ、それは……」

「あなたには関係ないことかと存じますが。御用があるのならば、私達に構う時間は無いのでは?」


 曹操は鼻で笑う。


「私に見つかっては困るものということか。私の暗殺でも企てる文か何かか?」

「まさか。暗殺をするなら文を用意するまでもなく私があなたを始末します」

「ふふ、そうか。では……」

「そ、そんなわけないでしょう!? そんなことしたらあなたは劉備に何をするか……。わたしたち猫族は劉備を危険にさらすようなことは絶対にしないわ」


 関羽が慌てて否定した。

 まあ、確かに今の会話は交わすだけで劉備を危険に晒すようなものだったと自分でも思うから、幽谷もそこで一旦は口を閉じた。曹操に頭を下げて関羽の後ろに立つ。


「なるほど。一応その程度の分別はあるようだな。では、なぜ私に隠そうとする」

「そ、それは……お母さんからもらった大切なお守りだから……」


 言いにくそうに明かす関羽に、曹操は首を傾けた。
 それからふと懐を探り、


「まさかとは思うが、これのことか?」


 曹操の手の中を覗き込み、関羽は声を上げた。
 幽谷も驚いて目を瞠る。

 それは紛うこと無く彼女の大事にしていたお守りだったのだ。
 驚きと安堵を滲ませて曹操を見上げた。


「それ……わたしのお守り! どうしてあなたが持っているの!?」

「私の屋敷に落ちていた。それを私が拾ったまでのこと」


 関羽は顔をひきつらせた。
 じり、と後退して身構える。


「そう警戒するな。お前の物であるならば返してやる」

「え……?」


 きょとん。
 関羽は声をこぼして固まった。


「何を驚くことがある? 私がこのお守りも、劉備同様にお前を縛る枷にするとでも思ったか?」


 ぎくり、と身体を強ばらせる関羽はとても分かりやすい。
 曹操が一瞬だけ笑うのが見えた。関羽は気付いていないようだが。


「人質は劉備一人で事足りる。こんな物一つで人を縛れるわけがない。それに、物ならば幽谷が容易く取り返すだろう」


 こんな物。
 癪に障る言い方だ。
 幽谷は曹操からお守りを奪い取って、関羽の手に握らせた。ぎろり、と曹操を睨みつける。

 関羽はお守りを見下ろし、悄然と呟いた。


「こんな物だなんて……。このお守りはわたしにとってはとても大切なものだわ」

「……そこまで言うのなら、もう二度と落とさないようにしろ」


 言って、曹操はくるりときびすを返す。
 すると、関羽は逡巡した後、曹操を呼び止めた。

 彼は肩越しにこちらを振り返る。


「あ……ありがとう……」


 関羽の謝辞に曹操は目を細めるだけだった。
 そのまま何処ぞへと颯爽と歩き去っていく。

 関羽は暫く彼の背中を見送った後、安堵にほっと息を吐いた。


「お守りが見つかって良かったわね」

「ええ……、まさか曹操に拾われているなんて思わなかったわ。借りを作ってしまったみたいで複雑ね……」

「あのような男に、礼を言う必要は無かったでしょうに」


 幽谷の言に関羽は苦笑した。


「でも、本当に大事なものだから。曹操が拾ってくれなかったら見つからなかったかもしれないし……」

「よしや見つからなくても、私が見つけてあげるわ」

「ふふ、ありがとう」


 幽谷の心中を察したのか、関羽はくすくすと笑った。

 幽谷はばつが悪くて顔を逸らす。
 彼女には、幽谷が曹操にお守りが拾われてしまったことが気に食わないのが分かってしまったようだ。
 世平や張飛などであればそんな感情を抱きはしなかっただろう。

 曹操――――人間に拾われたことが、気に食わなかったのだ。
 関羽は笑ったままお守りを懐へ大事にしまって、幽谷の手を取った。


「さあ、帰りましょう。今日はこれから世平おじさんと手合わせをすることになっているの。幽谷も、今日は夕食当番でしょう?」

「……そうだったわね」


 夕食は一応、作れる者達の当番制だ。
 世平など作れない者は食料調達の役目を負う。ただ、買い出しについてはいつも関羽と幽谷が向かうことになっている。時折、曹操の屋敷に寄るついでもあった。


「ならば、早く帰りましょう。張飛様はお腹を空かせるのが早いから」

「そうね」


 腹を空かせて喚く張飛の姿が目に浮かぶ。
 関羽と幽谷は、互いに顔を見合わせて、笑い合った。



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