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犀煉はまろびながら回廊を歩いていた。
ともすれば意識が身体から離れていきそうな不快な引力に、何度気が遠退いたか分からない。けれども自我を必死に繋ぎ止めて、彼は城門を目指した。
行く先は、妙幻のもと。
これ以上犀華の肉体を仙人達の勝手で弄ばせる訳にはいかなかった。
犀華は、何よりも大切な女だった。
犀煉の無色の世界に色を付けた、たった一人の妹。
間違った感情であると分かっていた。されど、使命を果たせば自分は消える。元々常なる存在ではない自分が《人》として過ちを犯したとて、さしたる問題にもなるまい。そう思って、犀煉は表向きは兄として、妹を見守り続けた。
幽谷の存在も、当然許せなかった。
当たり前のように、犀華の身体を自分のものとして扱うその作り物が、犀煉は憎くて憎くて仕方がなかった。
殺したかった。消してしまいたかった。
けれど――――けれど。
幽谷を殺すことはすなわち、再び犀華の死に顔を見るということだ。
今思い出しても恐ろしい、穏やかで冷たい、生の失せた彼女の寝顔。
幽谷の存在を見ているよりも、あれを見ることの方がずっとずっと恐ろしかった。
何度も殺そうとしては死に顔がよぎって身体が固まってしまう。犀華に浸食された彼の頭では、犀華の肉体に住まう幽谷を憎んでも、最愛の犀華の肉体を傷つけることは出来なかった。
幽谷は犀華のように笑わない。
幽谷は犀華のように歌えない。
幽谷は犀華のように弱くない。
幽谷は――――犀華とは何もかも違う。
だのに、顔は犀華のものだ。ただ、目と髪の色が違うだけ。
許し難い存在に、犀華と共有した感情が深くまで染み込んだ頭は、心は、しかし、排除を許さない。
殺したい筈なのに、殺したくない――――矛盾した己が、一番憎らしい。
何故犀華を用いなければならなかったのか。
今までと同じように四霊を作り上げれば良かったのだ。
神の一族の末裔たる犀家に見られる隔世遺伝によって発現する神通力を持たなければ、犀華は軟禁されることも無かった。死してなお、嘗ての身体が四凶と蔑まれ辱めを受けることも無かった。力の残滓が犀華の人格となって現れることも、死する苦しみを二度も体感することも、無かったのだ。
四霊として、自分は呂布には敵わなかった。四霊を追い出したこの身体では、それも無理の無いことではあれど、たかだか四霊がいない、それだけのことで自分はあの狂気に劣っていた。殺すことは出来なかった。
犀華の身体に宿った幽谷が呂布を殺した。それがたまらなく悔しく、情けなかった。亡き犀華を思って四霊としての使命を果たそうとしていた筈だのに、自分は彼女を救うことが出来なかった。
そして畢竟(ひっきょう)、妙幻は覚醒し、犀華の身体を勝手に作り上げ、愚行を働こうとしている。
勿論、犀煉にとって人間や猫族がどうなろうと知ったことではない。彼はただ一つ、愚かな自分が阻むことの出来なかった犀華への冒涜(ぼうとく)を今度こそ終わりにしたいのだ。
四霊の力は、まだこの身体に残っている。
犀煉の命そのものと併(あわ)せれば、或いは犀華の身体から四霊を分離させることも可能な筈である。
犀煉は、人目を憚って歩いた。強い眩暈が襲おうとも、足に力が入らずに倒れ込もうとも。
己の命よりも、生みの親よりも大切な、最愛の女性の為だけに。
‡‡‡
……何で僕がここにいるんだか。
封蘭はこれまで数えるのも億劫な程に繰り返してきた溜息を漏らした。
星河を連れて悠々と街中を歩く彼女に、道行く誰もが気付かずにすれ違う。ぶつかりかけても封蘭がさっと避けるばかりで封蘭を認識する者など皆無であった。
「なーんで、僕が人間を連れてこなくちゃいけないんだか……」
何故、彼女らがこの――――兌州は許昌、曹操の懐にいるのか。
事の起こりは妙幻の気まぐれだった。
恒浪牙に呪詛をかけられ力を制限された彼女は、淡華と共に談笑していた封蘭を捕まえて、ある人物をこちらに寝返らせるように命令してきたのだ。
どうして自分が、そう問えば帰ってきたのは『面倒だ』と返答になっていない答えだ。
腹に来るモノがあったけれど、逆らって痛い目を見ることは避けておきたい。身の安全を確保する為に、嫌々了承したのだった。
「味方にするったって……説き伏すのは駄目だよねぇ。もう、妙幻が人類の敵だって認識しちゃってるだろうしー。……牢屋に囚われていたとしても、人間滅ぼそうとしている奴らに手を貸そうなんて考える馬鹿はいないか。曹操に仕返し、なんて今あいつらが置かれた状況下では些末なことだ。フナの餌にもなりゃしない」
封蘭は顎に手を添えて色違いの目を細めた。
なれば方法はただ一つ。
洗脳する。
そういう手の込んだ術は得意だ。それに、何処までその人物らしい状態を残して傀儡に出来るか、あれこれ調整するのは楽しい。
妙幻は方法は問わなかった。ならば何をしたって、結局は彼女の意のままに動いてくれるのなら問題は無い。
「よーし。決定。まずは城に潜入して接触しようか」
片手を振って駆け出せば、星河もそれに従った。
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