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 目の前を通過する爪の一閃を避けるも、鎌鼬が生じて全身を切り裂く。

 けれども傷つけられるばかりではなく自分達以上の傷を金眼に与えている。確実に金眼を追い詰めていた。その証拠に豪快だがこちらの隙をしっかりと狙った爪牙はしかし、今や八つ当たりのように乱暴に振り回されるだけ。生まれる隙も大きかった。

 後少し……後少しで終わる。
 恒浪牙に目配せし、互いに違う方向から攻撃して金眼を更に苛立たせる。挑発するように攻撃せずに肉迫しもした。

 しかし――――僅かながらにも終わりが見えてきたことに、気が弛んだのかもしれない。
 金眼が一瞬の判断で驟雨の攻撃の間隙に腕をこちらへと伸ばした瞬間反応が遅れてしまった。
 鋭い爪が幽谷の腹を抉った。

 幽谷は片目を眇めて後退し、激痛を訴える腹を押さえる。肉がごっそりと持って行かれていた。爪以外にも鎌鼬にその周囲の肌が切り刻まれているようだった。
 金眼がにやりと口角をつり上げ瞳を歪ませる。人間で言うところの、したり顔だ。

 恒浪牙が幽谷に駆け寄り傷に手を当てた。
 仄かな温もりがそこを包み、痛みを緩和させる。


「……すみません」

「いいえ。よく戦えている方ですよ。人間じゃありませんから当然でしょうけど」


 しかしこれで、金眼も余裕が戻ってしまいますね。
 幽谷がもう良いと手を退けると、恒浪牙が幽谷を庇うように立った。


「少し、休んでいなさい。妙幻の治癒力で少しは治るでしょう」

「いえ、今の状態で大丈夫です。お一人ではキツいでしょう」

「あなたが攻撃の要(かなめ)なんですから、万全に近い状態に戻っていただけないと困るんですよ」

「しかし……」

「多少の時間稼ぎをするくらいの体力はありますよ」


 ひらり。片手を振って恒浪牙は走り出す。
 金眼の側面に回り込み、狼牙棒を上へ投げて右足を軸に身体を回し、その勢いを利用して金眼の巨体を蹴りつける。

 金眼はそれをひらりとかわして舌なめずりした。


「地仙を喰らわばその力は我が物となる……なんと丁度良い」

「てめぇに食われるなんざ恥以外の何モンでもねーわ」


 狼牙棒を受け止めて後方へ跳躍する。ぐるりと回して腰を低く構えた。
 また、遅いかかる。
 狼牙棒で殴打しようとするも金眼の軽やかな動きを捉えることは出来ない。恒浪牙もその異常な腕力で小回りを利かせているから反撃を許しはしないものの、当たらない攻撃に忌々しそうに顔を歪めていた。

 金眼は、完全に落ち着き払っていた。
 折角苛立たせて隙が多くなったというのに……これでは振り出しだ。

 金眼に負わされた怪我が無駄になってしまったではないか。

 幽谷は恒浪牙の動きを目で追いつつ、己の身体を見下ろした。
 妙幻の力を自在に扱えていたら、上手く立ち回れただろうに……。
 拳を握って、目を伏せる。
 意識を集中させ四霊の力で身体の損傷を癒そうと試みる。成功すれば恒浪牙に無理をさせずに済むのだ。

 しかし、意識は器に宿る力を掌握出来ない。
 それは幽谷が偶発に過ぎない存在であるからなのか。
 歯噛みすると、恒浪牙ががなるように幽谷を呼んだ。

 同時に、風の唸る音。

 はっと目を開けても遅く。
 目の前に金眼が迫っていた。

 咄嗟に後ろに跳躍して避けると、風圧に負けて地面に倒れてしまう。身体の至る場所に裂傷が走った。


「く……っ!」

「無理に力を使おうとしないで下さい!! それ程の余裕は無い筈でしょう」


 叱りつけられた。
 幽谷は小さく謝罪し、金眼を睨め上げた。

 ……立ち上がれない。

 ぬっと幽谷の身体に影を落とす巨大な妖猫は勝ち誇ったように目を煌めかせ、獲物を前にした肉食獣のように涎を湛えた口から真っ赤な舌を覗かせた。
 ……金眼は、四霊も喰らうつもりでいるのか。
 陰の塊である己なら、応龍の清らかな気などものともせぬと、確信しているのか、過信しているのか。

 幽谷はじり、と後ろへとずり下がった。

 右手を薙ごうとして胸を前足に押し潰された。肋骨が折れた。


「このまま力を込めれば、お前は死ぬであろうな。地仙以上の力を持ちながら、満足に扱えぬとは。我の力を見誤ったか?」

「……っ」


 肋骨の破片が、肺に突き刺さったかも知れない。
 息苦しさと痛みに呼吸がままならない。
 このまま何をするでもなくただただ金眼と睨み合いを続けても、結局は器が限界を迎えるだろう。いや、或いは犀華の力が尽きるかも知れない。

 こちらが焦ってどうするの!
 眉目を歪め、幽谷は金眼の足を掴んだ。
 渾身の力を込めようとして、胸の痛みに力が抜けてしまう。

 金眼が更に力を込める仕種を見せた刹那、恒浪牙が横合いから狼牙棒で殴りかかった。


「……か、は……ぁ゛っ」

「無駄な隙を作らないで下さい」

「……みませっ、」


 恒浪牙は金眼と対峙したまま幽谷へ懐紙に包まれた下薬を投げて寄越す。
 幽谷はそれを受け取り、真っ白なそれを口に含んだ。苦いそれを嚥下し、その際の胸の痛みに顔を歪める。


「器が死ねばあなたも終わる。肝に銘じておきなさい。私は時間稼ぎ出来ると言いましたが、一人でこの馬鹿とやる程の力は残っていないんですよ」

「……っはい」

「もう少しだけ時間を稼ぎます。それまで何もせず、動けるようになったら回復するまで逃げ回って下さい」


 恒浪牙が再び金眼に肉迫する。
 しかし、金眼は高く跳躍すると幽谷の背後に着地した。

 咄嗟に右手を振るうが避けられる。
 弄ぶように、肉迫しては距離を取る。先程、幽谷が金眼にしたように挑発する。目的が違うだけだった。
 幽谷は舌打ちして立ち上がった。体術の構えを取って迎え撃とうとする。
 恒浪牙が間に入り込む。術を発動するべく手印を切る。

 金眼が、動く。
 手印が間に合わないと、恒浪牙が幽谷の身体を抱き上げた。


 その刹那である。


「ったああぁぁ!!」


 右手から金眼に襲いかかる少女が一人。その後から、少年二人と男一人。

 そして同じく右手から、幽谷と恒浪牙の前に入り込んだ男が一人。

 幽谷はそれらの姿を認めて目を剥いた。
 顎が落ちた。


「な、に……」


 彼はゆっくりと振り返る。


「加勢する」


 そう言った男の利き手には、翡翠の腕輪がはめられていた。



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