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遡ること約三百年。
その大妖は地脈に溜まった濃い陰の気から生まれた。
猫の姿をしたその大妖を、人間達は『金眼』と呼び、恐れ戦いた。
脆弱な人間達は為す術も無く、金眼は己の衝動のまま、破壊の限りを尽くしていった。
矮小な存在の恐怖や絶望は金眼の力を更に更に高めていく。
このまま人間は滅んでいくのか。
――――否。
一人の地仙が、金眼に抗う男を見つけた。
男の名は劉光。彼は地仙の目から見ても強靱な精神の持ち主であり、誰よりも世界を、人間を愛し慈しんでいた。
劉光の人柄と希望に惹かれ、人々は集う。
武に優れた彼らは、当時最強の集団、劉軍となった。
が、しかし。
金眼の力は彼らをも凌駕する。
このままでは壊されてしまう。殺されてしまう。
途方に暮れた劉光に、地仙は一つの情報をもたらした。
秘境の山に、仙女が住んでいると。
人間でも立ち入れる場所であるからと教えた地仙は、それ以後行方を眩ました。この後約一月、金眼の動きが停止する。
偶然に与えられた短い猶予の中で、劉光は仙女に金眼への対処方法を問うた。冷たくいなされても諦めず、何度も何度も仙女に乞うた。
そうして――――ついに仙女は根負けする。
仙女は劉光の武器に仙術を施した。
陰を祓う特別な仙術。
その武器を以て金眼の心臓を貫け。
さすればかの大妖は殺せよう。
仙女は劉光にそう告げた。
喜び勇んだ劉光は残った同士らと共に、最後の戦いと決め金眼に挑んだ。
戦いは熾烈を極める。
三日三晩、劉軍は倒れず、諦めず、希望に縋ってひたすらに立ち向かう。
その果てに、劉光は得物を金眼の心臓に突き立てたのだ。
が、だ。
陰の塊、金眼は、己の血を大量に浴びた劉光、そして劉軍に重い呪いをかけた。
己の血を混ぜ、半妖と変える。
そしてそれは半永久的に受け継がれていく。その血は時に、獣と化し破壊の限りを尽くすだろう。
血を最も浴びた劉光の呪いは一際濃かった。
彼の一族だけは、受け継がれていくその課程の中で成熟し、やがて劉一族の子孫を邪心にまみれさせ強大な力を与える。
後に劉光を訪れたかの地仙が万策を用いたが、その時期を遅らせることしか叶わなかった。
彼らへ降りかかった災いはそれだけでなく。
漢王朝は、英雄を排他した。呪いに怯えたのだ。
加えて漢王朝の威信を取り戻す為に、彼らは嘘を並べ立て彼らを追い立てた。十三支という呼び名も、彼らが広めたものだった。
追いやられた劉軍は山奥へ隠れ住む。
以後、真実は彼らの子孫にすら伝えられることは無かった。
劉光が愛した人と衝突すること、金眼の呪いが愛した世界を壊すこと。
それを恐れ、彼らは漢王朝の所業に目を瞑り、隠れて暮らすことを選んだのだった。
‡‡‡
真実はまるで違った。
関羽も、猫族も――――人間達ですら、顎を落として信じられないとでも言いたげだった。
恒浪牙は目を伏せ、ふっと口角を弛める。
「私は、長い時を生きて参りましたが、劉光程人間らしく、人間らしい強さを持った将器は彼以外に見たことがありません。今この場にいる誰も、彼の器に到底及ばないでしょうね」
「恒浪牙さんが、猫族の先祖とも知り合いだったなんて……」
「そりゃあ、地仙ですもん。伊達に千年近い時間を生きてきた訳ではありませんから」
朗らかに言って、恒浪牙はゆっくりと腰を上げた。その時にぼきっと腰骨が鳴って、痛そうに顔を歪めたので、趙雲が僅かに腰を上げた。
支えるように横に立って手を差し出せば、彼は有り難そうにしながらもやんわりと断った。
「さて。一段落着きましたし、関羽さん。ちゃんと手当てをしましょうか。質問があれば後でお受け致しますね」
関羽を手招きし、恒浪牙は一人先に天幕を出た。
世平に促され、関羽も治療の為に彼について行く。小走りに天幕を出て恒浪牙を追いかけると怪我人はゆっくり来なさいと窘(たしな)められた。
恒浪牙は話し疲れたのか咽が熱いと困ったように首を撫でた。
「これで、また誰かに質問されるんでしょうねぇ。時間を短くする為に、結構省いて話しましたから。それでも長かったでしょう。腕は痛みませんか。痛み止めの残りが少なくなければ良かったんですけどねぇ……」
「今のところは、我慢出来ます」
「応急処置の際に少々傷を見たのですが、どうやら傷の奥に結晶が幾つか入り込んでいるようです。麻酔も今は効果の弱い物しか無いので、治療中は相当苦しいと思います。それも我慢出来ますか?」
「はい。恒浪牙さんの腕を信用します」
彼の薬は確かだ。
なら、腕を疑うべくもない。
躊躇うことも無く頷くと、彼は笑った。
「それは嬉しいお言葉ですね。では、関麗殿の為にも、あなたに傷が残らないようにしましょう」
「……そう言えば、恒浪牙さんは、母とお知り合いなんですね」
「ええ。犀煉の覚醒時に色々と助けていただきましたから。といってもその時以外に接触はしていないのですがね。あなたは関麗殿に良く似ておられます。もしかしたら封蘭も今度は――――ああ、いえ。有り得ませんね。あの子に限って」
関羽は苦笑混じりに首を左右に振る恒浪牙を見つめ。緩く瞬いた。
「封蘭を助けたいんですか、恒浪牙さんは」
「そうですねぇ……」
昔から、私は長い黒髪の女性には弱くって。
彼はそう言って、悲しげに眦を下げた。
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