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「久し振りだね、関羽」
にこりと、人懐こそうに、しかしどろりとした得体の知れない狂気をまとわせて、その青年は両手を広げた。
すらりと伸びた身長、引き締まった身体は無駄無く筋肉がつき、精悍さを加味する。
衣装も幾分開放的になり、昔とはまるで印象が変わってしまっていた。
一瞬、誰か分からなかった。
けれども関羽の口からその名前が漏れたのは、そのかんばせに面影があったから。声は低いが聞き覚えがあったから。
劉備は口角をつり上げ、彼らに歩み寄った。
「君が邪魔をしたから、手土産が無くなってしまったじゃないか」
『そうは言ってもね。僕は動物を虐めるのは好きではないんだ。封蘭もそうだよ。ただでさえ怖がっているというのに、封蘭が君から離れていっても僕の知ったことではないな』
泉沈は笑みを消し、冷たく返す。まるで仇(かたき)でも見るかのようだ。封蘭の感情を尊重して、彼を遠ざけているのだろう。嫌悪を表面にありありと浮き上がらせ、劉備から距離を取る。
『僕は、封蘭を怖がらせる存在は大嫌いなんだ』
ついとそっぽを向くあまりに人間じみた四霊に、劉備は眉間に皺を寄せる。
されどすぐに関羽に向き直り、曹操を冷たく一瞥した。
「君はまだ、こんな奴と一緒にいるんだね、関羽」
「……劉備……どうして、人間同士で戦わせようとするの? どうして妙幻に味方するの?」
妙幻に従っても、幽谷は帰ってこないのよ?
そう言い聞かせるように言うと、劉備は微苦笑し、かぶりを横に振った。
「そんなことは無いよ。妙幻は言ったんだ。確かに。全てが終われば幽谷を返してくれるとね。本人がそう言っているんだ。だから関羽、君も、張飛も、皆こっちに来るんだ。そうすれば、皆平和な世界で暮らせる。曹操達人間に僕らの居場所が蹂躙されることは無いんだよ」
違う、違うのだ。
猫族だって人間だって、尊い命。世界の一部だ。
関羽の母関麗と公孫賛が愛し合えたように、趙雲が猫族を受け入れてくれているように、分かり合って共存していくことも出来るのだ。
時間はかかるけれど、徐州の人々みたいに分かり合える人だってこれから現れるかもしれないのだ。
それに、幽谷は人間だ。
趙雲や幽谷と同じ存在を消すことどうして推奨出来ようか。
だから、人間を殺さないで欲しい。
一緒に生きていきたい。
そう言おうとすると、劉備は敵意の籠もった鋭い眼光を曹操へと向けた。
今にも襲いかかりそうな形相の彼に不穏なモノを感じた夏侯惇が曹操の前にそっと立ち、剣を構えた。
だが、その前に関羽が立つ。今まで手にしていながら地面に向けていた偃月刀の切っ先を劉備に向けて。強く、強く見据える。
劉備が驚き、傷ついたように顔を歪めても強固な姿勢は変わらなかった。
「関羽……どうして? 僕は君を守りたいんだ、今までずっと守ってくれた分」
「……」
劉備は今、金眼に支配されている。
だから、甘い情に流され受け入れる訳にはいかない。彼の言葉に耳を傾けてはいけない。
何を思って金眼に侵されてしまったのか、関羽には推し量れない。今でもそれが悔しくて仕方がない。もっと劉備に寄り添えていれば、こんなことにもならなかったかもしれないのだ。
そしてそれは、幽谷にも言えること。
自分は罪深い――――そんな悲劇の主人公じみたことは思わない。思ってはいけない。
ただ、自分がもっと上手くやれていればと、よしや恒浪牙に叱咤されても今でも思えてしまうのだ。
そんな自分を振りきるように、偃月刀を一度横に薙ぎ、構え直した。
「劉備、わたしは――――いいえ、わたし達はあなたが妙幻に協力するというのなら、全力で抵抗するわ。勿論、仲間として。そしてあなたの中の金眼を倒して封蘭も、犀華も、解放するの。……幽谷は、妙幻に変わった時点でもう存在しないのよ」
「……解放?」
その声は、劉備のものではなかった。
否、そもそも聞こえる筈のない声だった。
皆が一様に泉沈を見やる。
「……僕を、解放だって?」泉沈は身体を震わせ、関羽を睨めつけた。強烈な憎悪を向けられ、関羽は思わずたじろいでしまう。先程までの威勢が気圧されてしまった。
激情を露わにした泉沈は――――いや、封蘭は、歯軋りして拳を握り締めた。
「……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。あんた達が《あたし》を殺したんだ。《あたし》だけじゃない、父さんも、《あたし》を追いかけて助けれてくれた父さんも、猫族が殺したんだっ。――――《あたし》も、母さんも父さんも殺された! 証拠も何も無い謂われ無い罪でっ、目の色が違うただそれだけで!!」
封蘭の一人称が変わっている。素が出かけているのだろう。
彼女の様子に恒浪牙が顔を強ばらせて歩み寄った。
「……落ち着きなさい、封蘭。その姿で感情に波を立たせれば周囲に被害が……」
「五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い……! あんただってそう、あの時、あの時あんたは何もせずにそこにいた!! 父さんが殺されるのを黙って見ていたじゃないか! それで今更《あたし》を救うとか抜かす訳!? 自分の妻すら救えなかった奴が!! 誰も救う気が無いくせに!!」
封蘭は吼える。高い声で、憎悪をぶつけてくる。
恒浪牙は痛ましげに顔を歪めながら、「マズい……」と小さく呟いた。
「恒浪牙、どうかしたのか?」
「……封蘭、何があった? 妙幻の集めた人間達に何をされた?」
焦りを帯びた声に、劉備が顔を歪めて泉沈の姿をした封蘭を労るようにそっと抱き寄せる。
その腕を、封蘭は乱暴に振り払った。荒い呼吸を繰り返し、恒浪牙を睨みつける。
「猫族なんて、人間なんて、皆みんなどの時代も同じだ」
汚らわしい、気持ち悪い。
襟を締めるように握り締める。
その仕草に、恒浪牙は血相を変えた。
「まさか……」
封蘭は何かを追い払うように腕を振るう。
刹那、旋風が吹き荒んだ。
何もかもを攫ってしまいそうな程の強風に、腰を低くし、関羽は劉備と封蘭を呼ぶ。
「人間がどれだけ汚いか、すぐに分かるよ」
死んだ方が良いと、君達も思う筈。
耳を掠めたのは、劉備の声。
その意図を問おうと、風の止んだ直後に目を開けて彼の名を叫ぶ。
が、そこにはもう二人の姿は無かった。
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