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 趙雲達が戻ってきた。
――――張飛と趙雲は、目も当てられない惨たらしい姿で。
 一様に誰もが言葉を失った。

 張飛の治療を終えた後に何が遭ったのかと問えば世平が、完全に覚醒した幽谷の四霊に襲われたのだと、恒浪牙が四霊に殺されたのだと、絶望的な事実を告げた。

 さしもの曹操でも色を失い、兵士達も竦み上がる。
 不安と緊張が空気を堅くした。重苦しいそれは冷たく、身体を震わせる。

 しかし、世平はもう一つ、思いも寄らぬ出来事を語ったのである。
 ここでようやく趙雲が無惨な姿でありながら傷一つ無いことに皆が気付く。そのことも、世平はその話に絡めて説明した。
 有り得ない筈のそれは先に離脱していた関羽と張飛も知らなかったようで、世平の話に飛びつき子細を乞うた。

 けれども、この中で最もその現象に縋りつきたくなったのは彼らではないだろう。
 隻眼の彼は、組んだ腕に爪を食い込ませ血を滲ませている。
 無言で、ただじっと聞き手に徹していた。


「おっちゃん、本当に……本当に、幽谷に戻ったのか?」


 恐る恐ると言った体で張飛が問う。

 世平は大きく頷いた。


「ああ。恒浪牙殿が俺だけに教えてくれたことだ。彼が話さない程、ほんの小さな可能性だったんだが……俺はどうしてもそれが確かめたくてな」

「だから、一人向かわれたのか」


 得心したように趙雲が言うが、それでも僅かな可能性に縋って危険に単身飛び込んでいったことに関しては、彼は世平を責めていた。


「恒浪牙さんは、何て言ったの?」

「……幽谷の肉体の基になった犀華。犀煉の妹の力の残滓が生み出した意識が、最期に力を使っているらしい。恒浪牙殿も断言は出来ないと言っていたが……恐らくは幽谷を守る為に使ったのだろう、犀華とて、あのまま四霊に身体を乗っ取られることは良しとしないだろうから、と」


 あくまで皆に話すにたりえない、恒浪牙殿のの予想の範疇のそれが、先程事実であると確かめられた。
 幽谷が妙幻と無理矢理に意識を交替し、危なかった趙雲の身体の損傷を癒して四人を逃がしたのだ。
 すぐに戻ってしまったようだが、それでももし《次》が残っているならば。


「助けられるかも知れねぇ」


 だがこれには問題がある。
 最後に幽谷と言葉を交わした趙雲が口を挟んだ。


「幽谷は、関羽と会えば妙幻に戻ってしまうだろうと言っていた。次に変わった時、関羽と幽谷を会わせて良いのだろうか」


 恐らくは、幽谷は関羽に何らかの事情で精神的に追い詰められたことが頭に残っているのだろう。そのことに何か思って、結果隙が生まれてしまうのだ。
 幽谷と関羽の間でどんな軋轢(あつれき)が生まれてしまったのか、趙雲には分からない。だがそれ故に、これには慎重になるべきではないかと思案した。

 関羽が眦を下げて泣きそうになる様子には罪悪感を抱くが、彼女ばかりを気遣って良い状況でないことは、誰の目にも明らかだった。
 相手は、自分達が頼みの綱にしていた地仙を無惨に殺した、かの瑞獣応龍なのだから。

 袁術が舌打ちし、がりがりと頭を掻いた。


「だが、蚩尤との戦いで殺生をしたから天界に帰れなかったって神話のある応龍が、気分次第で普通に殺しやってるとはな。何か、裏切られた気分だぜ」

「……いや、神話は所詮神話だ。俺達が勝手に思い込んでいただけかも知れねぇ。俺達は仙人達の世界を見ることは無ぇからな」


 結局は全てが想像の域を出ない崇拝なのだ。
 天帝だの西王母だの東王父だの三皇だの言われて、その本当の姿を知る者は、下界にはいない。
 現実はそう。
 だから裏切られたと言うのは、下界の勝手な言い分だ。

 世平は顎を手に添え、関羽を窺い見た。


「……関羽、お前は曹操と共にいた方が良いかも知れねぇな」

「え……」

「もし次、幽谷が出た時そうなってしまえば……お前も幽谷も傷つくだろう」


 妙幻に戻ってしまうということは、関係なく。
 猫族の中で幽谷と一番親しいのは勿論関羽である。忠誠も誓い、無二の親友として数年共に過ごしてきた。
 もしそんなことになってしまったら、お互いの心にも、二人の築いた関係にも大きな傷を負ってしまうのではないか。
 彼女らを良く知るからこそ、世平はそれを危惧した。

 関羽は目を伏せ、黙り込んだ。
 唇を引き結んで何かを堪えるいじらしい姿に胸が締め付けられる。彼女の為にも何とかして幽谷を助け和解させてやりたいと思うけれど、自分達ではそれは非常に難しい。助けるつもりではあれど、成功する確率は限りなく零(ぜろ)に近いのだ。


「……分かったわ。なら、わたしは封蘭と劉備をどうにかする」


 意志を固めて、世平を強く見据えた。そこに、迷いはある。けれども自ら決めた選択は、今も先も変えないだろう。関羽はそんな娘だ。
 世平は頷き、謝罪を込めて目を伏せた。

 曹操は彼らを見比べ、唐突に立ち上がった。


「では、我らは一旦撤退する。それからは相手の動向を見つつ、早急に手を考えるのだ。袁術、お前の武官からも意見を出させろ」

「分かってる。……さすがに、もう敵対出来る状況じゃねぇしな」

「そうそう。今は出来うる限り人員の確保と英気を養うことを優先するべきです」


 沈黙。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……え、


「「「ええええぇぇぇっ!?」」」



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