「十三支ども! 何をのんびりしている!! さっさと行かぬか! 一人でも多くの黄巾賊を討ち取ってこい!」


 幽谷と猫族は、陣屋に戻っていた。
 桑木村へ伝令にやってきた兵士によって、無理矢理連れ戻された。前線の戦況が危うくなり、すぐに加われというのだ。勝手な都合で振り回す彼らに猫族は憤ったが、それでも無駄な諍いは起こすまいと大人しく従うことを選んだ。

 それで、またぞんざいな扱いを受けているのだが。


「エラそうにしやがって……」

「落ち着いて、張飛。今は黄巾賊を倒すことを考えましょう」


 幽谷は猫族から離れた場所に立っていた。目隠しをし、血塗れの手を腕を組んで隠している。
 猫族が動き出すまで、ずっと黙りを決めていた。

 彼らに人を殺して欲しくないのは、今でも変わらない。
 けれど、彼女らは人を最小限に殺さずに行くことを決めてしまった。
 人を殺したくないと、思っているのに。
 殺さなければ良い。昏倒させれば他の兵士が片付けてくれる。
 殺すのは、慣れた私だけで――――、


「幽谷」


 ふと、話しかけられる。
 蘇双だ。


「ボクが追い付く前に何があったのか聞いた」

「……申し訳ありません」

「謝らなくて良いよ。前にも言った筈だけど、これはボク達が決めたことなんだ。幽谷が気にするようなことじゃないんだ。いい加減、ボクたちに過保護なのは止めて」

「……申し訳、ありません」


 ……されど。
 でも。
 しかし。
 そんな接続詞ばかりが脳裏に浮かぶ。

 彼らは優しい、だからこそ汚れて欲しくはないのである。
 確かに戦場にいる限り死体は山程見るだろうし、殺さなければならない時も多々ある。むしろ殺さなければ、死ぬのは自分なのだ。
 されど、やはり、汚いのは自分だけで良いのだと強く思う。
 複雑な心境を抱え、幽谷は蘇双に頭を下げるしかなかった。


「幽谷が思っている程、ボクらだって弱くはないんだよ」

「……はい。それは勿論、承知しております。ですが――――」

「蘇双。こいつは何を言っても聞きゃしねぇよ」


 不意に、世平がやってくる。
 幽谷は頭を下げた。


「世平叔父……」

「これからゆっくり言い聞かせるしかねぇさ。今はとにかく、張角だ。幽谷、俺たちは被害を最小限に抑える為に張角を真っ直ぐ目指す。分かったな?」

「承知いたしました」


 大きく頷けば世平の堅くて大きな手に頭を撫でられた。


「蘇双は、劉備様と残るんだったな。しっかり頼むぞ」

「分かってる。世平叔父こそ、歳なんだから無茶はしないでよね」

「馬鹿言え。俺たちがしっかりしねぇと、若ぇもんの尻拭いが出来ねぇだろ。幽谷、今から出るぞ」

「御意。では、蘇双様。失礼いたします」


 蘇双は短く頷き、「気を付けなよ」と声をかけた。



‡‡‡




「張角どこだ――!!」


 喧噪の中、張飛の大音声が響く。
 彼らの目的は黄巾賊を率いる大賢良師、張角のみ。
 それ以外に構うことは無かった。

 激しく交戦し合う場所から更に突き進んだ関羽と張飛は、一心に張角を目指した。
――――人を斬り倒しながら。


「ぐああああああ!!」

「……張角じゃないなら大人しく道を開けて」


 躊躇いを押し殺して進む彼女らの側を走りつつ、幽谷は離れた場所で襲いかかる黄巾賊達を斬り捨てた。
 出来ることなら近くで戦いたかった。
 だが、幽谷は未だに目隠しの感覚になれていなかったし、何より関羽が自分を怖がっている。血塗れの自分が、今彼女に近付いてはいけない気がした。

――――やがて、関羽達の足が止まる。


「あ……っ」


 後ろ?
 幽谷は血の滴る匕首を構え、ほんの僅かだけ目隠しを上げる。


「なぜ、このような場にお前たちがいる」


 淡々とした、低い声だった。
 黄色い頭巾をはちまきのように頭に巻いた長身の男だ。露出した腕や胸、そして顔には多数の傷跡が残り、何とも痛々しい。


「誰だ、テメー!」

「誰だ、とは愚問だな。お前たちが我を捜しておったのだろう」

「もしかして……あなたが張角!」


 張角は関羽を一瞥する。


「我の問いに答えよ。なぜお前たち、猫族が人間に荷担している」

「わたしたちは、好きでここにいるわけじゃないわ」


 この男……十三支でなく、猫族と言っている。
 差別意識は無いようだ。


「ほう? ……では、お前たちが曹操に捕らえられたという猫族か」


 目を細めて彼は顎を撫でた。


「大方人間に脅され、戦に駆り出されたといったところであろう」


 そうして、言うのだ。
 我が同胞、と。
 我らが一族の子、と――――。
 関羽も張飛も困惑した。

 そんな二人に、張角は頭巾を取り去る。


「え……」


 驚愕。


 張角の頭に立つ、二つの三角形。
 猫の耳。
 彼は猫族の者だったのだ!
 幽谷は言葉を失った。

 黄巾賊という人間達を率いているのが猫族だったなんて……だれが予想し得ただろう。


「どうして!? どうして猫族のあなたがこんなことを!?」


 関羽が声を荒げて問うた。

 張角はそれを鼻で笑い、問いで返す。


「人間に迫害され、脅迫され、それでもなお、なにゆえお前たちは奴らに従う?」

「それは……」

「なぜ抵抗しようとしない? 我ら猫族には、人間どもに勝る力があるではないか。人間より優れた我らが、愚弄されこのような扱いを受けるのか、なぜ疑問を持たない? 一体我らが何をしたというのだ?」


――――すとん。
 彼の言葉は、幽谷の胸にしっくりとはまった。
 心から同意してしまう。

 何故猫族が人間に虐げられなければならないのか。
 何故猫族が人間に従わなければならないのか。
 確かに、疑問であった。

 だがそれは、幽谷と言うよりも幽谷ではない誰かの感情のように感じた。漠然と、そんな気がした。


「愚かなる人間によって支配されたこの国を我が理想郷へと生まれ変わらせるため我が誇りたる耳を隠し、立ち上がった。新しい世を作ると言う理想を掲げ、浅短たる人間どもを騙し、ここまでの勢力となったのだ」


 何故人間に荷担するのかと、張角は再び問う。


「別にオレたちはは人間の味方じゃねーよ! ただ、黄巾賊が気に入らねーだけだ! その辺にいる弱いヤツらを苦しめるのが国を変えるってことなのかよ!?」

「それについては詫びねばならぬ。人間など所詮は目先の欲に負ける愚民。いかに捨て駒とは言えど、我が崇高な理想を支えるに足りぬ」

「捨て駒……!?」

「オメーが親玉のくせに無責任なこと言ってんじゃねーよ!! アイツだって、テメーら黄巾賊に殺されたんだ!」


 張飛の言う『アイツ』とは、劉備と仲良くなった少年のことだろう。目の前で殺されてしまった……あの少年。
 よもや人間の少年のことだとは思わぬ張角は不思議そうに、少しだけ首を傾げた。


「あいつ? 我らが一族を討ったという話は聞いていないが?」

「猫族じゃねぇよ! アイツは人間だけど……でも、劉備の大切なダチだったんだ!!」


 劉備。
 その人名に張角は敏感に反応を示した。目を瞠り、語気が荒くなる。


「劉備……だと? まさか、猫族の始祖、劉家の末裔か!? 誇り高き猫族の長たる、劉の血を引く者が人間などと親交があろうとは……。由々しき話だな」

「何ですって……」

「劉家は我らが一族の隠れ里でその清き血を守り続けているはず。それが人間と交流するなどもってのほか。どうやら、その劉備とやらには我らが一族を守る者たる自覚が足りぬようだな」


 勿論、張飛と関羽は言い返す。

 だが張角は関羽を――――否、関羽の目を見て瞑目した。ふ、と吐息を漏らす。


「娘よ、お前の目を見ればわかる。お前には劉家の血を守る資格はない」


 関羽がたじろいだ。

 張角は見抜いたのだ。
 関羽が、純粋な猫族でないことを。

 本来猫族の瞳は金色だ。
 だが関羽は黒い。それは紛うこと無く、人間との混血の証であった。


「その黒き瞳では理解できまい! 劉家に受け継がれる清き血の価値を! 猫族の誇りを!!」

「な、なんなんだよ、テメー! 姉貴のことなんか知りもしねーくせに!」

「庇うのはお前の自由。だが、本人は自分がふさわしくないとわかっているようだが?」


 そうであろう、黒き瞳の娘よ?
 関羽は答えなかった。

 彼はそんな関羽に大仰に己の夢を語った。
 猫族の為だけの、国。世。
 真の理想郷――――。

 蔑視するような張角の眼差しに、事の次第を見つめていた幽谷は匕首を手に関羽の前に立った。幽谷は猫族ではないが、さすがにもう黙ってはいられない。目隠しを、捨て去る。色違いの目で彼を見据えた。

 張角は目を瞠った。


「お前は……!」

「……?」


 張角の目に歓喜が浮かぶ。顎を落としながらも、彼は幽谷の目に見入っていた。
 こちらが、怯んでしまう程に……。

 幽谷は訝って眉根を寄せた。


「私が、何か……?」

「なんと言うことだ! よもや、このような存在が残っていたとは……天はやはり我に味方しているのだ!! 天は我らに四霊を遣わしたのが何よりの証!!」


 四霊?
 張角の言葉に、幽谷は訝った。
 自分は、四凶ではなかったのか――――?


 何故張角がそこまで喜ぶのか、幽谷には理解ができなかった。



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