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皮肉だが、人手があればある程に戦う中で自分の有利が分かっていく。
関羽との一糸乱れぬ連携で金眼を翻弄しだした幽谷は、己の望んでいない展開に胸に蟠(わだかま)るモノを感じた。
結界が壊されてしまったのはもう仕方がない。だが、やり易さを肌で感じつつも、幽谷には彼女らに協力してもらうことに大いなる不安があった。
金眼は不完全であれど、強大だ。幽谷達ですら満足に金眼を追い詰められないと言うのに、彼らと共闘してもし彼らに致命傷を与えられてしまったら?
護りたかったものが、壊されてしまったら?
ぞわりと背筋に悪寒が走る。それは最悪の光景を脳裏をよぎらせた。
そこに隙が生まれてしまう。
金眼が後ろ足で立って両の前足を上げる。爪が伸び、鋭利に危うく煌めく。
幽谷は後転してその場を離れた。
だが金眼の狙いは幽谷を踏み潰そうなどと安易なものではなく。
どおんと地響き。
両足の下がひび割れそこから亀裂が急速に延びた。無作為な方角へそれぞれ何本も延びる亀裂は緩やかに開き、そこから黒い気――――濃厚な陰の気を噴き出す。
更に亀裂は張飛達の方へにも延びた。
関定が張飛を支えながらその場を離れようとするも、亀裂の速さは人が走っているよりも速い。
幽谷が助けに行こうとすると金眼が阻む。
お前だけは必ず始末すると――――明確で重苦しい殺意が幽谷の四肢にまとわりついた。
幽谷は目を細めて目の前で唸る妖猫を睨め上げた。
無駄に大きな身体が邪魔をして張飛達の様子が見えない。無事なのか、そうでないのか、確かめられない。
「汚い身体を長時間私の視界に晒さないで欲しいのだが? ただでさえ不潔極まる臭いを振りまく生ゴミだというのに。実に不愉快だ」
「我は、死なぬ。……死なぬ為には、お前が邪魔だ。我の障壁は早々に駆逐せなばらぬ。お前とあの地仙すら去ねば我を阻む者は誰一人としておらぬのだ」
幽谷は鼻で一笑に付した。
「自信満々に言っているようだが、その前に随分と人間や猫族に弄ばれていたではないか。それも、それ程大人数ではない。だのに、障壁が私と恒浪牙殿だけ? とても恵まれた頭をしているようで実に、実に羨ましい。……いや、それもとそう思うことでこの現実を拒絶しているのだろうか。であれば恵まれた、ではなく哀れな頭だ。どうやら、己の先行きが不安なようだな」
ああ、そうだ。
陰に育てられた妖猫、金眼はここで滅びる。
それは、必定。
私が変えさせない絶対的な未来なのだ。
嘲笑いながら高らかに言い放った幽谷に、金眼の身体から憎悪と憤怒の入り交じった殺気が放たれた。それまでとは比べものにならない。ねっとりとしていて、粘着質に金眼の身体を不定形の生き物のように這う。
されどそれは金眼が図星を指された確固たる証拠に他ならぬ、
幽谷は勝ち誇ったように口角を歪めた。
……勝てる。
金眼から再び余裕が無くなっていくのが手に取るように分かった。
身構えるのと同じくして、離れてしまった関羽が幽谷の側に戻ってくる。
金眼が前足で殴り飛ばす素振りを見せるとすかさず別方向から一矢。夏侯淵だ。弾かれた。
「張飛達は恒浪牙さんと趙雲が間に合ったわ。曹操達も、亀裂が延びたけれどちゃんと避けられたみたい」
「……左様でございますか。ならば」
ちらり、と周囲を見渡す。
陰の気が満ちたこの場所、関羽達を長居させる訳にはいかない。
幸い金眼は幽谷の挑発にあっさりと乗ってくれた。関羽達に苛立っていた所為だろう。それに、ひょっとすると、幽谷が恒浪牙や趙雲などと暢気に会話をしていたことも、矜持に響いていたやも。
「あまり、関羽様達をこの環境に置くことは出来ません。攻勢を激しくしますが――――良いわね?」
「……ええ。でも、大丈夫なの?」
「分からない。けれど、私の望む結果に、是が非でも持って行くわ」
でなければ、関羽達が陰の気に汚染されかねない。
幽谷は声を張り上げた。
「そのように惨めに怒り狂うな。かの大妖がなんと矮小な器であるか、人間や猫族に見せつけるようなものだ。最期なんだ、せめてそれらしい虚勢でも張って見せてはどうだろうか。……大妖らしい散り際は、僭越ながら私が演出させていただくが、如何に、如何に」
金眼がかっと目を見開く。
「見くびるな小娘ぇぇぇ!!」
今更見くびるも何も無い。
胸裏によぎった呟きに鼻を鳴らし、幽谷は関羽に目配せした。
半瞬後に、同時に左右に跳躍する。
関羽は曹操の方へ。
幽谷は夏侯惇、夏侯淵の方へ。
そして、ほぼ同時に告げるのだ。
「「早急に決着を!」」
‡‡‡
ごぼり、と全身に生温かい液体が降り注ぐ。
幽谷は金眼の腹の下で、右手の爪の先から肩口までを金眼の胸に埋め込んでいた。
しとどに濡れた幽谷はどす黒い赤一色。それでもまだ腕を進ませる。
気持ち悪い肉の感触に鳥肌を、一際キツい腐臭が吐き気を引き起こす。それでも、足に力を込め続ける。
金眼の身体を、関羽達が押さえていた。所々に彼らの得物が深々と突き刺さり、彼らもまた、べったりと汚い血をその身に浴びていた。
まだ、まだ。
何処にある?
早く見つけなければならない。
万が一呪いが夏侯惇や夏侯淵に降りかかればまた新たな猫族が生まれてしまう。
そうなる前に、自分が金眼の全てを持って行く――――。
「……見つけた!」
探り当てた核を握り潰す。
金眼の咆哮が鼓膜を容赦なく殴りつけた。
傷から腕を引き抜けば夏侯惇に呼ばれ、手を差し出される。それを取れば金眼の下から引きずり出され、抱えるようにして金眼から離された。
金眼の咆哮はまだ続く。
まだ、
まだ、
まだ、
まだ、
まだ、
まだ、
まだ、
まだ、
まだ、
――――止んだ。
その場に崩れ落ちた巨躯。
安堵する暇も与えずに赤と白の身体が砂塵へと変わる。さらさらと風に攫われ、形を失っていく。
幽谷はその様を固唾を呑んで見守った。まだ終わっていない。最期の大仕事が待っている。
自分が、奴の力と共に――――。
「ああ!!」
それは、関羽の声だった。思わず発された、短いが、驚嘆に震えた声だった。
幽谷はそれを捉えた。
崩れ、攫われていく妖猫であったものの中からその塊が飛び出す様を。
それが何たるかを知っている幽谷は膝をを曲げて跳躍した。
白と黒が混ざり合う不気味な球体に手を伸ばす。
が、意思がまだ残っているのか、球体――――金眼の残滓は、危なげに幽谷の手を避けて速度を上げながら離れていく。
追おうとすると、張飛と関定が大音声を上げるのだ。
「劉備様!!」
「バカ劉備!! こっち来んな!」
ぞくりと悪寒。
幽谷は脇目も振らずに駆け出した。
劉備が、歩いてきていた。
必死な顔をして、こちらによろよろと歩いてきている。側には蘇双が、支えるように従っていた。
マズい!!
金眼は劉備の身体に戻るつもりなのだ!
幽谷は舌打ちして声を張り上げた。逃げろと、蘇双を促す。
蘇双も、残滓に剣呑なモノを感じたようだ。劉備の向きを変えようと動く。だが、劉備もだいぶ弱っている。なかなか、思うように動けない。
その間にも金眼の残滓は彼らへと距離を積めていく。
恒浪牙が途中で術で縛ろうとするも、猫なのに窮鼠にでもなったかのように、俊敏な動きでことごとくを避けていった。
いよいよマズい。
蘇双が短剣を構えて劉備の前に立った。駄目だ、逃げなければ。
逃げて下さいと、有らん限りの大声を出して訴える。
――――しかし。
誰が、予想し得ただろう。
「え……?」
金眼の残滓は、劉備達の横を通過したのだ。
その向こうは、兵士達しかいないと言うのに――――……。
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