関羽達が連れてこられたのは、幽谷が先刻訪れた屋敷である。やはり、ここが曹操の屋敷だったのだ。


「曹操様。町中にて十三支の一行を発見。ただ今連れて参りました」


 曹操は広間の奥に立って書簡を読んでいた。
 その側には夏侯惇と夏侯淵の姿。夏侯惇は、鍛錬はもう終わったのか。

 二人は関羽達を見るなり顎を落とした。


「何だと!?」

「十三支が洛陽に!?」


 曹操は書簡を丸めて文官に手渡す。文官は曹操に恭しく頭を下げて一歩後退した。

 劉備は曹操の側に座っており、関羽を見るなり駆け寄って抱きついた。

 関羽は彼を抱き留めて劉備の請うままに抱き締めた。

 劉備は安堵したのか、柔らかな笑みを浮かべる。


「えへへ。関羽にぎゅっしてもらうの、すき……」

「ごめんね、ひとりにして……。もう大丈夫だから……」

「ほんと……?」

「ええ……あなたを守るためなら、わたしは何だってするわ」

「うん。……幽谷は?」


 関羽に抱きついたまま彼は世平達を見渡す。彼にも、今幽谷の姿は捉えられていなかった。

 もう良いだろうと、幽谷は札を取った。
 途端、曹操達は彼女に気付き、ざわめく。

 劉備は彼らとは正反対に、ぱっと顔を晴れやかにした。


「幽谷!」

「劉備様。幽谷はこれに」


 関羽が離すと、劉備は幽谷に抱きついた。
 洛陽に至る前、服を札を使わぬ方術を使ってまで丹念に洗って綺麗にしたから、幽谷も彼を抱き締め返した。こんな術を作り出してこんな使い方をするのは幽谷くらいだろうけれど。

 幽谷も現れたことで、世平達も次々に劉備に声をかける。

 劉備は嬉しそうに頷いた。

 そこへ、空気を壊す声が。


「そろそろ着く頃だと思っていたぞ」


 曹操だ。
 彼は幽谷を警戒しながら、薄く笑った。

 関羽達の空気が一気に張り詰める。

 幽谷はいつでも攻撃―――否、曹操軍全てを駆逐出来るように、曹操の言動を注視しながら外套に手を伸ばした。

 それを察知した夏侯一族が武器を構える。

 まさに一触即発の空気である。


「テメー、何勝手に劉備連れてってくれてんだよ!」


 気色ばむ張飛に関羽が待ったをかけた。
 ここには、話し合いをしにきたのだ。悶着(もんちゃく)を起こす訳にはいかない。

 関羽が前に進み出る。
 それを守るように、幽谷も彼女の後ろに控えて立つ。警戒を剥き出しにして夏侯惇らを牽制する。


「曹操。わたしたちはあなたと話しに来たの」

「ほう……」

「黄巾賊の首領である張角はあなたの手によって討たれた。もうこれで討伐は終わりでしょう? わたしたちはあなたに協力したわ。約束を果たしたのだから、もう解放して」


 曹操は沈黙する。
 ややあって、


「……討伐はまだ終わっていない」


 静かに言う。

 関羽は眉を顰めた。


「どういうこと?」

「確かに黄巾賊の首領たる張角は討った。だが、全てが終わったわけではない。黄巾賊の残党は今後も民の生活を脅かす。黄巾賊を殲滅するまでお前たちの役目が終わることはない」


 特に、この洛陽の周りでは著しい。
 漢帝国の中心だから当然のことだ。
 やっぱり曹操は、猫族という戦力を手放すつもりなどなかったのだ。

 曹操に従わなければならないのならば、同時に洛陽に留まらなければならない。差別意識の高そうな、帝のいる都に。

 関羽達は肩を落として悲しげに目を伏せた。張飛に至っては今にも曹操に殴りかかってしまいそうだ。
 劉備はこちらにいるのだし、いっそ全員消してしまえば良いのではないか。そんな考えが浮かぶ。
 身体の震えなんて無視をすれば良い。猫族が解放されるのであればそれが最良なのではないか?
 そんなことを考えていると、慌てふためいた夏侯惇が声を荒げた。


「お、お待ち下さい、曹操様! そのようなお話、今初めて聞きました」

「黄巾賊の残党狩りは我ら曹操軍の仕事! こんな奴らの力など不要です!」

「夏侯淵の言うとおりです! 我が軍には他にも優秀な将はいます。戦力は充分のはずです! 我ら曹操軍は命を取して曹操様に御仕えする所存。しかし! 十三支や四凶などが加われば兵の士気も下がります!」

「今一度お考え直しを!!」


 彼らの必死の説得にも、曹操の反応は淡泊だ。


「言いたいことはそれだけか?」


 静かに切り捨てられて夏侯惇は口を閉ざす。
 夏侯淵は未だ食い下がるが、それでも曹操の思惑は揺るぎはしない。


「十三支たちには今後も利用価値があると考えたまでだ」

「……俺たちだけでは力不足ということですか?」

「お前たちを軽んじるつもりはない。今後も我が軍にとってお前たちは大きな力となる。だが、私の目指すところはさらに上だ。来たるべき時のために圧倒的な力が必要なのだ。そのためならば、利用出来るものは全て使う。例えそれが、十三支や四凶であろうとな。まだ、異論があるか?」


 主の意思は絶対。
 夏侯惇らはそれ以上の反対はしなかった。不満を押し止めて彼に従う。
 つまらぬ矜持だと、幽谷は断じる。卑しいと固定観念に囚われて、見えるものを閉ざしている。それはどの人間にも言えることだが、閉鎖された世界に通用するものしか受け入れられぬ狭量こそ、見直すべき欠点ではなかろうか。

 というかこの男達、猫族を無視して会話を進めているが、この隙に劉備を連れて帰っても良いのだろうか。別に曹操軍の将に幽谷が苦戦しそうな相手はいないし、楽に出られそうなのだけれど。
 しかし、その考えはすぐに失せる。

 関羽が声を発したからだ。


「そう……あなたの考えはわかったわ。わたしはまず、あなたの考えが知りたかった。次はわたしたちの考えをあなたに伝えるわ」

「女! 十三支の分際で曹操様と対等に話でもしてるつもりか!?」

「……あなた達こそ、私達よりも偉いと――――」


 話を進ませない夏侯惇達にぼやきかけた幽谷はしかし、世平に後ろから口を塞がれてしまった。


「話がすすまねぇ」

「……ふいまへん」


 ……自分が怒られてしまった。

 幽谷は、塞がれたまま世平に謝罪した。
 しかし、彼女がいつの間にか手にしていた匕首を外套の戻すことは無かった。

 関羽は幽谷の様子に少しだけ笑って、曹操に向き直るのだった。



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