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砂嵐にしか見えないその女仙は、不思議そうに関羽を見つめる。
「どうして、初対面のあなたが、私の名をご存じなのでしょう」
「え……あなた、砂嵐という名前なの?」
女仙は怪訝そうに首肯した。
また、驚く。
同時に混乱もした。
彼女が《砂嵐》? 恒浪牙の義妹だったあの娘に酷似していて、名前も同じ?
これは一体、どういうことなのか。
「恒浪牙さん。これは一体……?」
「私の作った人形は、一ヶ月以上かけるものを、犀煉に急かされて迅速に作り上げたものです。その為に、見た目までこだわることは出来ませなんだ。私の記憶の中で最も鮮明な女性の姿を使わせていただきました。名前も、同様に」
「鮮明に……じゃあ、やっぱりあの人とはお知り合いなんですね」
「それは、あなたの知るところではありません。今は、彼女をこの場からどう排除するか、それだけを考えて下さい」
はっきりと拒絶された。
キツい声音で叱りつけながら、恒浪牙は女仙――――砂嵐へと声をかけた。
「今のあなたは、狐狸一族(フーリ)の誇りを捨て、己の臆病さから全てを捨て去って天仙の位に縋りつく哀れな女性(ひと)だ。今のあなたは剰(あま)りに酷い。あなたの伯母……尊き狐狸一族の長がこの場におられたら、さぞ幻滅されたでしょうね」
「……っ」
傷ついたように、砂嵐は顔を揺らした。
狐狸一族。初めて聞く一族だ。
狐狸(フーリ)と言うのだから狐に関係のある種族なのだろうが、まさか猫族のように、狐の大妖に呪われた一族なのだろうか?
恒浪牙に問いかけようにも、この前に、彼に無駄な詮索を拒まれている。
今はとにかく、砂嵐を退けることに集中した方が良さそうだ。
か弱い、とても驚異には感じられない儚げな砂嵐は、いやが上にも関羽の戦意を殺ぐ。違うと思いつつも、どうしても脳裏に親しくしてくれた砂嵐の姿が浮かんでしまうのだ。刃を向けることも躊躇われる。
本当に、敵対しなければならないのか――――そんな迷いすら生じてしまうのだ。
ただ、顔と名前が同じであるだけで、どうしてこんなにも躊躇ってしまうのか。
わたしの知る砂嵐は、もう死んだのよ?
彼女は違う、まったくの別人じゃない。
だのに、躊躇ってしまうなんて――――……。
「ここから去りなさい。あなたが何をしたとて、私を阻める筈がない。あなたは今、安静にしなければならない」
強く、叱りつけるように恒浪牙は言い放つ。
けれども砂嵐は首を左右に振るのだ。頑なに拒む。あくまで、自分達を妨害しようとする。妙幻が、天帝よりの使命を果たせるように。
この儚げな女仙も、人間が滅んだところで何も思わないのだろう。長い時を過ごす中、天から人間達を眺めた結果が、滅んでも構わないなんて。
猫族とて人間には手酷い仕打ちを受けてきた。野卑(やひ)と蔑まれ、大妖の子孫と言われない浮上を押しつけられ――――今、真実は全く違うことを知った。だが、これで世の中全てが変わるのかと言えば、そうではない。曹操達が分かっただけ。周囲に広めたとて、誰が信じようか。
人間がいなくなれば、確かに自分達が辛い思いをしなくなる。曹操も、ややもすれば混血に苦しむことも無いだろう。
けれど、それで良いのかと問われれば、関羽は即座に否と答える。
人間だって、自分達と同じ大地に生きる生き物だ。趙雲や実の父、公孫賛のような人間だっているだろうし、今後出会うかもしれない。
猫族も人間も、どちらの血を引く自分達も、妙幻達に比べれば遙かに脆弱だが、決して下賤な存在ではない。
人間全てを消すなんて、駄目に決まっている。
何としても、止めなくては。
けれど、やはり傷つけるのは難しい。砂嵐と同じ顔が歪んでしまったらと思うと胸が痛んでしまう。
関羽の迷いなど、恒浪牙にはお見通しだ。
片手を関羽の前で伸ばし、関羽に掌を向け後ろへ退がるように前後に揺らして見せた。
言われた通りに後退すると、殿(しんがり)が悲鳴を上げた。
「うわああぁぁぁぁっ!!」
「ひぎゃああぁぁぁ!!」
「え!?」
「何だ!?」
「おい、何があったんだ!?」
即座に振り返った関羽が目にしたのは天へ立つような碧(あお)の柱だ。関羽などすっぽり入っても余りがあるだろう太さで、中は空洞なのか、透き通って向こうの景色が見える。
そそり立つそれは、ぐねりと湾曲し、蜷局(とぐろ)を巻くように宙に浮かんだ。
――――龍である。
巨大な龍が 鮮血の色をしたまなこで脆弱な存在を見下している。
その顎が下がれば、その口から複数の人間だった肉塊がぼたぼたと零れ落ちていく。絶命しているのは見るも明らかだ。
兵士達は竦み上がり、その場から一目散に逃げ出した。
龍は彼らを嘲笑うように痙攣した鳴き声を漏らすと身体を伸ばして天へと登り、大きく旋回してバラバラになった兵士達の様子を窺う。
不意に高度を落とし、地面すれすれを滑空して兵士達を食らっていく。
考えるまでもなく、砂嵐の仕業だ。
曹操が関羽に駆け寄って背に庇う。猫族や趙雲、夏侯惇達も迎撃する構えを見せた。
けれども彼らの間を縫うように駆け抜ける者が一人。
恒浪牙である。
彼は跳躍して龍のこうべに着地すると、いつの間にか手にしていた刀身の赤い剣を脳天に突き刺した。
直後、苦しみの咆哮が大気を震わせた。
びりびりと痺れるような感覚に身を縮め、関羽は偃月刀を抱き締めた。
龍は消えた。
恒浪牙は着地した途端剣を消して砂嵐に冷たい視線を向けた。
「本調子でない私でも、あなた風情の術など容易くいなせます。忘れた訳ではないでしょう」
「……っ」
悔しげな顔で、砂嵐は恒浪牙を睨めつけた。
「……本当に、あなたが……私の夫だったなんて、信じられません」
「夫?」
関羽は目を剥いた。
恒浪牙を見やると、
「俺も信じられねぇな。お前があの砂嵐だったなんて。今じゃあ、落ちぶれちまって、以前の美しさも清廉さも衰えて、ボロ雑巾のように上に使われる惨めな娘にしか見えねぇ」
冷笑で、嘲った。
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