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「え、封蘭が袁紹様を!?」


 夏侯惇のもたらした報せに、関羽も曹操も驚いた。
 異様にぐったりとした彼に何があったのか訊ねると、封蘭の方術に翻弄されてしまったとのこと。曹操について回る怨霊を実体化させたとかどうとか、出鱈目を言っていたそうだが、術に精通していない自分達ではそれが本当なのか嘘なのか分からない。今趙雲が恒浪牙を部屋に送って訊ねているところだと告げられた。

 関羽は寝台に横たわる曹操の側に腰を下ろし、夏侯惇の報せを吟味する。

 封蘭は何の為に袁紹を連れ去ったのだろうか。
 妙幻が指示したようだと封蘭の発言から察せられると夏侯惇は言う。だが妙幻は極度の人間嫌いだ。大嫌いな人間を連れ去るような指示をするようにはとても思えない。
 一体何の為に、袁紹(にんげん)を……?


「恒浪牙にも、そのことは訊いているのか」

「趙雲が訊ねているかと。……ただ、封蘭の術を解いた上で結界を張ったことで身体の方に負担が。また数日休むことになりかねないだろうと」

「……恒浪牙以外に対抗出来る存在が無い以上、彼一人に全てを任せきりにしてしまうのは致し方ないが……」


 いい加減、恒浪牙を休ませなければなるまい。
 渋面を作って独白する曹操に同意を示すように、関羽は頷いた。夏侯惇も「その方がよろしいかと」と、もう一人では満足に歩けない状態であると語った。

 恒浪牙が万全でなければ、こちらも勝ち目が更に低くなる。

 彼一人を頼らなければならないと言うのは何とも申し訳なく、情けない話ではあるが、致し方ない。相手にとって自分達では手遊(てすさ)びにもならないのだ。せめて、対抗しうる恒浪牙に助力を乞わなければどうにもならない。

 関羽が溜息をつくと、曹操がその背をそっと撫でた。


「暫くは、あちらに動きが無いことを望みたいものだな」


 ぼそりと呟かれた言葉は、必ずしも曹操の本心ではない。

 妙幻達に動きが無ければ確かにこちらも準備を整えることが出来る。
 だが、彼女らの動きが無いことは、言うなれば嵐の前の静けさだ。その間にどんなことを画策しているのか、分からない。分からないが故に恐ろしい。
 曹操は、きっとそうすることに大きな危惧を感じているだろう。恒浪牙という切り札を潰さない為に、苦肉の策としてそのような望みを持っているのだ。

 幽谷が妙幻に変わること無くこの場にいれば、或いはすぐに動くことが出来たかもしれないのに――――。
 そんな思いが頭によぎって、関羽は慌ててかぶりを振った。


「関羽?」

「……ごめんなさい。駄目ね、わたし。どうしても頭が幽谷に頼ろうとするの。駄目だって分かっている筈なのに。幽谷には頼ってはいけないって……」


 夏侯惇が、一瞬だけ視線を泳がせた。

 曹操はそれを見逃さない。


「……確かに、幽谷がいればとは、私も考えないではない。だがそうなれば、いつ覚醒するか分からぬ爆弾を抱えることにもなる。苦しむ状態で封蘭達と対峙させても、さしたる戦力にはならぬかもしれん。幽谷がいる場合といない場合……どちらを考えても状況が悪いことには変わりは無いだろう」

「ええ……分かっているのよ。頭では」


 けれどもずっと頼りきりだったのだ。
 どうしても、勝手だと知りつつ、頭の深いところでは幽谷に縋りたくなる。
 無くしたのは自分だ。
 幽谷を消したのは自分だ。
 幽谷がまた現れるかもしれないと、そんな希望に縋る資格も無い。

 いいや、それ以前に親友と名乗ることも許されないかも――――……。

 そこで、夏侯惇が立ち上がって関羽の思考を中断させた。
 いやに沈んだ面持ちの彼は何を考えているのだろうか、その口から漏れた言葉は、先程の報告よりも精彩に欠けていた。曹操の前では武将としての凛々しさを決して失わぬ彼にしては珍しいことだ。


「……では、俺は兵士達の様子を見てきます」

「ああ。任せたぞ」

「はっ」


 夏侯惇は拱手すると、足早に部屋を辞した。その背中が、いやに疲れているように見受けられた。

 ややあって、曹操は関羽を呼ぶ。


「夏侯惇の前で幽谷の話は避けた方が良い」

「え……どうして?」

「……知っても詮無きことだ。とにかく、良いな」


 強く言われ、関羽は困惑しつつ頷いた。

 どうして夏侯惇の前で幽谷の話をしてはならないのだろうか。
 関羽は首を傾け、再び曹操に問いかける。

 けども、曹操は何度訊いたとて知る必要の無いことだとの一点張りだった。



‡‡‡




 この旬日(じゅんじつ)の後、嵐は巻き起こる。

 応龍が人間を集め討伐軍を立ち上げたのである。
 その目的は一つ。


《堕落した地仙に洗脳されし曹操軍と、それに与(くみ)し、かつての英雄、劉光の子孫を排他した猫族の反逆者の殲滅》


 また、戦乱は様相を一変させる――――……。



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