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 もう夏侯惇には任せられないと、封蘭は自ら幽谷を部屋へ連れて行くこととした。幸い、その頃にはしっかりと歩けるまでになっていたが、歩みは遅かった。

 顔を赤くし、先だってのことを思い出しては逸る鼓動にそわそわと落ち着かない幽谷を時折不満そうに振り返る。が、拗ねたような目を向けるだけで何も言わなかった。

 しかし、彼女がようやっと自身を落ち着かせた頃になって、唐突に切り出すのだ。


「――――十五年だってさ」


 十五年。
 それが何の時間なのか、すぐに分かった。
 幽谷は目を伏せ、ふと足を早めた。封蘭を追い越して身体を反転させた。


「あなたは、《私よりも長い》のね」


 柔和に微笑む彼女は、良かったとでも言いたげだ。
 封蘭は顔を歪める。


「お姉さんは?」

「長くて八年程度だろうと、けれど、本当にそこまで保つか分からないとも」


 十五年と、八年と。
 それは何を指しているのか。

――――寿命、である。

 恒浪牙が持てる技術の全てを結集させて作り上げた器であっても、それが限界なのだと言われた。……いや、本当は幽谷の寿命はもっと短かった。
 それを泉沈や妙幻に頭を下げて力を分け与えてもらって無理矢理に伸ばしたのだと言う。

 封蘭と違い、幽谷は何もかもの基礎が無いのだから、それは仕方のないことだった。
 むしろ、八年も伸ばしてくれたことに深い感謝の念を覚える。


「……もしかしたらの話をするけれど」

「?」


 幽谷が首を傾けると、封蘭は言いにくそうに――――と言うよりは本当に不愉快だから言いたくないといった風情で、口を開閉させた。

 ややあって、


「もし、幽谷のお姉さん子供作ったら……お姉さんの寿命はうんと縮むことになる。子供の方に器に込められた力がごっそり持って行かれるってことだから。下手をすれば、出産直後に命を落とすなんてことにもなる」

「……」


 幽谷は我知らず腹を撫でた。

 それでも、幽谷の器には女性としての役割を果たす為の機関が揃えられている。それは、恒浪牙と言うよりは、砂嵐の発案によるものだろう。こうすることで、幽谷の女としての選択肢が消えないように計らってくれたのだ。よしや、それが与えられた寿命を殺ぐとしても。
 封蘭はそんなつもりはないよねと、縋るような視線で問いかけくる。
 幽谷はつかの間沈黙し、封蘭を手招きした。

 封蘭が訝って、それでも近寄ると、両手を伸ばしてそっと抱き締める。封蘭の華奢な身体が強ばった。


「もし、私の代わりに皆の側にいて、私の代わりに世を見守っていってくれるのなら、それはとても素敵なことだわ」

「幽谷のお姉さんは、それで良い訳?」

「そうね」


 何も残らないよりも、何か残った方が良いのかもしれない。
 幽谷の残したものが、愛しい者達の側に、自分の代わりに寄り添ってくれるというのなら、それ程に嬉しいことは無い。
 首肯して、幽谷は封蘭の頭を撫でた。

 封蘭は、歪めた顔を更に崩した。


「僕、難しいこと分かんないんだけど。ってかどうして僕を抱き締めたの」

「泣きそうな気がしたからかしらね」

「意味分かんないよ」

「ごめんなさい。私は、あまり話が得意ではないから」


 幽谷が放す。
 また頭を撫でられ、封蘭は目を細めた。少し乱暴に剥がして幽谷の脇を通り過ぎる。


「早く部屋に行こう」

「……ええ」


 幽谷は口角を弛めた。

 封蘭は気付いていないだろう。
 ほんの少しだけ、声が震えていたことに。



‡‡‡




「――――らしいけど?」


 君はどうするの?
 封蘭は目の前に立って問いかけた。

 彼は――――夏侯惇は、ずっと物影に隠れたまま思案していた。

 それを分かって、封蘭は幽谷を送り届けた後にわざわざ戻ってきて夏侯惇の意志を問うてきたのだ。

 自分を嫌いながらも、幽谷と自分の間を取り持つような真似をしている。
 恐らくは、幽谷の為を思ってのことなのだろう。同じ四霊だし、一応は年上で長い間四凶としての苦しみに喘いでいたから、色々と気を配りたいのだろう。
 夏侯惇は無表情に返答を待つ封蘭を見据えた。


「一年だ」

「一年で、幽谷のお姉さんを妻にするって?」


 夏侯惇は言葉を返さない。無言で、封蘭の反応を見つめる。些細な変化も見逃さぬよう、どんなことを言われてもしっかりと返答出来るよう。

 封蘭は探るように夏侯惇を睨む。嫌われていることには変わりは無いから、視線は酷く刺々しい。


「……一年で大丈夫な訳? 余裕ぶっこいて一年経過してたらその咽噛み切るよ。そしてこうべ踏み潰すよ」

「お前はどれだけ俺が嫌いなんだ」

「前に君が猫族に抱いてたのと同じくらい」


 封蘭はさらりと答える。
 彼女は、夏侯惇を信用していない。過去、十三支、四凶と蔑み、傷つけてきたのだからそれも無理もない。まして幽谷に関して、つい最近まで砂嵐や盲目の女性が全て幽谷だとも気付きもしなかった愚か者なのだ。

 それでも、夏侯惇は幽谷を求めた。同一人物だと知っても、変わらず彼女が欲しいと思った。
 都合が良くても何でも良かった。どう言われても、止まるつもりは毛頭ない。

 帰ってきた彼女が、何もせぬまま寿命尽きて永遠に離れてしまうよりはずっと良い。


「お前がどう思おうが、俺は幽谷を、」

「好きにすれば良いさ」


 「ただ」封蘭は目を細め、声を低くする。


「寿命のことを知っているなんてことはお姉さんにも、周りの人達にも言わないで。幽谷のお姉さん、死ぬまで皆に隠し通すつもりだから。……多分、君が知っていると分かって、その上で子供を望んでると判断したら、幽谷のお姉さんは君の意思を尊重するよ。でもそれはただ君に流されただけだ。落としたなんてことにはならない。僕は、そうなるのは許さないから」

「分かった。肝に銘じておく」


 夏侯惇が頷くと、封蘭はふんと鼻を鳴らして背中を向けた。
 舌打ちを残して大股に歩き去っていく。その姿からも、夏侯惇に対して大いに不満を感じているのが分かる。

 その後ろ姿を見送りながら、夏侯惇は隻眼を伏せた。

 ……必ず。必ずだ。
 自身に言い聞かせるように、胸中で繰り返す――――……。



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