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火の手が上がったのは、幽谷が村に着く少し前だった。
火に煽られて家を飛び出した村人達が黄巾賊に捕まっては斬り捨てられていく。
幽谷は身にかかる火の粉に構わずに女に乱暴を働こうとした黄巾賊の首を跳ねた。
女を黄巾賊の手から剥がしまだ火の回っていない方へ投げ飛ばす。ぞんざいな扱いだが、状況が状況だ。あまり考慮していられない。
「ひ、ひいいぃぃっ!! し、四凶……!!」
「早く逃げて下さい! 火で道が塞がる前に!」
目の前で火に巻かれた家屋が崩れる。
幽谷はそれを跳躍して越え、更に黄巾賊の姿を探した。
所々に殺された村人の死体があって、火がそれらを容赦無く包み焼いていく。
むうとした熱気の中、逃げ惑う人々に比較的安全な道を示しながら、現れる黄巾賊を斬り殺していった。
そして、一層火の勢いが強い場所に出た時――――。
「だめ――――!!」
劉備の声がした。
すると前方に三人の黄巾賊がいて、今まさに少年を斬って捨てたところであった。
少年は血を脈動に合わせて噴き出しながら地面に倒れる。
劉備の声がしたということは、恐らく近くに彼らがいるのだ。そして少年が殺される様を見ていたに違いない。
「ケッ! この村の奴らは馬鹿で困る。ま、俺たちに逆らうとどうなるか、これでようやくわかっただろうよ」
「くっくっくっ……。おいおい、今更わかったってどうせ意味ねーだろーよ」
幽谷は彼らに肉迫し、腹に思い切り肘を打ち付けてやった。
黄巾賊の身体はいともあっさり、火の包まれた家屋へと突っ込む。そのまま死ねば良いのだと、本心から思った。
少年に駆け寄る劉備に近付くと、彼は血塗れの幽谷に抱きついて、潤んだ瞳で縋るように見上げてきた。
「幽谷! このこ、元気にして! 幽谷はけが、なおせるでしょ?」
「……」
少年は、すでに絶命していた。
劉備の新しい友達だったのだろう。劉備は必死だった。
自分の力を頼る姿に胸が痛くなって、幽谷は劉備を抱き締めた。
「申し訳ございません、劉備様。彼はもう助かりません」
「……関羽」
関羽は泣きそうな顔をしていた。引き結んだ口を震わせ、少しだけ開く。
「ごめんね……劉備。あなたのお友だち、守れなかった……」
「劉備のダチは死んじまったんだ……。もう、二度と会えないし、遊べない……」
「……あえないの?」
関羽が無言で頷いた。
途端、劉備の顔がぐにゃりと歪んだ。涙が零れ出す。
「いやだぁ……」
劉備の手が幽谷の服をぎゅっと握り締める。
小さく泣き出す彼に、幽谷はふつふつと怒りを感じた。
これが、人間なのだ。
曹操も夏侯惇も、黄巾賊も。
汚らわしい人間――――
「へっ、ガキはガキらしく大人しくしてりゃあいいものを。とんだクソガキだぜ」
「……」
「あ? 何だその目は――――そうだ、そういえば昼間俺達の同志を殺したのはお前だったな。てっきり村のもんだと思ったが……まあ良い、今ここで仲間の仇を討ってやる」
すっと切っ先を向けられ、幽谷はすっと目を細めた。くっと口角を歪める。
「仇? 貴殿如きが私を討てると? とんだ思い上がりだな。貴殿なんぞが私を殺せる筈がないだろう。現にお前の仲間はいとも簡単に殺せたぞ? 人の気配すらも感じられないような者に私は殺せぬよ。むしろ、五臓六腑を引き出されぬよう、尻尾を巻いて逃げたらどうだ?」
口調ががらりと変わっている。
劉備は涙を止めてきょとんと幽谷を見上げた。
しかし幽谷は彼の視界を手で閉ざすと、更に言葉を重ねるのだ。
「まあ、貴殿らは逃げたとしても汚らわしい悪行に手を染めるのだろうがな。まったく人間というのは屑なのだな。人間様なのではなく、動物以下の存在であるとした方が正しい。そのような身分で猫族を卑しめるなど、分不相応だ」
「……なんだとぉっ!?」
黄巾賊の一人が幽谷に襲いかかる。
幽谷は笑ったまま劉備を頭の胸に押し付けて、匕首を構えた。
――――だが。
ざしゅ。
「ぐああああああ!!」
黄巾賊が、倒れた。
背中から血を流して。
その背後には、関羽が立っている。
幽谷は我が目を疑った。
‡‡‡
「あ、姉貴……」
「関羽……」
殺した。
茫然と、関羽は自分の手を見下ろした。
人を殺した。
わたしが、人を殺した!
「て、てめぇ! 殺しやがったな!!」
「あ、ああ……っ」
黄巾賊が関羽に躍り掛かる。
関羽は、反応が遅れた。
「させるかあああああ!!」
張飛が黄巾賊の頭を殴打し、近くにあった井戸の縁に当てる。
頭を強打した黄巾賊はそのままずるずると崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなってしまった。死んだのだ。
殺した。
張飛も関羽も、殺した。
「あ……あ……オレ、思わず……」
劉備が幽谷から離れて、二人に駆け寄った。
幽谷も二人に近付き、彼女らの頬を叩いた。
パン、と乾いた音がした。
「え……」
「覚悟が出来ていないのならば、人を殺してはいけません」
その時の彼女は、とても鋭利な目をしていた。
「人を殺すと言うことは、相手の命、無念をその背に負うと言うこと。生半可な気持ちで殺すことは、してはいけません。殺すのは私の仕事です。あなた達は殺してはなりません」
「幽谷……」
「……私は、あなたたちのそんな顔を見たくはなかった」
そんな顔をすると思っていたから、私は皆様に殺しをして欲しくなかった。
言って、幽谷は血にまみれた手で、関羽の手を取った。
ぬるりとした感触を得たその時、関羽はそれを恐ろしく思った。
同時に、人を殺して平然としているこの友人を――――。
一瞬だけでも化け物だと思ってしまった。
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