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 何も無くなった場所に佇む曹操に、関羽はそっと寄り添う。

 砂嵐は、恒浪牙が龍を消してすぐに逃げ出した。恨めしそうに、恒浪牙を睨めつけて。
 彼女は恒浪牙が嘗(かつ)ての夫だと言った。だが恒浪牙はやはり訊ねても知る必要が無いとの一点張りで、頑なに話そうとはしない。四霊を作り出した女仙、砂嵐との関係は、彼にとっては最も知られたくない事柄のようだ。

 関羽は後方で幻術を解く恒浪牙を振り返った。
 彼の側には趙雲と世平、そして関定がいる。砂嵐が立ち去った後よろめいたので、念の為に控えているのだ。

 さほど時間はかからぬうちに、町をすっぽりと覆い隠した砂嵐の幻術は解けるだろう。自分にはそれだけの力がある。
 恒浪牙はそう言った。誰も、彼の言葉を疑う者はなかった。けれど、ここまで来るとさすがに恒浪牙の身体を案じる者もいる。彼が、最も頼りになる存在に他ならぬが故だ。

 恒浪牙という地仙を失えば、もう自分達に為す術は無い、誰もがそう思っているのだ。
 実際、関羽もそう思っている。
 恒浪牙の無惨な死体を見た時、関羽の胸には戦慄と絶望が走った。恐ろしいと、畏怖の念を抱いた。
 彼女に加えて封蘭や金眼に支配された劉備もいる。
 自分達は果たして彼らへ立ち向かえるのだろうか?
 封蘭や劉備を救うことが出来るのだろうか?
 幽谷――――幽谷は……。


「関羽?」


 曹操に呼ばれ、関羽ははっと我に返った。気付けば肩に手を置かれていた。
 顔を上げると案じるような曹操の双眸と交差する。無理矢理に笑って何でもないと誤魔化した。

 けれども、彼にはお見通しのようで。


「不安か? 四霊と、金眼と対峙することが」

「……、ごめんなさい。弱気になってはいけない状況なのに」

「いや。恐らくは、他の者達も同じだろう。……いや、兵士達はそれ以上やもしれぬ」


 曹操が身体を反転させて、辺りに力無く座り込んだり茫然と天を仰いだりしている兵士達を見渡した。

 天仙の術によって、間近で仲間が殺されどんなに恐ろしかったことだろう。
 きっと、戦意はもう喪失しているだろう。彼らに妙幻達と戦うことを強いるのは酷であった。
 曹操の腕にそっと触れ、関羽は目を伏せた。


「近々、諸将に文を送らなければならぬやもしれぬな」

「董卓から逃げたあの時のように?」

「ああ。……だが、それはつまり、相手に人間達を捧げるようなものだ。避けるべき下策だろうな」


 それに幾ら数を増やしたとて、妙幻達とまともに渡り合えるだろうか。
 否だ。

 絶対的な天に住まう瑞獣と、嘗て世界を蹂躙した大妖と。
 脆弱な人間達が敵う筈もない。

――――だけど。
 でも。
 抗わなければならない。
 死なない為に。
 ちゃんと、未来を歩けるように。
 自分達だけじゃない、これから生まれる新しい命も守れるように。

 幽谷には……頼れない。
 頼ってばかりで、結局苦しめて、あんなことにして。
 ここでも幽谷を頼ったら駄目。
 わたし達で、どうにかしなければ。

 決然と、曹操の腕から身を離した関羽は世平に向けて大股に歩き出した。

 曹操は彼女の背を黙って見送った。


「世平おじさん」

「どうした、関羽」


 関羽が隣に立って声をかければ、世平は彼女を一瞥し、恒浪牙に視線を戻す。
 そのままで良いから聞いて欲しいと前置きし、関羽も恒浪牙に向き直った。


「わたし、妙幻達と戦おうと思うの。簡単に勝てるとは思ってないわ。だけど、将来産まれてくる子供達のことを考えるとこのまま逃げていては駄目だと思うし……幽谷を追い詰めたのはわたしだから、出来ることを精一杯したいの。だから、わたしは曹操や恒浪牙さんと一緒に妙幻を倒して、封蘭や劉備も助けたい。世平おじさん達は許昌に残って――――」

「関羽、お前何言ってんだ?」


 関定が不思議そうに、関羽の言葉を遮った。

 関羽はえっとなって緩く瞬きした。

 そんな彼女に、趙雲がまるで当たり前のように、


「俺達も共に行くつもりだが?」

「え? え、でも、」


 そこで、世平が関羽の頭を軽く叩いた。


「封蘭も劉備様も、猫族の問題だ。お前だけに任せて良い問題じゃねえ。……封蘭には、猫族全体で対峙しねえと何も伝わらねえだろうしな。それに、お前が幽谷を追い詰めたというのなら、育て親の俺もお前の責任を負う義務がある。俺達は最初から、猫族全員で向かうつもりでいたぞ」

「世平おじさん……」

「関定は渋っていたけどな」

「そこをここで言うなよな!」

「騒がしいですよー」


 そこで、会話に介入したのは恒浪牙である。顔色が頗(すこぶ)る悪い。


「終わられたのか」

「ええ、何とか。ただ、やはり馴染みきっていない身体で無茶をすると苦しいですね。ややもすれば内臓が腐ってしまいますよ」

「えっ、内臓腐んの!? 人形なのに!?」

「そりゃあ、ナマモノですし。ちゃんと臓物はありますよ。血も流れていますし。……とと、」


 前に傾いだのを世平と関羽で支える。


「ああ、すみません。ちょっと立ち眩みが」

「大丈夫ですか?  恒浪牙さん」

「いいえ。ちょっとこれは一眠りしないとキツいですね」


 二人から億劫そうに離れ歩き出す。関定と趙雲に左右を支えられて。

 終わったと言っていた筈だが、未だ荒野が広がったままだった。
 されど、恒浪牙が曹操の脇を通り過ぎると、三人の身体が景色に《めり込んだ》ではないか!
 呆気に取られる一同の前で、三人から広がった波紋に景色が揺らめき、徐々に薄れていく。

 そして――――見慣れた城門が浮かび上がるのである。


「さて。申し訳ございませんが、私は以前お借りしたお部屋で眠ります。犀煉も、以前と同じ部屋に寝かせてあげて下さい」


 振り返って弱々しい笑みを浮かべた彼は、その直後にその場で絶入した。



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