15
へらへら。
へらへら。
関羽達は眼前の人物に我が目を疑った。
へにゃへにゃと頼りない柔和な笑みを浮かべる彼は、ついさっき彼らが無惨の死を確認した男であったのだ。
こんなところに、無傷でいる筈がないのだ!
「いやいや、私は死んだとは言っていませんよ。あなた方が勝手に勘違いされたんです」
関羽がえっとなって恒浪牙を見ると、「口に出してますよ」と苦笑混じりに教えた。……少しだけ恥ずかしかった。
「い、いや、しかし……恒浪牙殿。あの有様では、地仙であってもとても生きているようには……」
「あれは私の人形です」
「人形?」
「ええ。まあ今のこの身体も人形なんですが」
笑みを消し、恒浪牙は背筋を伸ばす。
問いたげな周囲に応えようともせずに自分の胸を押さえた。
「時間稼ぎをしてきました」
「時間稼ぎ?」
「ええ。力を振るえぬよう、彼女に呪いをかけたのですよ」
そこで夏侯惇が身動ぎする。一瞬だけ変化した表情を、恒浪牙は見逃さない。
「心配なさらずとも、幽谷の自我には影響はありませんよ。ただ力を使おうとすれば、犀華殿の力に吸収される。そうすれば、幽谷も犀華殿の力を使って表に出られる回数も増えるでしょう。……まあ、それ程の力を吸収出来るまでに呪詛が解かれなければよろしいのですが」
「自力で解けるのか」
「ええ、まあ。下手をすれば私も完全に死んでしまいますね。それによしやそうならなかったとしても、妙幻と戦うとなった時、私は満足に動けない可能性が高い」
それはどういうことなのか。
訊ねても彼は答えなかった。代わりに、一刻も早くこの場を離れるようにと曹操を強く促した。
曹操も、これを了承。関羽達が陣を出たことが発覚してより頓挫していた出立準備を再会させた。そして自身は関羽を呼びつけ天幕を出て行ってしまう。
さぞ、キツく叱られることだろう。
恒浪牙は肩を落とす関羽に苦笑し、「まあ、自業自得ではありますね」と。
しかしふと眦を決して世平を見据えた。
「世平殿も、無茶なことはなさらないでいただきたいものです。あれは、私の中でも本当に予想の域を出ていなかったのです。もし幽谷が犀華殿の力を借りて出てこれなかったら、あなたの軽率な行動で無駄な死人が出ていたところですよ」
声色低く咎める恒浪牙に、世平は大きく頷いた。深々と頭を下げる。
「……分かってる。すまねぇ」
「私も、かつては父でした。だからこそ幽谷を実の娘のように思うあなたがあのような行動に出た、その気持ちはお察しします。あなたの父性が理解出来たらばこそ、独り言を申しました。ですが、今後これに頼ることはお止めなさい。奇跡は二度は訪れない。確実に死ぬと心得なさい」
「ああ。……趙雲、張飛も、すまねぇ。俺の所為で酷い目に遭わせちまったな」
二人にも謝罪すれば、趙雲は首を左右に振った。
「いや……もとはと言えば俺達が勝手についてきたんだ。世平殿が謝られることではない」
「そうだぜ、おっちゃん。……オレもあん時頭に血ぃ上ってこんなことになっちまったんだし」
「ええ。張飛殿に関しましては完全に自業自得です」
「うっ」
恒浪牙は懐から軟膏の入った小箱を取り出し、張飛の前に片膝を付いた。
包帯を外し、患部にそれを塗布する。
痛みに呻くも、張飛はあっと声を漏らした。
軟膏を塗り付けたその場所から、傷はすうっと塞がっていくのだ。
「傷が……」
「今回は特別ですよ。これに懲りたら、ご両親よりも早死にするようなことはお止めなさい。……子供に遺された親の悲しみは、とても深く永久に残るのですからね」
そう言った恒浪牙の表情に、張飛が目を見開いた。彼が普段の笑みになって包帯を取り去ると視線をさまよわせて、小さく謝罪する。
それに、恒浪牙は何も言わずに彼の頭を按撫した。
その双眸はとても穏やかで、何処か遠くを見ていた。誰かの親であった頃を思い出しているのか。
「恒浪牙殿」
「……さて、私はまた色々と思案したいので、外を彷徨いております。何かございましたら、大声で呼んでいただければ大丈夫ですよ」
世平達に頭を下げて、彼は天幕を出ようとする。だが足下が覚束ないようで、ふらりとよろめいたのを夏侯惇に支えられた。
「ああ、すみません。まだ魂が人形に馴染んでいないものですから」
「……ならば、暫し落ち着いていた方が良いのではないのか?」
「いいえ。動いていた方が馴染みやすいのですよ」
夏侯惇に拱手して、今度こそ出て行った。
それを見つめていた夏侯惇は、何を思ったのか彼を追って天幕を出た。夏侯淵が訝り、彼もまた二人を追う。
それからややあって、関羽もはっとして急ぎ足に曹操のもとへと向かった。
後に残された面々は、唐突なことに混乱したまま、顔を歪める他無かった。
妙幻には更なる恐怖を抱いた。
恒浪牙にはより異質な印象を抱いた。
今自分達の置かれた状況が、分からなくなった。
ただ一つ分かることは。
自分達がこのまま何もしなければ、何も救われないと言うこと。
だが 四霊二人に、かの破壊の権化に対し、脆弱な自分達は何をすれば良いのか、見当も付かなかった。
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