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 城門から堂々と侵入した封蘭は、暫し歩いた先で犀煉を見つけた。
 危うい足取りで、何かに取り憑かれたようなげっそりとした彼に強靭な意志を感じるが、その身から発せられる生気は酷く弱々しかった。
 自分の身体の状態など分かっているだろうに、それでも前に行こうとするのは死んだ女を救う為なのだろう。

 すでに死んだ人間のことなど考えたって、詮無いことだ。

 割り切ってしまえば良いだろうに、犀煉は犀華に関してはこと執念深い。
 愛情?
 そんな馬鹿げた感情でそこまで出来る?

 愛情、友情――――そんなもの、まやかしだ。

 そんなものに一体何の意味がある?
 それはとても薄っぺらいものだ。いつか裏切られる。いつか、失せていく。
 一時の幻、夢なんだよ、そんなもの。

 関麗も、関羽も。
 下らないモノに縋って、無意味に生きて、滅びに向かう。
 この世に絶えないものなど無い。
 どうせお前達の愛情なんて、すぐに消えて失せるんだ。

 笑顔を向けていた猫族が、豹変して封蘭を排除したように。

 下らない。
 下らない。
 下らない。

 所詮言葉を話せる動物なんて、上っ面ばかりを取り繕うのだ。

 信じる方が愚かしい。間違ってる。


「……ばっかみたい」


 吐き捨てるように呟き、犀煉の横を通り過ぎる。星河が犀煉を一瞬仰ぎ見るが、すぐに封蘭の隣に並んだ。
 急ぎ足に牢屋を目指し、暗い廊下に身を滑り込ませる。
 見張りの兵士を音も無く破裂させ、牢屋に入る。
 そして、足を止めた。


「……やあ、来ると思っていたよ」


 舌打ち。
 嫌悪と憎悪に顔が歪んだ。

 牢屋の隅に佇んでいたその年齢不詳の男は、封蘭に優しげな笑みを向けた。


「君の目的は袁紹殿を味方に引き込むこと。違うかい?」

「……」


 封蘭は彼を睥睨し、両手に双剣を持つ。身体から出したそれの切れ味はどんな業物にも勝る。
 だが、武器が如何に優れているといえども封蘭は武術に関しては素人に近い。そもそも、猫族であった頃も弱い身体が災いしてまともな鍛錬が許されなかったのだ。基礎は辛うじて覚えているが、ほぼ自己流。
 そんな自分が、この男――――地仙恒浪牙に勝るとは毛程も思っていない。むしろ、瞬殺。
 彼が本来頭でなく身体を使うことが得意であったとは天仙達の会話を盗み聞いて知っていた。元々は義なんぞを掲げた大規模な似非(えせ)賊の頭であったことも。

 注意深く恒浪牙を見つめ、相手の出方を窺う。

――――けれど。


「残念だが、今の私には君を止める程の力を振るえないんだ。だからなるべく、このまま何もせずに大人しく出て行ってもらえないだろうか」

「……は?」


 力を、振るえない?
 封蘭は目を細めた。眉間に皺を寄せて、彼の身体を見定める。

 すると。
 身体と魂に、僅かな隙間があったのだ。
 それは馴染んでいない証拠。

 好機。
 頭の中にそんな言葉が浮かんだ。
 勿論殺すと言うことではない。殺したところで彼はまた復活する。無益だ。


「……へえ」


 封蘭は口角をつり上げて牢屋の格子に手をかけた。
 さすれば一本丸ごと水と化して重力に従い落ちた。冷たい石の床に染みを作った。
 それを数本繰り返して人一人通れるくらいになると封蘭は大股に、恒浪牙に見せつけるようにゆっくりと牢屋に入った。星河は恒浪牙を警戒し牢屋の前に座り込む。

 中には袁紹が倒れている。耳を澄ませば静かな寝息が聞こえた。術で眠らされているのだろう。こんな状況下で寝ていられるような鷹揚な人物とは到底思えない。矜持などで犬のように煩く吠える筈だ。
 その身体を軽々と肩に担ぎ上げ、封蘭は星河を呼んだ。
 手触りの良い毛が足に当たったのを確認し、その場を離れようとする。

 が、力を使おうとした直後に異変を感じて牢屋を飛び出した。


「てめぇ……結界を張りやがったな」

「帰ってしまう前に張り終わって良かったよ。これでも、結構前から地道に結界を構築していてね。もっと早く来ていたなら間に合わなかった」


 彼に襲いかかりたい衝動に教われた。が、すんでのところで踏み止まる。
 ……いや、こうなることは一応は想定していた。それ程慌てることでもない。
 昂揚しかけた自身を宥め、封蘭は駆け出した。
 扉を飛び出し、すぐに足を止める。

 仄暗い廊下に、数人の武将が立っていた。
 恒浪牙の指示だろう。いつの間にか、術が無効にされている。これも想定していた事態ではある。

 武将の一人、趙雲が大剣を構えて、封蘭に声をかける。


「泉沈――――いや、封蘭。袁紹殿を戻してくれないか」

「断る。妙幻の機嫌損ねたらこっちが消されるんだ、そんなの御免被りたいね。まだ僕は見たいものがあるんだ」


 趙雲の後ろで夏侯淵が弓を構える。

 だが、彼らは分かっている筈だ。
 封蘭は何をしたとて死にはしない。そういう身体に作られている。
 自分に武器を向けたからと言ってどうにかなるものでは決してないのだ。
 封蘭は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、星河を呼んだ。

 星河がそれに応えて咆哮す。
 直後、甲高い悲鳴が、雄々しい声が、廊下に響き渡った。
 この場に立つ者達の誰のものではない。
――――いや、それ以前に生きた人間の声ではない。

 武将達が怪訝な顔をしたのも一瞬のことだ。
 足下の異変に気が付いて表情を強ばらせた。

 彼らは身動きが取れなかった。
 足に、影のように真っ黒なモノが絡みついているのだ。不定形のそれが地面から染み出すように現れ、彼らへとのろのろと近付いては足に巻き付く。
 憎悪と恐怖が、彼らの顔に一様に移った。ただ、趙雲や夏侯惇などはさして動じていないようだ。切っても切っても切り無く這い寄るモノに苛立っているだけ。


「文句を言うなら曹操に言いなよ。こいつらは全て曹操について回る怨念を形にしただけだ。ほんの少しでも曹操に縁ある者なら誰でも殺そうとするだろうね」


 封蘭は星河と共に駆け出した。隠形の札を銜え、元来た道を駆け抜けた。

 後ろで趙雲が呼んでいたが、彼女がそれに構うことは無かった。



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