季節が一巡りすると、急速に変化していった環境にも慣れた。
 関羽は一人、城の中を歩いていた。

 猫族は曹操軍の中に組み込まれた。
 当初は曹操が関羽と同じく猫族と人間の混血であることで、武将や兵士達と軋轢(あつれき)が生まれてしまうかと危惧したものだが、夏侯惇や趙雲、それにかつて関羽が従えた部隊が積極的に働きかけていたこと、それに全ての武将が曹操自身の手腕を買っていることもあって今では以前よりもまとまっていると言う。勿論、それでも軍を離れた人間もいるが、曹操も予想していた程多くはないようだった。

 この許都の民にも、曹操の正体は伝わっている。だが、治安が良ければそれで良いと、民からの反発は少なかった。元々、この地の民は曹操には大きな恩義を感じていたのだ、常識と恩義との板挟みになりはしただろうが、兵士や武将達が対等に会話している場面を目撃して、徐々に徐々に価値観が変わっていったようだ。
 未だ猫族に対してぎこちない、或いは余所余所しい態度を取る民がほとんどだが、彼らの世界の常識を考えればそれも気にはならなかった。蔑まれないだけ、ずっと良い。
 何とか、上手くやれていけそうな風に周囲が変わってきている。

 それに、先月にはとても嬉しい事件が起きた。


「あら」


 関羽は足を止めた。
 目の前に見慣れた姿を見つけたからだ。


「世平おじさん」


 駆け寄って、彼の足下の人物を見下ろして苦笑を滲ませる。


「また、何かしたの?」

「……」


 その人物はぷいっとそっぽを向く。
 不機嫌そうに唇を尖らせて物言いたげに世平を睨め上げる愛くるしい双眸は金と黒の色違いだ。


「封蘭」


 世平が叱りつけるように名を呼べば、舌を突き出す。そして拳骨を落とされた。

 その人物――――封蘭がこの地上に戻ってきたのは、先月の初めのことだった。
 劉備がふらりと散歩に出た森の中で、動物達に守られるように眠っているのを見つけて、許都に連れて返ってきた。一人だけだったけれど、彼女が帰ってきただけでも猫族は大変な騒ぎだった。

 だが、封蘭自身はそうではなかったようで、目覚めた場所が曹操の居城であると知るや否や脱走を図(はか)った。すぐに趙雲によって捕獲されてしまったが。

 一年前よりもずっと雰囲気の丸くなった彼女は、憎悪が失せた分猫族と人間に強い恐怖心を抱いていた。その為今でも一人でいることが多かった。それを、劉備や関羽は勿論、世平や趙雲が頻繁に構う。大勢集まった場所では必ず劉備か関羽が側にいるようになっていた。でなければ恐怖から気を失ってしまうのだった。
 特に、記憶を完全に取り戻した今、封蘭の目の前で父親を殺した猫族の男とそっくりだと言う張飛に対しては酷く攻撃的だ。本能的に排除しようとするので、張飛は封蘭が慣れるまで彼女に会ってはいけないと厳格な掟があった。

 封蘭は、本当は戻りたくなかったのだと言う。
 あのまま犀煉みたく死んで消えてしまうことを選んでいた筈だのに、どうしてかこの城で目が覚めたのだと言う。
 その後数日間砂嵐達のもとへ赴いて訳を聞いた彼女は泣きそうな顔をしていた。

 だが、これは多分あれから姿を見せない地仙が計らったのだろう。願った劉備の為と言うよりも、人生を狂わされ、ねじ曲がってしまった封蘭自身の為。
 これは関羽の勝手な憶測だけれど、あの四霊を作り出した砂嵐も、そうなのかもしれない。だって、封蘭を一時面倒見ていたという話だもの。情が無ければそんなことは出来ないと思う。

 けれど、猫族と一からやり直すことに、封蘭が一番の不安を抱えている。
 いつか猫族の村を追い出される前みたいになってくれればとは、劉備の願いだった。


「鍛錬サボったって別に良いじゃん。僕がどうしようが関係無い」

「残念ながら大いにある」

「いてっ。ぼーりょくはんたーい」

「まあまあ……封蘭は戦闘が苦手なのよ。無理に鍛錬しなくたって良いじゃない。それに、新しい身体じゃまだ上手く動けないみたいだし」


 今の封蘭の身体は、恒浪牙の作なのだった。
 恒浪牙が生きていることには安堵と驚愕が入り交じってどんな顔をすれば良いか分からなかったが、今は砂嵐と上手くやれてることを憎らしげな封蘭から聞いた時、素直に良かったと思えた。

 彼が念入りに作り上げた身体は、正真正銘の猫族の身体として関羽達と遜色無い出来映えな上、身体に慣れてくれば多少なら四霊の器だった頃の力も使役出来るそうで、改めて恒浪牙という地仙の凄さと恐ろしさを知った。本当に、彼が味方で良かった。

 ならば幽谷もすぐにでも戻ってくるのではないか――――期待を寄せて問うたことがあったが、封蘭の答えは煮え切らぬものだった。
 訳を訊くと、幽谷の身体は作れても、意識の修復――――或いは蘇生――――は非常に難しいのだと彼女は言った。

 幽谷は、経験と妙幻の特性《変幻》が作用して生まれた自我だ。まともな生まれ方をしていないので、未だ目処が立っていないのだという。
 その際、ややもしたら記憶が無い状態でこちらに戻るかも知れないと告げられたが、落胆はしなかった。
 だって戻ってくるのだもの。
 なら、また沢山の思い出を作っていけば良い。
 余裕の出来た関羽は、そう思えるようになった。


「封蘭。良かったらこれからお茶でもしない? 曹操や、夏侯惇と夏侯淵もいるけれど……」

「……あの三人が、お茶……?」


 怪訝そうな顔をする封蘭に、関羽が説明する。


「ああ、三人共今街のことで色々話しているみたいなの。だから休憩がてらにお茶とお菓子を持って行こうと思って。……あ、封蘭は甘い物は駄目だったかしら」

「別に……好き、だけど……」

「良かった。じゃあ、行きましょう。三人には、なるべく封蘭に近付かないように言っておくわ」


 手をそっと握ると、封蘭は頬を赤らめる。友達の接し方が気恥ずかしいらしく、照れているのだ。
 俯いて小さく頷く彼女に、関羽は口元を綻ばせた。

 それを見ていた世平も、吐息を漏らして仕方がないと言わんばかりに肩をすくめて封蘭の頭を優しく撫でてやった。



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