人とはかくも愚かしい。



‡‡‡




「またんか! 十三支!! お前、このまままっすぐ進むつもりか?」


 曹操への報告に向かう途中、関羽と幽谷は一人の老人に怒鳴られた。
 憤懣やるかたなしといった体の彼は、じとりと関羽を睨めつける。

 関羽は戸惑いながらも頷いた。

 すると、老人は唾を飛ばす勢いで、


「ふざけるな! 金眼の血を引く十三支が都にいるなんて許されるものか!!」


 怒声を浴びせた後杖を振り回して関羽を攻撃するのだ。

 幽谷は咄嗟にその杖を握った。


「お止め下さい。関羽様に当たってしまうではありませんか」

「幽谷……あの、おじいさ」

「黙らんか! このバケモノが!! 帝はお前たち祖先の金眼を倒した第十四代皇帝の末裔! どうせこの先の帝を手にかけようって魂胆じゃろう! じゃが、そうはいかんぞ!! この国やわしらをお守りくださった帝をお守りするのが、洛陽の人間の務めじゃ!!」

「では、私は大恩ある関羽様をお守りするのが務め故、あなたを排除いたします」


 杖を奪って折ってやれば、老人は驚いて腰を抜かした。


「ひいぃ……な、何故じゃ! 何故人間のお主が十三支なんぞの味方になる!?」


 ああ、そうか。
 今は眼帯をしているから四凶だと気付かないのか。


「関羽様並びに猫族の方々は、私の命の恩人にございます。その恩義を返さぬは、道理より逸脱しておりますと存知ます故」


 静かに返しながら、俄に騒がしくなってきた周囲に幽谷は眼を細める。
 このままでは関羽に危険が及ぶ。早くここか離さなければなるまい。

 ひとまず人間と思われている自分が気絶させようと更に彼に近付くと、関羽が幽谷の腕を掴んで引き留めた。


「関羽様……」

「帝を手にかけるだなんて……! そんなこと、考えていません! 信じてください!!」

「問答無用じゃ!! とっとと出ていかんか!!」

「……幽谷。仕方ないわ、遠回りして行きましょう」

「……御意」


 泣きそうな顔をする彼女に、幽谷はその手を掴んできびすを返した。
 老人に、怒気を含めた殺気をぶつけた。



‡‡‡




「昔話とは、かくも厄介ね」


 あの場を離れ、幽谷は溜息混じりにぼやいた。
 関羽の頭を撫でて、周囲を見回す。

 ここには誰もいないようだ。


「これからは、余計な誤解を招かないように気を付けなくちゃいけないわね……」

「……そうね。あのような人間共に気を遣うなどと虫酸が走るけれど、こればかりはやむをえないわ」


 殺してやろうかと考えたのは秘密だ。
 と、こっそりと手にした圏を懐に戻した。

 そんな折である。


「すまない。董卓将軍の屋敷を探しているんだが、どこにあるか知らないだろうか」


 不意に建物の影から一人の青年が現れたのである。
 長い髪を後頭部で束ね、すっきりな面立ちをした彼は、大股でこちらに歩み寄って、関羽達に声をかけた。


「え、わたしたち、ですか? わたしたちに、聞いてます?」

「……」


 幽谷は咄嗟に関羽を背に庇う。先程のようなことがあったから、警戒したのだ。

 それに、青年は首を傾げる。


「おかしなことを聞く人だ。他には誰もいない。お前たちに聞いている」


 この男……関羽の耳に気付いているんじゃないのか?
 まじまじと青年を見つめ、外套に手を伸ばした。圏をしまうのではなかったと、少しだけ後悔した。

 彼女の不穏な空気を察したらしい関羽がたしなめるように名前を呼んだ。そして青年に答えるのだ。


「えっと、ごめんなさい。まだ洛陽に来たばかりでわたしたちもわかりません……」


 ……いや、自分は分かる。忍び込んだことがあるので知っている。
 だがそれは言えないので大人しく黙っておいた。


「そうか。それは仕方ないな。もう少し探してみるとするか。」


 ありがとう、猫族の人。
 二人は愕然とした。

 颯爽と去っていく彼の姿が建物の影に隠れたところで顔を見合わせる。


「あ、あの人、私が猫族だって知ってて……」

「……そうね」


 しかも、十三支呼ばわりをしないなんて。


「「変な人……」」


 洛陽の人間から逃げてきた直後だっただけに、青年に対する印象は強く残った。


「人間の中にも、ああいう人もいるのね」

「そうね……」


 あの青年、一体何者なのか……。
 猫族を十三支呼ばわりしない人間だなんて……そんな人間がいるなんて思わなかった。


「……ねえ、幽谷」

「何?」

「人間の中には、あんな人もいる、のかな……」

「関羽……」


 幽谷はその問いには答えられなかった。
 人間の黒い部分しか見てこなかったから、綺麗な部分を知らない。
 心あるものの温かみを知ったのは、猫族の村でなのだから。
 関羽に答えを返せないのが、口惜しかった。

 外套を握る関羽の手が僅かに震えているのに気が付き、幽谷は無言でそっと彼女の頭を撫でた。


「私には、分からないわ。でも、あなたが望むのであれば、それもよろしいのではないかしら」


 望んでしまえば裏切られた時が悲しいが、それでも居きる糧になることもある。
 幽谷は揺らぐ関羽の黒い双眸を見下ろして薄く笑った。

 関羽の瞳は汚れを知らない強固な光。
 幾度と無く、関羽の瞳に癒されてきた幽谷には、彼女のそれはどの宝石にも勝る輝きを持っている。

 この瞳を汚す者は、絶対に許さない。
 例えそれが、猫族を受け入れた人間であろうと、自分であろうとも。



 排除するまで。



.

- 34 -


[*前] | [次#]

ページ:34/294

しおり