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 赫平(かくへい)は気まぐれに人の世を歩いた。自然を燃やさぬよう、人の姿となって。

 まるで頭が燃えさかっているかのように、炎のような明るい赤の髪は月光を弾いて煌びやかな輝きを放つ。猛々しくも神秘的な赤に、同じ煌めきを宿す強靱な意志を含む瞳。
 絶世とも言える美貌を備えた赫平は後方を振り返り、ほうと暗鬱とした吐息をこぼした。


「よもや、ここで会うとは……奇遇だな。確か、犀煉だったか」


 随分と、弱々しい魂となっている。
 感慨も無く、淡々と呟かれた言葉はかつて器を共にした人物へ向けられたものだ。
 周囲の闇は赫平自身の光によって勢力を弱めている。怯えるように揺らめき、自らのうちに呑み込んだ彼を浮き上がらせた。

 よろよろと危なげな足取りをした青年の姿のまま相当の年を経たかつての器――――犀煉は、色違いの瞳で赫平を認めるなり忌々しそうに舌を打ち、力尽きたようにその場に倒れ込んだ。
 赫平はそれに歩み寄り、膝をつくでもなく佇んだまま犀煉を見下す。まるで、道すがら見つけた、壊れた道具を見下ろしているかのように無機質に。


「そのような壊れかけた魂で、妙幻に相対するというか。何と無謀な男だ。……いいや、哀れな程に愚直と言うべきか」


 この男が如何に妹に執着していたか、本人と同じ程に理解している。
 だが、どうでも良いことだ。嘗ての同胞の子孫狐狸一族の末裔とは言え、人間同士のつまらない情など、気にかける必要も無い。


「妙幻に任せておけば、万事上手く行くだろう。それの何に不満を持つ。お前の妹の骸が、天帝のお役に立てるのだぞ。この上無き誉れではないか。死してなお、人の身で天帝のお望みを叶えられるのだ。妹の魂には勿体ない栄誉だとは思わぬのか」


 犀煉は呻いた。
 立ち上がることは難しいのか、身体を仰向けにしてぎろりと赫平を睨め上げる。


「……っ、そのような薄っぺらいものに、何の感慨が浮かぶ。俺には、犀華がお前らの勝手に付き合わされ冒涜されているようにしか思えぬ」

「薄っぺらい、か。ふむ……、……そうだな、天帝のお姿をじかに見たことの無いお前にはそう思えるのだな。まあ、ただの人にあのお姿を見ることなど許されぬことだが」


 人のほとんどでは天帝などまさに紙上の存在。存在の真偽も定かではないだろう。
 となると、彼らにとって天帝の使命も、天帝の役に立てるという至上の名誉も、空気のように見えず、掴めぬものなのだろう。有り難さが分からぬのも無理はないか。
 一人納得し、赫平は天を仰ぐ。


「ふむ……なれば妙幻の行動が如何に重要で尊いものかなど、お前達に理解出来ぬも道理という訳だ」

「は……っ人を全て殺し尽くして、何が尊い。それはただの虐殺だ。掃除でも何でもない」

「そうさな。妙幻のすることは虐殺だ。だが課程などどうでも良い。要は、世を浄化出来れば問題は無いのだ。脆弱な人の思念はしかし、世に強く作用する。龍脈もまた然り。人の負の思念は世を汚す。それが金眼を生み出したと言っても良い。であれば、また金眼の如き大妖が生まれるを事前に防ぐには、やはり元凶を取り去れば良い。お前達も、身体の中の要らぬ物、毒になる物は毎日排泄しておるだろう。それと同じことではないか」

「人を糞便扱いか。大した四霊だ」


 嫌味っぽく言うが、赫平にはさして気にした様子は無い。


「不快か? では、排泄をせねば良い。出さねばならぬ物を出さずに生き、己の身体がどうなるか身を以て知ればそのような思いも浮かばぬ。むしろ、浄化がどれだけ有意義か知れよう。我が思うに、お前は徒人よりも利口だ。そのような愚行をせずとも分かろうに、何故分からぬフリをして妙幻を止めようとする」

「人がどうなろうと俺は知らぬ。俺はただ、貴様らの勝手で犀華を弄(もてあそ)ばせたくないだけだ」

「お前も不思議な男だな。女一人に世界すら意識の外へ追いやるか。……ふむ」


 だが、強(あなが)ちその気持ちも分からないでもない。
 己も妻のいる身だ。未だ見つからぬ半身にして最愛の美しい妻が。
 確かに、彼女がいれば他には何も要らぬと、ままに思うこともある。あれが傍にいるだけで世界が違って見えることもある。

 妻が天帝のお役に立てるとなれば、よしやそれが死のうとも一生の誉れであると断じよう。
 されど、天帝の有り難みすら分からない人の身では、最愛の異性を弄ばれていると許せない。
 理解が出来そうで、出来ぬ。
 赫平は暫く考える素振りをし、思い付いたように一つ頷いた。


「少々、気になるな……では、我は再びお前の中に戻ろう。お前の最期までを見届けたくなった」


 どうせ一時、短い時の戯れだ。

 犀煉の応えなど待たなかった。
 気まぐれな天上の鳥は、矮小な存在(うつわ)に拒否すら許さずに己をねじ込ませるようにして入り込んだ。
 その強引な侵入に伴う苦痛など、考えもせずに……。


「何を……がっ、――――あ゛あ゛ああぁぁぁぁぁっ!!」


 獣の咆哮に似た悲鳴が、脅威が去り手足を自由に伸ばす闇の中に響いた。



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