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「汚い芥が混血に誇りを抱いたとて、ただの汚泥ぞ。身の程を知れ」
関羽は奥歯を噛み締める。
妙幻を幽谷と思わない――――そう決心して啖呵を切ったのは良い。良いのだが、妙幻を傷つけることは出来ない。
彼女を傷つければそれは、恒浪牙の愛しい人砂嵐にも行ってしまう。それに、恒浪牙が胸を痛めない筈はない。
だが、傷つけなければ勝つことは難しい。
先程妙幻に掴まれた咽は鈍い痛みを訴えている。くっきりと圧迫された跡も残っているだろう。四霊の力を使えない状態でも、関羽を負かす程の膂力(りょりょく)を備えていた。
それに、側には封蘭もいる。
封蘭をどうにかすればあの剣の嵐も止められるのではないかと思ったのだけれど、妙幻に捕らえられる直前関羽は一瞬迷ってしまった。
封蘭が、あまりにも怯えた顔をしていたから。
彼女への罪悪感が胸にこびり付いて離れない。
助けてあげたい。
解放してあげたい。
同じ猫族として、やり直したい。
そう思うのは間違いなのだろうか。
関羽は……否、現在の猫族は皆封蘭のいた時代を知らない。彼女がどんな風に村を追われ、人間の世界でどんなに辛い目に遭ってきたのか知らない。安易な想像や同情すら許されない身分だろう。
けれど、虫の良い話でも良かった。
やり直せるならやり直したいのだ。
自分達の先祖が自分達の先祖を排他したなら、今自分達が今解決させたい。
封蘭が、これ以上苦しまないように。
自分勝手だという自覚はある。偽善だとも分かっている。
けれど、やはり封蘭は猫族だ。彼女に、自分に出来る何かをしたいと思うのだ。
封蘭をじっと見つめていたらしい。
彼女は露骨に嫌そうに顔を歪めた。片手を振るう。
直後に足元の地面が震えた。
咄嗟に背後に跳び退ると、地面から黒い棘が突き出した。あのままあそこにいれば、腹から背中を貫いていただろう。ひやりと、背筋を氷塊が伝い落ちた。
影を固めたようなそれは悔しがるように、切っ先を曲げて関羽に向け、そのまま地面へとずずずと戻っていった。
封蘭は関羽を睨み、吐き捨てた。
「……死ねば良いのに。気持ち悪い」
「……っ」
……どうしたら、封蘭と和解出来るだろう。
こちらに向けられる憎悪は、とても刃という言葉では足りない。それくらいに澱んでいて、鋭くて、重苦しいものだった。
黒と金の双眸に込められた闇を見、それに足が竦み、一歩無意識に下げてしまう。
「封蘭……」
「名前呼ぶな。気持ち悪いって言ったの聞こえなかった? 耳腐ってんじゃないの?」
侮蔑の眼差しを向けられる。
そうすると、何故か闇が薄まるのだ。憎悪から侮蔑に変わったってだけで、気圧されないくらいに。
それは何故だろうか――――考えて、関羽ははっと思考を中断した。
偃月刀を振るって思案に気を抜いた隙を突いて迫ってきた剣を弾き飛ばす。封蘭の双剣が分裂したものだ。
剣から距離を取ろうとして、背後に敵兵士が身動き出来ない状態で固まっているのに咄嗟の判断で右へと転がった。
半瞬遅れて地面にぐっさりと剣が突き刺さった。すぐに自力で抜けると更に関羽へと襲いかかる。たった一振り。されどその素早く軌道の読みにくいそれは関羽に休む暇など与えない。
紙一重で避けるが微かに軌道を逸らし太腿を深く裂いた。
「ぁく……っ」
体勢を崩して倒れたところを妙幻が迫る。
眼前に迫ったしなやかな足に関羽は寝返りを打つようにしてその場を離れた。だが、避け損ねて靴の先が肩口に当たってしまった。
「関羽!」
「おっと」
封蘭は残りの剣で曹操達を牽制する。そうしながら、関羽を剣一本で追い詰める。
妙幻はまるで手遊び――――否、足遊びでもしているかのようだ。封蘭の攻めの合間に、揶揄するように攻撃を仕掛けてくる。そのどれもが、関羽が体勢を戻せない瞬間を狙って来るものだから、掠めたりする。
遊ばれて、なぶられているのだと、そう感じた。
悔しい……!
妙幻に何も出来ていないどころか、攻撃を避けられもしていないのだ。
これじゃあまるで幽谷を相手にしているみたい……。
……否、実質幽谷の相手をしていると思った方が良いのかも知れない。
幽谷としての記憶は妙幻も共有しているだろう。
それに元々は妙幻に合わせて作られた器だというのなら、幽谷がそれを使っていた。従って、その身体に秘められた膂力(りょりょく)は幽谷と同じだ。
恒浪牙が、四霊としての通力を使えない状態にしてくれたのは、非常に大きかった。
体勢を整えて構え直し、襲い来る剣を弾いて、裂帛(れっぱく)の気合いで妙幻に肉迫した。
薙ぐ!
が、妙幻は片手で柄を掴んで軽々と持ち上げ関羽の身体ごと上へと投げた。自らも跳躍し宙を舞う関羽より高くに至るとすらりと伸びた足を上げて関羽の身体に叩きつける。踵が水月に入った。
関羽の身体は地面に落下し背中を強(したた)か打ち付ける。背骨が折れなかったのは、奇跡に近い。
衝撃で一瞬息が止まり、激しく咳き込む。
妙幻は軽やかにその側に着地すると、喘ぐ関羽の側に屈み込み、人間の手で関羽の顔を両の頬を潰しながら掴み持ち上げた。
「所詮は下賎。認めて開き直れば良いものを」
「……ったし、は……下賎なんか、じゃ、」
興醒めしたようにそこで顔を放す。べしゃっと落ちた。
「やはり、面倒なのは地仙だけか。封蘭。妾はもう飽いた。恒浪牙を殺した後は、世を浄化しよう」
「了解。さっさと終わらす気になってくれて嬉しいよ」
封蘭はにべもない。
片手を振って更に剣を分裂させ、土砂降りのように三人へ降らせた。
関羽を曹操が呼ぶ。恒浪牙が封蘭を怒鳴る。
関羽は迫り来る無数の凶器を眺めるしか無かった。身体が思うように動かなかった。
このまま何もせずにいれば、確実に死ぬ――――……。
瞼を下ろす気力すら、無かった。
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