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 少年は、彼女を深く愛していた。

 一目惚れだった。

 部屋の窓から外を羨ましそうに眺めていた彼女を見たのはただの偶然に過ぎない。
 けども一目見た瞬間男として彼女を強く欲したのは必然であったと信じている。
 彼女は不可思議で魅力的な目の色をしていた。それを気味悪がる者も村の中にはごまんといたが、少年はそれを馬鹿な奴らだと嘲笑した。だがその馬鹿さが少年にとっては有利だった。

 誰も彼女を異性として見ない。つまり、彼女にとっても異性として意識出来るのは自分だけ。
 浅ましい自分に純粋さなど無かった。昔から、そう。

 少年は物心付いた時から兄の真似をして年齢よりも幼いフリをしていたのだった。
 実際は違う。それは兄だけだ。少年は成長の遅れは肉体だけ。精神は抑圧されることも無く年相応に成長した。金眼の呪いが、兄の方が強い影響なのだろう。
 敢えて兄と同じく幼い純粋なフリをして、金眼の呪いのことをひた隠しにする。そうしなければならないと、フリをし始めた頃幼いながらに感じたのだ。

 されども金眼の凶悪な衝動だけは少年の方へ受け継がれていたらしく。
 時折何かを破壊したくなる。何かに執着して、無理矢理にでも従わせたくなる。
 一目惚れが、今まで決めぬようにしていた対象を彼女へと定めさせた。

 勿論、少年の自我がそれを抑え込む。今までそうしてきたのだから、簡単な話だった。

 彼女を壊したくはない。壊すのは彼女を傷つける全て――――いや、違う。駄目だ。衝動に身を任せてはならない。
 彼女と会話するようになってからは毎日が自制だった。苦痛にもそれだけの価値はあるが、邪悪な愛しか彼女に向けられない自分がこと恨めしかった。

 ひとたび恋情を表に出してしまえば確実に自分の歪みも出てしまう。彼女に、恐怖を与えてしまうことになる。
 彼女の前では、気の許せる友達でいて欲しかった。
 だから、彼女には絶対に年相応の自分は晒さなかった。純粋で無邪気な親友と認識させていた。

 だが、彼女を乱暴にでも手に入れたい、彼女を守りながら親友として傍にいたい――――どちらも少年の本心である為に、どちらかを捨てるようなことは出来なかった。
 それが、いけなかったのだ。

 彼女は外に出られるようになると、少年を介して村の子供達とも遊ぶようになった。

 そして、沢山の男子が彼女に惹かれた。

 これは誤算だった。
 自身がそのようにしたとは言え、こうもあっさりと子供達の中に馴染むとは、少年も思っていなかった。
 男子達も、まさか、あんなにも悪く言っていた彼女を異性として見るだなんて。

 少年は焦った。
 嫉妬に衝動を掻き立てられる自分を抑え込み、何でもない風を装ってさり気なく、彼女を男子達から遠ざけた。
 でなければ、自分が壊れてしまうかもしれなかった。
 彼女が少年ではない誰かと恋仲になりでもしたら、気が狂う。
 それだけは回避しなければならなかった。

 故に――――己が病を罹患(りかん)したことは、幸いだった。
 その病が自分を死に至らしめる難病だと分かった時、ほっとした。

 けれども、やはり心に蟠(わだかま)ることがあった。

 自分が死んだ後、彼女は誰かに想いを寄せて、夫婦になってしまうだろう。

 嫌だった。

 自分以外の男と仲睦まじく語らう彼女の姿を想像するだけでも、とてつもなく苦しく憎らしいことだった。
 何とかしたかった。
 病に弱っていく身体になぞ構わずに、毎日毎日、彼女を自分のものにしておく方法を考えた。

 そして少年は、過ちを犯す。


『僕が病にかかったのは、《    》の所為だよ』


 偃月の夜、兄を前にぽつりと呟いた言葉。
 そう。これが元で彼女が仲間達から嫌われてしまえば良いんだ。そうすれば、彼女は僕のものになる。僕だけが、彼女の味方だと言うことになる。
 病に浮かされた思考はまともに働いていなかった。

 少年の気持ちを知る兄は、それを黙殺する。弟が彼女にどんな感情を抱き、どんな葛藤をしているか漠然と察しがついていたからこそ、その発言が彼が後々深い後悔に苦しむことが分かっていた。
 そんな嘘を言ったら駄目だよ、と兄は弟を窘(たしな)めた。

 されど、その部屋の外には一人の男がいた。彼女をずっと気味悪がっていた者達の一人だった。

 少年が臨終した後、男によってそれはまことしやかに村に広められる。

 そうして彼女は言われ無き罪を被って暴行を受け、村から追い出された。

 両親も、それぞれ悲惨な最期を遂げたらしい。




‡‡‡




「……」


 彼女は無言だった。
 目を見開いて少年を凝視する。頭を両手で押さえて、髪を引き千切りながら顔へ、頬へと下げていく。
 恐怖に彩られた顔は青ざめ、色違いの瞳からは大量の水が溢れ、流れ落ちた。

 口を開き、喘ぐような声を上げ始めた彼女は少年から離れ、その場に崩れ落ちる。


「ああ……ああ、ああ、ああ……!!」


 お前が、

 お前が、

 お前が。

 お前の所為で、お前の所為であたしはあんなことになった。
 あたしを村を追い出したのはこの少年。
 あたしから唯一の居場所を奪ったのは、こいつ。

 両親を殺したのも、この少年。


「お、前が……お前が、お前が、父さんも、母さんもころ、殺した……あ、ああたしも、殺した……!!」


 こいつの所為で!!
 目の前が真っ赤に染まった瞬間、脳内に大量の情報が流れ込んでくる。光景と音声が入り交じったそれらは記憶だ。今の彼女に欠如していた、彼女の記憶。地獄の記憶。
 それらは彼女の中で憎悪を膨らませる。

 ぬらりと立ち上がって、少年へと歩み寄る。

 憎い憎い憎い憎い憎い!!


「……っお前があぁぁぁ!!」


 彼女は叫び、少年の首を掴んで押し倒した。ぎりぎりと首を絞め上げる。
 彼女の中を汚泥のような殺意が満たしていた。今、彼女には少年が元凶であることしか無かった。

 けれど、少年は満足そうに笑っている。絞殺されようとしている状況下で、安堵したように笑っているのだ。
 少年の手が、彼女の頬を優しく撫でる。


「これで……終わりだよ」


 これで君は、何も考えなくて良くなる。
 救われるんだよ。
 金色の眼が、愛おしそうに揺らめき、涙に滲む。

 彼女はあっと声を漏らした。手を解いて少年から身を離す。じりじりと後退し、口を戦慄かせた。


「あ、ぅ……ァ、ああ……!」


 違う。
 違う。
 違う。
 彼女は同じ言葉を何度も繰り返す。泣きながら嫌々をするように首を左右に振った。

 少年は立ち上がって彼女を不安そうに呼んだ。


「……っ、どう、したの? 楽になれるんだよ。君を苦しめた元凶はここにいる。その元凶を消せば、君は楽になれるんだ」

「違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う」


 目を見開いて、大粒の涙をこぼす彼女はその場に座り込んで少年を見上げた。

 そして、


「あ、たしは……殺したく、ない……」


 りゅう……劉珂、を、殺したいんじゃない。
 途切れ途切れに告げられた言葉に、少年は――――劉珂はひゅっと息を吸った。彼もまたその場に座り込んで彼女を凝視する。


「……そこは、思い出さなくて良いんだってば……」

「あたしは……あたしは……」


 頭を抱え込んでうずくまる彼女は、苦しそうに喘ぐ。
 その姿はあまりに小さく、あまりに哀れで。
 劉珂はまた泣いた。自分がああしたのだと、後悔に苛まれ、胸を痛めた。

 けれど、ほんの少しだけ嬉しかった。
 彼女が劉珂の名前を思い出してくれたことが、嬉しかった。
 許されないことだと、頭では分かっているのに。

 彼女に手を伸ばそうとした。伸ばして何をするんだろう、そんなことを思いながら。

――――しかし。


「……え?」


 彼女は顔を上げ、後ろを振り返る。

 劉珂もやや遅れて《異変》に気が付いた。
 はっと瞠目して立ち上がり、彼女の腕を掴んで引き上げた。
 逃げなければ!

 彼女の細い腕を引いて駆け出す。

 《異変》に呑まれてしまってはならない。
 それこそ、取り返しの付かないことになる。
 彼には《異変》が何たるか分かっていた。彼女の中に入れば彼女の身体が変化してしまうことも、簡単に予想がついた。

 けれど。


「あっ!」


 手が、振り払われる。
 数歩前に出てしまった劉珂はすぐに振り返って――――絶望する。

 たった数歩引き離された彼女。
 ……その背後には。



 金色の目玉が二つ浮き上がった真っ黒な闇が迫っていた。









































 嗚呼、呑み込まれた。



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