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 開戦を示す銅鑼の音が、胸の奥底を震わせる。

 関羽は恒浪牙、曹操と共にたった三人で先陣を切った。
 夏侯惇と夏侯淵は別働隊として、趙雲や猫族と呼応して側面を叩く手筈になっている。この別働隊が両側面にそれぞれ突撃した瞬間に恒浪牙が何かしらの術を発動し、本体を一気に潰すのだ。

 恒浪牙は関羽達よりも速い。これも地仙故なのかと思ったのだが、地仙になる前と比べれば随分と遅くなっていると本人は言う。昔よりも遅いって……地仙になる前の身体能力は一体どれだけ高かったのだろう。
 とても戦うような人物には見えない、ゆったりとした重ね着をはためかせながら、かの地仙は敵兵士達の中へ飛び込み、狼牙棒で薙ぎ払う。
 恒浪牙の狼牙棒は、今までの物とは造りが違い、少々特殊な構造をしている。
 紡錘形の金属の塊に付いた無数の針は、物に当たると内側に引っ込んでしまうのだ。単なる脅し目的として、以前はわりかし頻繁に使っていた物が、今では逆転している。
 針が引っ込むそれは、妙幻に踊らされる兵士達を殺さない為。彼らに罪は無い。これは妙幻の手遊び、憂さ晴らしであって戦ではないのだから。この戦で得るものは何も無い。掲げた大義名分も虚ろなものだ。ただただ妙幻が前戯として整えられた舞台でしかない。

 関羽は恒浪牙を追いながら、偃月刀を振るう。彼に従って、殺さずに、絶入させて中心に向けて進んだ。
 両側面を別働隊が叩くのは自分達が中央に至ってからだ。そこでも恒浪牙が何かをするつもりのようだ。恒浪牙の地仙の力に頼り切った戦術だが、仕方がない。無理をさせてしまうが関羽達が妙幻達と対抗するには彼の力が必要不可欠だ。

 関羽は曹操と恒浪牙にようやっと追いつき、彼に躍り掛かった兵士を関羽が偃月刀で振り払った。
 けれども、幾ら何でも数が多すぎる。次から次へと三人に襲いかかってくる。正面を任せた本隊は大丈夫だろうか。


「いやあ、千客万来ですね」

「気楽に言うな。私でも斯様(かよう)な無茶な策はせぬぞ」

「私だって、こんな疲れるようなことはしたくないですよ。老体に鞭打ってここにいるんですからー」


 鞭打っているようには思えないのだけれど。
 軽々と、重そうな得物を自在に振り回す地仙を横目に、曹操は溜息をこぼした。関羽は苦笑を禁じ得なかった。

 しかし、彼のこの暢気な態度が、今はとても有り難い。
 三人だけで周囲は敵のみという状況は、如何に歴戦の勇士であろうとも一抹の不安を覚える筈だ。
 恒浪牙が普段と大差無い鷹揚な態度を見せていることが、心強くすらあった。


「はああぁぁ!!」


 偃月刀を振るい、或いは蹴りつけて兵士達をいなす。
 曹操も、剣は抜いているものの鞘で殴打して昏倒させていた。剣は敵兵士の得物を受け止めるくらいにしか使われていない。

 一カ所に留まることは無く、三人はひたに中央を目指す。
 かわし損ねて髪が数本犠牲になったが、恒浪牙が立ち止まるその時まで、関羽が負傷することは無かった。曹操も然りである。

 背後に立つ曹操と関羽の姿を肩越しに振り返って確認し、恒浪牙は右手を横に伸ばした。拳をぎゅっと握り締めて開く。
 直後――――。


「影縫(えいほう)」


 囁くように、彼は呟いた。

 途端に兵士達の動きが止まる。
 一枚の静止画のように、ぴたりと、微動だにすらしないのだ。
 まるで四肢を見えない糸に拘束されてしまったかのように、兵士達は青ざめている。口も目も――――表情筋すら動かせない彼らは恐怖を顔色で訴える。声も出せないようだ。先程の喧噪は何処へ行ってしまったのか、今はしんと、水を打ったように静まりかえ返っている。

 恒浪牙はすかさず左手で指を鳴らした。

 それからやや間を置いて、左右から吶喊(とっかん)の声が聞こえてきた。


「ここまでは重畳(ちょうじょう)。しかし、そろそろ妙幻が動き出さないとも限りませんね。さて……この十日で随分と私の器を壊して下さっているようですが……」


 まだ、呪詛は解けていない。
 この旬日(じゅんじつ)で、彼女は自らの呪詛を解くことは出来なかったのだ。

 どれ程の人形が壊されたのかは分からないけれど、人形を壊す為に力を使えば使う程、犀華の残した呪詛を強化する。強化されればされた分だけ、力の残滓が犀華の自我を形成したように、幽谷の自我を支えてくれる。

 それに頼ることは無い。してはならない。

 関羽はかぶりを振って、恒浪牙を呼んだ。


「私達はこれから妙幻のもとに?」


 恒浪牙は頷きそうになり、ふっと眉間に皺を寄せて敵本陣の方角を睨んだ。


「……いいえ、少し待ちましょう」


 妙幻が、少し不可思議な動きをしているようです。
 難しい顔をして、彼はすっと目を細めた。

 その瞳にあるのは、呆れだ。
 誰に対して呆れているのか分からないが、懐かしげに揺れる瞳を眺めながら、関羽は曹操と顔を見合わせた。



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