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 全身の震えが止まらない。

 静まれ。

 静まれ。

 静まれ。

 静まれ。


「……何で震えるのよ……」


 私は暗殺者。そして四凶。
 慣れていた筈だ。まだ、あの感覚を忘れていなかったではないか。
 だのに何故、震えてしまうの?
 かたかたと小刻みに震える手に、幽谷は奥歯を噛み締める。ぎりっと音がした。

 幽谷は陣屋の側にある木の下に立っていた。
 彼女らしくなく取り乱し、苛立っていた。それも手伝って、目隠しは千切り捨てた。

 幽谷は一向に震えの収まらぬ手を幹に当てた。甲までも血で汚れている、自分の手。懐かしい手。
 ――――だのに!
 幽谷は外套の下から飛ヒョウを取り出した。

 月光を反射して妖しい光を放つそれを見、ふっとの甲に当てた。
 そして一旦離し――――、


「駄目っ!!」


 突き刺そうとした幽谷の手はしかし、後ろから誰かに掴まれて引き留められてしまった。
 ゆっくりと首を巡らせれば必死の体で関羽が腕を止めていた。


「関羽様……手が、汚れます」

「何してるの、幽谷!」

「……手を刺そうとしておりました」


 関羽はすぐさまその手から飛ヒョウを取り上げた。

 けれど別に困りはしない。だって、沢山あるから。
 更に取り出すとそれも取り上げられてしまう。


「どうして刺そうとするのよ……!」

「震えるのです。全身が」


 震えが止まらない。
 桑木村では平気だったのに、何故か今は震えが止まらない。
 怖いのか、気持ち悪いのか……そんな感覚は無いから、何を感じてこうなっているのか、自分でも分からなかった。

 元に戻さなければならなかった。
 昔の自分に戻らなければ、猫族を守れないから、戻そうと思った。


「自分の血を見れば、戻れるんじゃないかと思ったのです。痛みを感じれば、昔を思い出せると思ったのです」

「幽谷……」

「今の私から暗殺を取ったら、どうなると思いますか?」

「え?」


 幹から手を離した幽谷は、関羽の手を剥がし、飛ヒョウを外套の裏に隠し、振り返る。
 関羽は首を傾けた。

 幽谷は苦笑めいた微笑を浮かべた。


「私はから暗殺を取ったら――――ただの四凶なのです」


 私はまだ人間になりきれていない。
 だから、暗殺が無くなったら、自分には何も残らない。
 殺ししか、自分には無い。まだ、自分には殺ししか無いのだ。
 幽谷は振り返って己の汚れた手を関羽の目前に掲げた。

 関羽は彼女の出で立ちに驚いて少しばかり仰け反った。


「これが、私の手です。血を吸い、命を吸い、汚れたこの手が私の手。これは暗殺者の手です。私から暗殺を取ったら、この手は意味を無くしてしまいます。暗殺を取った四凶の私は、暗殺以外に何をして生きていけば、よろしいのでしょう」


 幽谷の色違いの目は、揺れていた。
 ゆらゆらと。

 関羽はその瞳を見つめる。

 ふと、赤と青の目が逃げた。


「あなた、やっぱり……」

「……関羽様がおいでになったということは、そろそろ行かれるのですね」


 幽谷は身動いだ。そのまま右に動いて、関羽の脇を通り過ぎる。

 関羽は彼女を呼び止めた。


「待って、幽谷!」


 走って幽谷の前に回り込めば、幽谷は怪訝な顔をする。
 関羽は彼女の手を取った。ぱりぱりと、乾いた血が剥がれ、関羽の手に付く。

 今度は幽谷が驚く番だった。


「……何でしょう」

「幽谷が震えていた理由を聞いていないわ」

「……それは、分かりません。自分にも分からないのです。自分の手が気持ち悪いとも思わないし、人を殺すことを怖いとも思わない。自分が全く、分かりません」


 分からない。
 自分が。
 どうしてしまったのか、己の異常に気付けない。

 ガタが、来たのか?

 どうと胸に押し寄せるこれは、不安。
 それは分かるのに。


「殺しても何も感じない……だのに、震えるんです。私は壊れてしまったの?」


 関羽は寸陰黙った。
 それから手に力を込めて、


「……壊れていないわ。きっと、自分と向き直れば分かる筈だわ。幽谷が震えるのには、絶対に理由があると思うの。まずはそれを探しましょう。わたしも手伝うわ」

「しかし、あなたは私が恐ろしい筈です。私があなたの心を乱すのであれば、私はあなたに近付く訳には参りません」

「それは、わたしが勝手に勘違いしたからだわ」


 そこで関羽は幽谷の手を離すと数歩離れ、突拍子も無く腰を折って頭を下げたのである。

 幽谷は愕然として絶句した。いつもぼんやりとしている彼女にしては珍しく、慌てふためいた。


「か、関羽様! 何をなさって……」

「ごめんなさい」

「は――――」

「わたし、幽谷のこと怖がってしまったから……」

「ですがそれは人として仕方のないことなのですから、関羽様が謝られることではありません!」


 声を荒げてしまう。
 関羽の身体を無理矢理戻してやった。

 関羽は幽谷の手をがしっと掴んで、もう一度謝罪した。


「だから……!」


 手を抜こうとするが、関羽が逃がすまいとしているのでなかなか抜けない。
 挙げ句には、


「わたし、これからはあなたのこと、もっと知ろうと思う。そうすれば、あなたのことを怖がるなんて、無いと思うの」

「いえ、だから私を怖がるのは普通の――――」

「幽谷だけが辛い思いをしなくて良いの。わたしたちもこれから頑張るから!」

「不要な意思表明の前に落ち着いて人の話を聞いて下さい」

「あ、それと今更だけど、二人きりの時は敬語な無しだったでしょう?」

「……」


 関羽は幽谷の言葉を聞かなかった。
 掴んだ手をそのままに歩き出し、幽谷をぐいぐいと引っ張った。

 幽谷は関羽の切り替えの早さに舌を巻きつつ、こういう強引さには辟易(へきえき)していた。
 こうなると、関羽は何が何でも我を通すのだ。
 幽谷に人殺しはさせないと、心の中で思っているのだと容易に想像できる。

 暗殺が――――人殺しが嫌だとは、思っていない。
 何度も言うが、怖くもなければ気持ち悪くもない。
 それに、それは今までの幽谷を形成していた要素でもある。そう簡単に切り離せるものではなかった。

 意気揚々と陣屋を歩く関羽に、幽谷はこめかみを押さえた。



第二章・了




○●○

 関羽さんが話を聞かないのは、そうしないと話が進まないと判断したからです。
 劉備さんは自然体で聞いてませんでしたが、関羽さんは状況に応じます。



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